世界の壁を越えて

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 シエル・ガーデンを出た後、葵は北の方に聳えている塔に向かった。この塔は外壁に大きな穴が開いていて、そこに時計を嵌めこむと似合いそうなことから、葵は密かに『時計塔』と呼んでいる。普通に徒歩で階段を上って塔の二階部分に出た葵は誰の姿もないことを確認し、安堵したような残念なような、複雑な気分になった。少しだけ、ハルがいないかと期待してしまったのだ。

(……電話しよ)

 待ち合わせをしていたわけでもないのに寂しい気分を味わったところで、葵はさっさと気持ちを切り替えた。ポケットから携帯電話を取り出して発信すると、二・三回コール音が鳴ったところで相手が電話に出る。通話の相手は異世界の友人である弥也ややだ。

「あ、もしもし?」

『アオイ、いいところに』

 会話を始めるなり弥也が妙なことを言い出したため、葵は首を傾げながらどうしたのかと尋ねてみた。すると弥也は、驚くべきことを口走る。

『マツモトヨウコさん、たぶん見付かったよ』

「……えっ?」

 その報告は、思ってもみなかったものだった。放心してしまった葵が言葉を次げずにいると、弥也が興奮している様子で話を続ける。

『バラージュってさ、褐色の肌で金髪で、緑の瞳の人なんでしょ? あたし、そこまで書き込んでないのに、その人がそう言ったんだよ』

「ええっ!?」

『何回かメールしたんだけど、他にも葵から聞いた話と同じこと知ってたりするんだよね。だからたぶん、本人に間違いないと思う』

 そしてメールのやり取りをした結果、これから電話で話そうということになっていたらしい。そのまま切らずに待てと言われたので、葵は携帯電話を耳に押し付ける。すると電話機の向こう側から、弥也が誰かと喋っている声が聞こえてきた。挨拶をして、簡単な自己紹介をして、自分が今どういう立場にあるのかを説明している。葵が胸の高鳴りを抑えきれずに待ち侘びていると、やがて弥也はこちらに戻って来た。

『バラージュって人、苗字はバーバー?』

「うん! そう、そうだよ!」

『じゃあ、やっぱり本人だわ。でもマツモトさん、お婆ちゃんのはずだよね? なんか、声が若い』

「うん?」

『ちょっと、どうやって戻って来たのかとか訊いてみるね』

 弥也は固定電話と携帯電話の二台を駆使して間を取り持ってくれているらしく、葵はまた待たされることになった。その間に、弥也が言っていた妙なことに思いを及ばせる。

(声が若いってどういう意味だろう?)

 以前にした計算が間違っていなければ、マツモトヨウコさんは六十代から七十代のお婆さんのはずである。いくら考えてみても謎の答えは見付からず、そのうちに弥也が電話口に戻って来た。

『葵、大変。マツモトさん、二十七歳だって』

「ええっ!?」

 この世界と弥也のいる世界では時間の流れ方が違うとはいえ、いくらなんでも若すぎる。計算の仕方が間違っていたのかと思った葵は弥也に自分がそちらの世界から消えて何日経ったのかと尋ねてみたのだが、返ってきた答えは十日くらいというものだった。葵がこちらの世界で過ごしたのは約一年なので、こちらの一ヶ月があちらの一日くらいという認識は間違っていないようだ。しかし計算が間違っていないとなると、マツモトヨウコが若すぎる理由が分からない。

 葵は自身も混乱しながら、弥也に何とか自分が抱いている疑問を説明した。本人に聞いてみると言って、弥也はまた電話口を離れて行く。少し長い間があった後、電話口に戻って来た弥也は沈んだ声を発した。

『なんか、こっちの世界からいなくなった時と同じくらいの時間には帰れなかったんだって』

 弥也の言葉が何を意味するのか、理解するまでにはしばらく時間がかかった。つまりマツモトヨウコという人は、未来の世界・・・・・に帰ってしまったのだ。そのせいで彼女は、元の世界に帰った後で並々ならぬ苦労をしたらしい。弥也からそんな話を聞かされて、葵は茫然とした。

『葵? 葵!』

 耳に押し当てていた携帯電話から鼓膜が破れそうなほど大きな声が聞こえてきて、葵は我に返った。

「あ……な、何?」

『大丈夫?』

「……うん。ちょっと、こっちの世界の人に相談してみる」

『そうしなよ。あたしも、もうちょっとマツモトさんと話してみるから』

 また電話すると言い置いて、弥也は通話を終わらせた。葵は沈黙した携帯電話をしばらく見つめていたが、やがて表情を改めて立ち上がる。とにかく、相談してみないことには何も始まらない。まだ解決策がないと決まったわけでもないのだ。

 塔を後にした葵は雑念を振り払うために校舎まで全速力で走った。授業中で人気のない廊下も全力で走り抜け、先程訪れたばかりの保健室の扉を勢い良く開ける。何かから逃れてきたかのような様子で駆け込むと、アルヴァが驚いた表情で傍へやって来た。

「何があった?」

「ユアン……、ユアンの所に、連れて行って!」

「分かった」

 何も訊かずに頷くと、アルヴァは葵の手を取って転移の呪文を唱えた。移動した先はユアンとレイチェルが住んでいる屋敷で、朝から仕事に出ていたクレアが突然の往訪を驚きながら迎えてくれる。ユアンが私室にいることを聞き出すと、葵は真っ直ぐそちらに向かった。

「ユアン!!」

 叫びながら扉を開けると室内にはユアンとレイチェルの姿があった。どこかに出掛ける前だったようで、二人ともかっちりとした服装をしている。しかし彼らの都合にまで気を回している余裕のなかった葵は、すぐさまユアンに先程の出来事を説明した。初めは葵の形相に驚いていたユアンも、話が進むにつれて深刻そうな面持ちになる。

「時間、かぁ……」

「何とかならない?」

 このままでは、生まれ育った世界に帰った時には両親はすでに他界しているかもしれない。友人達もみんなが歳をとっている中、自分だけが若いままなど耐えられそうもない。葵が一気に胸裏を吐露すると、ユアンは何故か葵の頬に口唇を寄せてきた。予期せぬ行動のせいで呆気に取られた葵はキスをされた頬に手を当てる。そのままポカンとしていると、ユアンは笑みを浮かべて見せた。

「落ち着いた?」

「あ、うん……」

「レイ、今日の予定は全部キャンセルしてくれる?」

 ユアンが何食わぬ顔で振り返ると、レイチェルも落ち着いた様子で彼の意向を受け入れる。二人があまりにも平然としていたので、焦っていた葵も冷静さを取り戻した。同時に、取り乱した自分が恥ずかしくなってくる。

「……ごめん」

「謝らなくていいから、僕にもしてくれる?」

「ん、」

 ユアンの求めに従って彼の頬に口づけると、葵ははにかんだ笑みを浮かべた。その仕種が可愛いと言われ、ユアンにもう一度キスをされる。そんないつも通りの彼からはすごく気を遣ってくれていることが伝わってきて、葵は心底ありがたく思った。

「ちょっとアオイと出掛けてくるね」

 レイチェルはすでに退出してしまっていたので、ユアンはアルヴァとクレアに向かって言い置くと葵の手を引いた。歩き出しながらどこへ行くのか尋ねてみると、ユアンは精霊王に会いに行くのだと明かす。

「彼ならきっと、助けになってくれるよ」

 人間が使う魔法は本来、精霊と共にあるものなのだ。人間界モンド・ゥマンの代表者であるユアンと自然界モンド・ナチュルルの長である精霊王が協力すれば、どのような魔法であってもきっと完成させられるだろう。ユアンがそう言って力づけてくれたので、葵は安らぎに似た頼もしさを覚えた。

「私、ユアンに会えて良かったって思う」

「僕も、アオイに会えて良かったよ。でも、そういうしみじみする話はまた今度にしよう?」

「……そうだね」

 時間の問題をどうにか出来ると決まったわけではないのだし、別れを惜しむのはまだ早すぎる。そう思った葵が繋いだ手に力をこめると、同じ気持ちでいたのかユアンもしっかりと手を握り返してきた。






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