「昨夜は遅かったみたいやなぁ」
帰宅時には顔を合せなかったのだが、クレアは葵の行動を把握していた。あくびを噛み殺しながら、葵は頷いて見せる。
「うん……帰ってきたの、もう明け方に近かった」
「ハルとずっと一緒におったんか?」
クレアが話題に上らせたハル=ヒューイットは葵の恋人で、昨日は彼とデートに出掛けたのだ。しかし途中から、外出の趣旨はまったく違うものになった。クレアの言い回しがなんとも微妙なものだったので、葵は簡単に昨夜の出来事について説明を加える。明け方近くまで探し物をしていたのだと知ると、クレアは呆れた顔を見せた。
「なんや、デートやなかったんかい」
ぼやくように独白を零したクレアが何を考えていたのか分かるような気がして、葵は苦笑しつつ話題を変えた。
「今日、ユアンと出掛けてくるね」
「知っとる。せやから起こしに来たんや」
ユアン=S=フロックハートという少年はクレアの主なので、彼女はすでに葵の予定をも把握していた。もう朝食の準備も出来ているというので、私室で身支度を整えた葵は食堂へ向かう。先に行っていたクレアと再び合流して、食事をしながら話を続けた。
「エッソー分校のマジスターはけったいな連中やな。レイチェル様に任せておけばええのに、そないにムキになる理由が分からん」
「うーん、自分達が使えないって思われるのが嫌だったんじゃない?」
「実際、使えてないやん」
相変わらず、クレアははっきりと物を言う。そうした性質を葵は好いているのだが、さすがに言われた側が可哀想に思えて、少し擁護しておくことにした。
「時間はかかったけど時の欠片は見つけたし、そんなことないよ」
「見つかったんか?」
「うん。胸像から出てきた」
葵が昨日訪れたトリニスタン魔法学園エッソー分校には、敷地内の片隅に学園創始者の胸像があった。そこが封印の場所だと、探り当てるまでが大変だったのだ。エッソー分校のマジスターであるフリードという少年が絶対に独力で見つけるのだと息巻いていたので、分校の所有者である公爵の力は借りていない。古そうな書物という書物をひっくりかえし、敷地中を歩き回って、最後は運頼みのような方法で胸像に行き着いた。それでも独力で封印を解いたことに満足したらしく、フリードは誇らしげに胸を張っていた。あの笑顔は忘れられないと、葵は一人で苦笑いを浮かべる。話を聞いたクレアは、呆れ果てたようなため息をついた。
「エリートいうんはほんまに、分からん連中や」
「あ〜、私も、エリートなんて大っ嫌いって思ったことあるなぁ」
あれはまだアステルダム分校のマジスター達と付き合いが浅い頃、彼らの権力に振り回されてばかりだった葵は泣きながら空に叫んだことがある。しかし今は、そう嫌いな人種でもない。昔を懐かしみながらそう言うと、クレアが不思議そうに首を傾げた。
「えらい心境の変化やな?」
「心境の変化っていうか、よく考えるとあの人達が怒るのも分かるなって思って」
葵は当初、エッソー分校のマジスター達に協力を求めた。しかし彼ら以上に優秀な人物が身近にいることに気付き、助力を乞う相手を安易に乗り換えてしまったのだ。エリートとしてのプライドには共感出来ないが、普通に考えて、これは失礼な行いにあたるだろう。そう説明するとクレアも納得したようだった。
「せやな。そう考えると、その連中も確かに可哀想や」
「最初からレイに訊けば良かったんだよ。悪いことしちゃった」
「そらそうや。何でレイチェル様に訊かなかったん?」
レイチェル=アロースミスという女性は国家規模の
「賭けって何や?」
話を聞いたクレアが首を傾げたので、葵は学園長との約束について説明を加えた。時の欠片を自力で集められなければ、生まれ育った世界に帰ることを諦める。そうした賭けの内容を知ったクレアは、怪訝そうに眉根を寄せて話を続けた。
「何でまた、そないな賭けをする羽目になったんや?」
「前にも少し話したと思うけど、時の欠片が集まって完成する
「それでアオイが迷っとるんは知っとるわ。せやけど、今回がダメやとしても諦める必要なんてないやんか」
時の精霊について話すことが出来ないので、クレアは彼の精霊を召喚することがどれほどの危険を伴うのか、知らない。そうして話だけを聞いていると、学園長の持ち出した賭けは無理矢理に意思を曲げようとしているように受け取れるのかもしれなかった。しかし実際のところ、それは違う。この一見理不尽にも思える賭けは、学園長が示してくれた優しさなのだ。その証拠に彼女は、自力でと言いながら詳細な条件は何も提示してこなかった。それはつまり、自分は協力しないが他の誰に助力を乞おうと構わないということだろう。ユアンから聞いた話も踏まえて葵がそう説明すると、クレアは難解だと言わんばかりの表情になった。
「せやったら、実際には何してもオッケーやったっちゅーことやな?」
「そうだね」
「アホくさっ。賭けにもなっとらんやないか」
「うん。だから、覚悟の問題なんだと思う」
何を差し置いても生まれ育った世界に帰りたいと望むなら、クレアの言う通り諦める必要などない。問題はその覚悟を持てるかということであり、時の欠片探しは思いの強さを量る機会でもあるのだ。未だ迷いが晴れない葵は、学園長の言葉を思い返して口を閉ざした。するとクレアも神妙な面持ちで黙り込んでしまったので、食堂に沈黙が訪れる。しかし静寂は長く続かず、クレアが口調を改めて口火を切った。
「そういえば、ハルとはちゃんと話したんか?」
クレアが話題を変えたので、思案に耽っていた葵は体に緊張を走らせた。その反応を見て、クレアは少し眉をひそめる。
「言えなかったんか?」
「元の世界に帰るかどうか迷ってるって話は、した」
「さよか。それで、ハルはなんて言うとったんや?」
「分かった、って」
後に続く言葉があると思ったのか、葵が話を終えてもクレアは黙ったままだった。しかし、それ以上の言葉がないと察すると、彼女は眉間のシワをさらに深くする。
「それだけなんか?」
クレアの言いたいことは、分かっている。葵も迷っていると話した時、ハルがそれに対する自分の意見を言うと思っていた。だが彼は、分かったと言っただけだった。真意が見えない一言を聞いただけでは、話し合いをしたことにはならない。しかし葵は、持てる勇気を振り絞って迷っていることを打ち明けたのだ。二度目ともなると勢いで切り出すことも難しく、迷っていることを告げた時以上に、ハルの反応が怖くて仕方がなかった。
「ちゃんとしといた方がええと思うけどなぁ」
そう独白を零しつつも、クレアはそれ以上、葵を急かそうとはしなかった。おそらくは、怯えが顔に出てしまっていたからだろう。ユアンの来訪があったことも相まって、その話はそこで終わりとなった。
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