(アルも、そうだったな)
難問が解けて上機嫌になっているウィルを見て、葵は出会った頃のアルヴァを思い返していた。彼らのような探究の徒は、知識を得ることに貪欲だ。特に異世界の話などは滅多に聞けるものではないので、葵は何度も、些細なことを細かく説明する羽目になった。アルヴァには芸能人というものについて、長々と説明を加えたこともある。そんな過去を懐かしみながら、胸の痛みを覚えた葵は微かに顔を歪ませた。
「何?」
表情の変化を見咎めたウィルが尋ねてきたので、我に返った葵はとっさに思い出したことを口にした。
「前にアルとコンバーツやってた時に、金の駒がないんだねって話になったんだ。その時アルが難しい顔して考え込んでたから、ウィルと同じこと考えてたのかなって思って」
コンバーツとは、この世界のボードゲームのことである。魔法のルールを盛り込んだもので、ゲーム的にはチェスに近い。葵の返答を聞くと、ウィルは何故かおもむろに顔をしかめてしまった。
「それ、いつの話?」
「もう、だいぶ前。クレアが学園に編入した頃だったかな?」
「……あ、そ」
ウィルが途端に不機嫌になってしまったため、何か悪いことを言っただろうかと訝った葵は眉根を寄せた。しかめっ面で椅子に背を預けたウィルは、ぶっきらぼうに言葉を重ねる。
「あの人に先を越されると嫌な感じだよね」
そんな独白を零しているところをみると、手柄を横取りされたような気になっているのかもしれない。それは、彼らの因縁を考えれば仕方がないことのように思えた。その話はそこで終わらせることにして、ふと、あることを思い出した葵は話題を変える。
「そういえばウィル、前にアルのこと自分以上の卑怯者とか言ってたよね? あれってどういう意味だったの?」
「何で今になって、そんなこと訊くの?」
発言をした時には言及されなかったのにと、真顔に戻ったウィルが姿勢を正す。葵が答えられずにいると、ウィルはすっと目を細めた。
「もしかして、何かあった?」
「…………う、」
「解り易い反応。それなら、説明しなくても意味が解るんじゃない?」
「……分からないよ」
白旗を挙げて、困り果てた葵は眉尻を下げた。それまでの表情とは一転して、楽しげな笑みを浮かべたウィルは頬杖を突きながら話を続ける。
「好きだって、言われたんでしょ?」
「…………」
「あの人、けっこう前からそうだったよ。それなのに自分の気持ちは隠して、保護者面でアオイの隣に居座ってた。そんなの僕やキルに失礼だと思わない?」
同意を求められても困ると、葵は胸中で反応を返した。葵が答えられないことを承知で話を進めているウィルは、いい気味だと笑っている。その光景はいつかも見たものであり、葵はようやく、これまで疑問に感じていたことを解消させた。
「それで? フッてやったんでしょ?」
どうだったと、悪ノリを加速させたウィルが尋ねてくる。彼が知りたいのは、アルヴァが失恋して打ちのめされる様子のようだった。悪趣味だと葵が非難しても、ウィルは楽しそうな笑みを崩さない。
「僕がこういう人間だって、知ってるでしょ?」
「……うん。知ってる、ね」
「アオイが付き合ってくれてたら、僕も少しは変わったかもしれないのにね」
「……ごめん」
「馬鹿正直に謝らなくていいよ。冗談だから」
ウィルはあっけらかんと言ってのけたが、彼の場合、どこまでが本気でどこからが冗談なのか判断し辛い。また一時は本気で好きだと言ってくれた相手だけあって、葵も強く出られなかった。そろそろ逃げ出すべきなのではないかと考えを巡らせていると、店員が誰かの来訪を告げてくる。そして姿を現したのは、先程別の場所で別れたばかりのオリヴァーだった。
「何しに来たの?」
不服そうな表情になったウィルはお邪魔虫とぼやいていたが、葵は正直、助かったと思った。そんな葵の心中が伝わったようで、オリヴァーは苦笑いを浮かべながらウィルの隣に腰を下ろす。
「クレアから話が回ってきたから様子見に来たんだよ」
「何を心配してるのか知らないけど、別に何もないよ。ね、アオイ?」
楽しく話をしていただけだと主張するウィルに同意を求められて、葵は乾いた笑みを浮かべた。それを見たオリヴァーが、あんまり苛めてやるなと助け船を出してくれる。するとウィルは、大袈裟に肩を竦めて見せた。
「はいはい。それよりオリヴァー、聞いた?」
「何をだ?」
「アルヴァ=アロースミスがアオイにフラれたんだって」
ウィルが脈絡もなくデリケートな話題に触れたので、紅茶を飲もうとしていた葵は吹きそうになった。オリヴァーも驚愕で動きを止めていたが、やがて真顔に戻った彼は神妙に頷いて見せる。
「そうか……。あの人は言わないのかと思ってたけど、ちゃんと伝えたんだな」
「あんなに必死で隠そうとしてたのに、傑作だよね」
「そういう言い方は止めろ」
オリヴァーとウィルが普通に話をしているので流しそうになってしまったが、葵は慌てて二人の会話に割り込んだ。
「ちょっと、待って。何でオリヴァーも知ってるの?」
「何がだ?」
「その、アルが……」
「ああ、アオイを好きだってことか? アルヴァさんの行動見てて、なんとなく気付いた」
「そ、そう……なんだ」
「知らなかったのなんてアオイくらいなものだよ」
ウィルにまで断言されて、葵は考え込んでしまった。アルヴァの言動は、そこまで言われてしまうほど解り易いものだったのだろうか。しかし思い返してみても、葵にはやはり心当たりがなかった。アルヴァがいつ、どうして、自分を好きになってくれたのかまったく分からない。
(そりゃ、からかわれたことは何度もあるけど……)
だがあくまで、アルヴァの口説きは悪ふざけの範疇だった。本気を感じたことが一度もなかったのは、あえてそうさせていたということなのだろうか。ウィルの言葉を借りれば、保護者面で自分の隣にいるために。
(……アルもそんなこと、言ってたっけ)
まだ冗談だと思っていた時だったので聞き流してしまったが、アルヴァ自身も自分がそうさせてきたと言っていた。一体いつから、彼はそんな想いを抱えていたのだろう。
(…………)
アルヴァの真意を知ることは、おそらくもうない。これ以上は聞かない方がいいことだろうとも、思う。そして問題は、もっと別のところにあるのだ。
「黙り込んで、どうしたの?」
「……私、そろそろ行くね」
問いかけてきたウィルに答えて、葵は席を立った。それならば自分もとウィルが言ったので、結局は全員で店を後にする。その後、ウィルが再び雑踏の中に消えて行ったため、葵はオリヴァーを振り向いた。
「ごめんね、来たばっかりだったのに」
「気にしなくていいぜ。それより、大丈夫か?」
「……うん」
毒を吐くだけだったウィルとは違い、オリヴァーは優しく気遣ってくれる。しかし今は、その優しさが痛い。微かに歪んだ笑みを作って、葵は言葉を重ねた。
「あのさ、ハルの家って知ってる?」
「行くのか?」
「うん、行きたい」
「そっか」
転移魔法で送ってくれるとオリヴァーは言ってくれたのだが、葵は場所だけ聞くに留めた。公爵の子息ともなると各地に別邸があるのだが、おそらくハルはアステルダム公国内にある別邸にいるだろうということだった。
「まさか、歩いて行くわけじゃないよな?」
オリヴァーが心配そうに問いかけてくれたので、葵は公共の魔法陣を使おうと思っていることを明かした。それならばと、オリヴァーは地図を描いて渡してくれる。オリヴァーの親切に感謝を捧げ、その場で彼と別れた葵はパンテノン市街にある魔法陣へと向かった。
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