「この後はどうする?」
ひとしきり泣かせてやった後でアルヴァが話しかけると、まだ鼻声の葵は「帰る」という答えを寄越してきた。泣いたせいで髪は乱れ、メイクもボロボロになってしまっていたので、アルヴァもそれがいいと同意する。
「クレアに言い置いてくるから、ここで待っていてくれ」
葵をホールに戻らせるのは忍びなかったので、アルヴァは一人でクレア達を探しに行こうとした。しかし探しに行くまでもなく、クレアは自らバルコニーに姿を現した。
「あれ? 一人?」
キリルとオリヴァーの姿が見えなかったので葵が問いかけたようなのだが、クレアは答えなかった。勢い良く近付いて来たクレアに無言で殴りかかられて、無防備に命中を許してしまったアルヴァはよろけてしまう。
「クレア!?」
突然のことに葵が驚愕の声を上げていたが、アルヴァは驚きを感じていなかった。痛みに顔をしかめてはいても、心中は平静でいることが伝わったようで、クレアは皮肉げな表情を浮かべる。
「手加減はしなかったつもりなんやけど、ダメージは受けてなさそうやな?」
「傷が目につくと見苦しいからね、そういう魔法をかけているんだ。でも、痛みが消えるわけじゃない」
「ほんなら、ダメージは受けとるっちゅーことやな? 殴り損にならんで安心したわ」
「クレア、何でこんなこと……」
葵にはクレアの行動の意味が理解出来なかったようで、困惑気味に口を挟んできた。葵の疑問に「卑怯者だから」という答えを返し、クレアはアルヴァを睨みつけてくる。また卑怯者呼ばわりかと思ったアルヴァは憤ったまま去って行くクレアを見てため息を吐いた。
「アル、クレアはどうしちゃったの?」
「何でもない。ミヤジマは気にしなくていいよ」
そうは言ってもやはり目の前で起こった出来事は気になるようで、葵は最後までクレアとアルヴァのことを心配していた。理由は説明せずに屋敷に送り届けた後、アステルダム分校の保健室に転移したアルヴァは服装を乱しながら椅子に体を投げ出す。魔法で作り出した氷嚢を頬に当てると、ひどく痛んだ。
(卑怯者、か)
何故クレアに殴られたのかも、どうして卑怯者呼ばわりされたのかも、察しはつく。だが好きな人に嫌われたくないと思うことが、それほど卑劣なことなのだろうか。その答えを見出せずにいると、ユアンが姿を現した。
「ユアン……」
喋りにくいので氷嚢を退かしながら口を開くと、ユアンは無言でアルヴァの頬をじっと見つめてきた。事情を問われないということは全て、見られていたのだろう。この分ではレイチェルにも醜態を見せたなと思い、アルヴァは口角を持ち上げた。
「君も僕を、卑怯者だと思うか?」
「卑怯っていうか、男らしくはないよね」
「殴られて当然か?」
「それは僕には何とも言えないけど、アルはもう分かってるんじゃない?」
自分が卑怯者なのかどうか。これからどうするべきなのか。ユアンが淡々とそう言うので、アルヴァはため息をついた。
「僕は今のままがいい。残り少ない時間をわざわざ気まずくすることもないだろう?」
「気まずくなるかどうかはやり方次第だと思うけど。それに残りが少ないなんて言うけど、バラージュが見付かった時とはまた状況が違うんだからね?」
今のままでは葵は、生まれ育った世界に帰ることが出来ない。その解決策が見付かるまで、どれくらいかかるかは分からないのだ。その間、本当に今のままで耐えられるのか。ユアンが真顔のままそう問いかけてくるので、アルヴァは閉口せざるを得なかった。
「アルは、アオイに触れなくても大丈夫だっていう自信があるの?」
愛している者が傍にいたら触れたくなるのが普通だろう。抱き合ったり、キスをしたり、場合によってはその先まで、望みは尽きないものだ。しかし恋人同士ではない以上、叶わないことは多い。それでも本当に大丈夫なのかと、ユアンは尋ねてきているのだ。大丈夫と言い切ってしまうには自分の理性が心許なかったので、アルヴァは苦笑いを浮かべる。
「大丈夫じゃなくても自重するよ。それに、恋人なんかにならなくても触れ合う手段はいくらでもある」
「だ・か・ら、卑怯だって言われちゃうんだよ」
「……そうだな。殴られるのも当然かもしれない」
「まったくもう。開き直ってないで、もう一度よく考えてみてよ」
相手のことは元より、自分の幸せも。そう言い置いて、ユアンは姿を消す。一人になったアルヴァは幾度目か分からないため息をつき、痛みが残る頬に氷嚢を押し当てた。
アルヴァを殴るためだけに王城に戻ったクレアは目的を達すると、再びエクランド公爵の別邸に戻って来た。離れていたのはそれほど長い時間ではなかったのに、焼け落ちていた屋敷はすでに復元されている。それを行ったらしいオリヴァーが二階のテラスから帰還を迎えてくれたので、クレアは風の魔法を使って直にテラスへと上がった。
「キリルは?」
「暴れて泣いて、寝ちまった。ってことで、今夜は俺と飲まないか?」
「ええで。とことん付き合うわ」
クレアが胸を叩いて応えると、爽やかな笑みを浮かべたオリヴァーはグラスと酒瓶を召喚した。ルビー色の液体を注いだグラスをかち合わせると、硬質な音が静かに響く。一口含んで喉を潤してから、オリヴァーが先に口火を切った。
「キルのこと、好きなんだろ?」
それは、いつか誰かに言われるのではないかと予想していた問いかけだった。自分の中ではすでに答えが出ていたため、クレアはグラスを干してから頷く。
「そうみたいやなぁ。最初はしょーもないガキんちょって思っとったのに、気がつけばこのザマや」
恋愛というのは不思議なものだと、クレアがしみじみと呟くとオリヴァーは笑みを浮かべた。
「言わないのか?」
「言っても、どうしようもないやろ」
「それはそうかもしれないけど、辛くないのか?」
「何言うとるんや。おたくかて、同じようなもんやろ?」
オリヴァーの方に話を切り替えると、彼は瞬きを繰り返した後で苦い笑みを浮かべて見せた。
「気付いてたのか」
「そら分かるわ。ついでにおたくの考えとること、当ててみよか?」
葵のことが好きだが、友人と競い合ってまで我を貫くつもりはない。奪い合うことで恋情も友情も傷つけてしまうより、大切な人達がみんな幸せになってくれるなら、その方がいいのだ。大方、オリヴァーの考えはそんなところだろう。どうやら図星だったようで、彼は穏やかに微笑んで見せた。
「クレアもそう、考えてるんだな」
「そうや。うちも友達と男を奪い合うなんてガラやない」
「ハルを好きだって言ってた時に、アオイのために身を引いたもんな。こういう話が出来るヤツなんだって思ったぜ」
「はあ、酒がススムなぁ」
明るく笑いながらグラスを干して、クレアはおかわりを要求した。好きなだけ飲めばいいと言って、オリヴァーはなみなみとグラスに注ぐ。オリヴァーのグラスにも目一杯注いでやってから、クレアは話を続けた。
「アオイのこと、いつから好きやったん?」
「いつからだろうな? 最初は好奇心で近付いたけど、いつの間にか普通に可愛いと思うようになってた」
「その頃にはもう、キリルがアオイのこと好きやったんか?」
「どうだったかなぁ。詳しいことは覚えてないけど、言い出しにくい状況ではあったな」
「キリルがアオイのこと好きにならんかったら、告白しとったか?」
「それもどうだかな。前にアオイに、俺は男として見られないってハッキリ言われたし」
「うわぁ、損な性分やなぁ」
「お互い様、だろ?」
「うちはオリヴァーほどお人好しやない。せやからおたくの方が絶対損してるで」
ズバッと言い切ると、オリヴァーは否定も肯定もせずにただ笑っていた。そこで受け流してしまえるのは、彼が大人の対応が出来る人物であるという証だ。アルヴァなどよりよっぽどスマートでいいと、クレアはグラスを傾けながら思った。
「キリルはアオイのこと、諦めたりせーへんよな?」
「あれだけしっかり励ましといて、そんな心配してたのか?」
「別に心配はしてへんけど、さすがに今夜はキツかったんやないかと思ってなぁ」
「まあ、キツかったとは思うぜ。それでもキルは、アオイのこと諦められないと思う」
その理由としてオリヴァーは、バラージュのことでウィルが召集をかけた日にキリルが負っていた怪我のことについて触れた。あれは婚約を解消しに行って、フィアンセに引っ叩かれた傷であったらしい。気位の高いキリルが恋情のもつれから女に叩かれる様子など想像もつかなくて、クレアは大笑いしてしまった。
「あっはっは! そら隠したがるわけや!」
「今までのキルだったら相手が女の子でもお構いなしに殴ってたけど、その時はやり返さなかったらしいぜ」
その我慢は偏に、葵を好きだという気持ちを家族に認めてもらいたいからである。そこまでやる男が惚れた女を諦めるわけがないとオリヴァーが断言するので、クレアは涙に濡れた目元を拭った。
「あー、笑ったわ。アオイもなぁ、もうちょっとキリルのそういう所を評価してくれたらええんやけど」
「やっぱりクレアも損な性分だな」
「そうみたいやな。損しとる者同士、たまには愚痴りあって発散しようや」
グラスに残っていた液体を一息に干すと、クレアは不敵に笑って見せる。今夜は寝かさないと言うクレアの宣言に応える形で、オリヴァーも男らしく一息でグラスを干したのだった。
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