「おい」
いつの間にかいなくなってしまった精霊王に胸中で感謝を捧げていると、不意にぶっきらぼうな声が聞こえてきた。振り向いてみると、そこにいたのはキリルで、彼は何故か不機嫌そうな表情をしている。しかしその場では不機嫌の理由を話すこともなく、キリルは「ちょっと来い」と言いながら葵の手を取った。連れて行かれたのは壁際の奥まった場所で、そこには正装に着替えたオリヴァーやハル、それにクレアの姿もあった。
「さっき一緒に踊ってた人とは知り合いやったんか?」
顔を合わせるなりクレアが問いかけてきたので、葵はそれでキリルが不機嫌な理由を察した。自分以外の男と気安くダンスなんか踊るんじゃねぇ、と彼は態度で示しているのだろう。
「さっきの人は知り合いだけど、別に何でもないよ」
問い詰められる前に葵が答えを口にすると、キリルは意表を突かれた様子で眉根を寄せた。どういう知り合いかまで尋ねられるかと思っていたのだが、キリルが口を開かなかったので葵はクレアに視線を転じる。
「ユアン、見かけた?」
「今日は表には出て来ないんやないかってアルが言うてたで」
「そっか……」
精霊王から聞いたことを早く相談したかったのだが、会えないのなら仕方がない。そう思った葵は今日のところは諦めることにして、話題を変えた。
「アルは?」
「アスキス様の所や。アオイはまた向こうに戻るんか?」
クレアが人が集まっている辺りを指差しながら尋ねてきたので、葵は少し迷った末に首を振った。
「ちょっと休みたいかな」
「それなら、バルコニーに出るか」
そう提案したのはオリヴァーで、葵が頷いたことから全員で移動することになった。踊っている人達の邪魔にならぬよう壁に沿って移動していると、前方に目立つ集団がいたので歩みを止める。広間にいる人々が華やかに着飾っている中、その集団は見慣れた白いローブを身に纏っていた。
「トリニスタン魔法学園の制服やな」
「わざわざ制服で来るなんて、どこの生徒だ?」
クレアとオリヴァーがそんな会話を交わしていると、白いローブの一団がこちらに近付いて来た。知り合いがいるかもしれないと誰もが注目している中で、その集団の中に見知った顔を見付けた葵は驚愕に目を見開く。マジスター達もすぐに、気がついたようだった。
「ステラ!」
真っ先に彼女の名を呼んだのはキリルだった。その声に反応して、白いローブの集団が一様にこちらを見る。瞠目したのは長いブロンドの髪にヘーゼル色の瞳を持つ少女。以前、アステルダム分校のマジスターの一員であったステラ=カーティスだ。
「カーティスの知り合いか?」
「ええ。先に行っていてくれる?」
「早く来いよ」
一緒にした男子とそんな会話を交わした後、ステラ一人がこちらに歩み寄って来た。彼女はまず、珍しく喜色を露わにしているキリルと笑顔で抱擁する。続いてオリヴァーとも同じようにして再会を喜び合い、それから葵に目を向けてきた。
「アオイ……久しぶりね」
「ステラ……」
葵にとってステラは、この世界で得た初めての友人である。もう二度と会えないと思っていただけに、この邂逅が純粋に嬉しい。涙ぐみそうになりながらステラとハグをした後、葵はクレアを振り返った。
「ステラ、紹介するね。友達のクレア」
クレアにもステラを紹介すると、二人はどちらからともなく手を差し出して握手をした。ステラはにこやかな笑みを浮かべていたが、クレアの表情が何故か凍っている。クレアは人見知りするような性格ではないので葵は違和感を覚えたが、ステラがキリルやオリヴァーと話し始めてしまったので意識はそちらに向いた。
「それにしても、驚いたな。何でステラがこんな所にいるんだ?」
「さっきの奴らは本校の連れか?」
「キル、奴らだなんて失礼よ」
アステルダム分校にいた時のように軽くキリルを嗜めてから、ステラは疑問に肯定を示した。その後で、オリヴァーの質問にも答える。
「レポートを提出するのに資料が足りなくて、王城の図書館に調べ物をしに来たのよ。そうしたらちょうどパーティーをやっていたので、少し覗いていただけ」
本当は早く帰らなければいけないのだけれどと付け加えて、ステラはイタズラっぽい笑みを浮かべた。その表情も仕種も、アステルダム分校にいた頃と何も変わっていない。
(懐かしい……)
ステラがキリルやオリヴァーと話しているのを見るだけで、あの頃に戻ったような気分になる。それが嬉しくて葵は微笑みを浮かべながら彼らのやりとりを見ていたのだが、オリヴァーやキリルとの会話が一段落したステラがハルを振り向いたことにより、笑みをおさめた。
「久しぶりね、ハル」
ステラは笑顔で声をかけたのだが、ハルは表情を変えるどころか口を開きもしなかった。無反応のままステラから目を逸らすと、ハルは踵を返す。態度が悪いと思ったのか、ハルの背中に向かってキリルが咎めるように声をかけた。
「おい、ハル!」
「キル、いいのよ」
去って行くハルを追いかけようとしていたキリルは、ステラに制されて顔をしかめた。そうしている間にも、ハルは振り返ることなく遠ざかって行く。ステラが寂しげな笑みを浮かべたのを見て、葵は胸の痛みを覚えた。
ステラとハルは、かつて恋人同士として付き合っていた。しかしハルは、自分がステラの恋人として相応しくないからと、その関係を終わらせてしまったらしい。だがステラは、そう言われて納得したのだろうか。理由が理由だけに、ハルがステラに自分の気持ちを伝えなかったことも考えられる。だから今、ステラがこんなに辛そうな笑みを浮かべているのではないだろうか。そんなことを考えてしまったが最後、葵は居ても立ってもいられない気持ちになった。
「もう、行かなくちゃ」
「ステラ、」
笑顔のまま去って行こうとしたステラを、葵は思わず呼び止めた。彼女をこのまま行かせてはいけない。そう思ったので、言葉を重ねる。
「ハルとちゃんと話、していかなくて……いいの?」
ステラは答えなかった。答えなかったからこそ、葵は確信した。彼らはまだ、ちゃんと終わっていないのだ。無言で去って行ったハルにも、困ったような笑みを浮かべているステラにも、おそらくは気持ちが残っている。
「みんなに会えて嬉しかったわ」
じゃあねと手を振って、ステラは行ってしまった。焦燥感に駆られた葵はハルが去って行った方向に目を向け、動き出す。しかし数歩も進まないうちに、キリルに腕を捕まれた。
「どこ行くんだよ」
「離して!」
「ハルの所へ行く気なら、俺も行かない方がいいと思う」
キリルだけでなくオリヴァーにまで制されてしまったが、それでも葵は気持ちを止めることが出来なかった。キリルやオリヴァーがどこまで知っているのかは分からないが、葵はハルの本心を聞いてしまったのだ。ハルの気持ちもステラの気持ちも分かるのに、このままにはしておけない。
「とにかく、離してよ!」
「ハルの所に行かないなら、離す」
「あんたには関係ないでしょ!!」
「お前にだって関係ねーだろ!!」
思い通りにならない苛立ちをぶつけたらそれ以上の憤りを返されてしまい、葵はビクリと体を震わせた。怯えが伝わったようで、キリルはハッとしたような表情を浮かべる。その一瞬だけ力が緩んだが、キリルはすぐに腕を掴んでいる手に力を込めなおしてきた。
「行くな」
「そんなこと、言われても……」
「行かせたくねぇんだよ」
キリルがどんな気持ちで止めているのか、それはよく分かっている。彼やオリヴァーが言うように、自分が出る幕ではないのかもしれない。だがハルが、傷ついているのだ。愛だけではどうにもならないこともあると言っていた時の顔を思い浮かべると、やはり行かなければという気持ちは抑えられなかった。
「……離して」
強い口調できっぱりと言い放つと、腕を掴まれている力が緩んだ。その隙に腕を振り払った葵は、その場から逃げるように走り出す。背後でキリルが叫んでいたが、もう振り返ることは出来なかった。
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