幸福の選択

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 パンテノンという街にあるヒューイット公爵が所有する別邸でハルと話をした後、葵は彼に連れられてリカルミトン公国を訪れていた。ここはヒューイット公爵が治める地で、巨大なテーブルマウンテンの頂に、ハルの実家がある。そこでいきなり顔を合わせることになったのは、ハルの両親だった。

(なんか、前にもこんなことあったような)

 妙なデジャヴュを感じてしまったのは、葵が以前にも結婚報告なるものをしたことがあるからだ。あの時の相手はハルの友人でもあるウィル=ヴィンスで、彼の両親は厳しそうな人達だった。対するハルの両親は、のほほんとした空気を醸し出している。

「異世界に行く」

 ハルは何の前置きもなく、突然本題を口にした。しかし驚いたのは葵だけで、ハルの両親に動揺は見られない。穏やかなまま、彼らは息子との話を始めた。

「そちらのお嬢さんと一緒に?」

「そう」

「異世界に行ったら、もう戻って来られないのだろう?」

「たぶん」

「頑張りなさい」

 最後は夫婦で声を合わせて、ハルの両親は快く賛同してくれた。猛烈な反対に遭うことを覚悟していた葵は、あまりのことに拍子抜けする。一言も発せずに立ち尽くしていると、息子との話を終えたハルの両親は葵に視線を向けてきた。

「息子をよろしくお願いします」

「は、はい!」

 背筋を正した葵が返事をすると、ハルの両親は嬉しそうにニコニコと笑った。だが話は、これで終わりではなかった。

「それじゃあ、フレデリカに報告しておいで」

 ハルの父親が口にした名に、葵は覚えがあった。フレデリカ=ヒューイットはハルの姉で、父親の言葉に頷いたハルは葵を促して退室する。その足でどこかへ向かおうとしたので、葵は歩きながらハルに声をかけた。

「フレデリカって、確かお姉さんだよね?」

「そう」

「これからお姉さんに会いに行くの?」

 無言で頷いたハルからは、後に続く言葉が得られなかった。彼が積極的に説明してくれることは皆無と言っていいほどに、ない。そのためハルの両親とも事前情報が何もない状態で顔を合わせたのだ。穏やかな人達だったから良かったが、姉はどういった人物なのだろう。

(確か、怒られるとか聞いたような……)

 ハルと家族の話をした時、外で寝ていて姉に怒られたという話を聞いたような気がする。厳しい人なのかもしれないと身構えて、葵はフレデリカと対面を果たした。

 ハルの姉であるフレデリカ=ヒューイットは、一言で形容すると『美人』だった。ハルの母親もそうだったのだが、屋敷の中でもきっちりとドレスを着こなしていて、貴婦人の貫禄を見せつけている。ハルと同じく栗色の髪は緩く巻かれていて、化粧もバッチリだ。対する葵はスッピンで、服装も白のワイシャツにチェックのミニスカートという制服のまま。フランス人形のようなフレデリカを前にすると場違い感がすさまじく、葵はプレッシャーのような気恥ずかしさを覚えた。

(ハルのお母さんに会った時は大丈夫だったのに)

 その違いはきっと、醸し出している雰囲気にあるのだろう。真顔のまま葵を一瞥すると、フレデリカはハルに向けて口火を切った。

「初対面の方を同伴した時は尋ねられる前に紹介するのが礼儀です」

「ミヤジマ=アオイ。異世界から来た人で、俺の恋人です」

 ハルの発言を受けて、葵は慌てて頭を下げた。予想の通り、フレデリカは厳しい人であるようだ。そして先程の会話から、この姉弟の関係性がうっすらと見えた気がする。

(親が甘い分、って感じだなぁ)

 両親とは普通に話していたハルが、姉には敬語を使っている。今度こそ一筋縄ではいかなさそうだと、緩んでいた気を引き締めた葵は勧められた席に着いた。テーブルを挟んで向かい合う形で腰を下ろしたフレデリカは、人数分の紅茶を魔法で淹れてから再び口を開く。

「ステラ=カーティスはどうしたのです?」

 フレデリカの口から友人の名前が出てきたので、驚いた葵は「知ってるんだ」と胸中で呟きを零した。ハルは家族に恋愛のことを打ち明けるタイプとは思えない。そう思った葵は調べたのだろうかと勘ぐったのだが、フレデリカがステラを知っていたのには理由があったようだ。

「トリニスタン魔法学園の本校に編入する際、ステラ=カーティスを愛しているから婚約を解消して欲しいと私に言ったではないですか。あれは嘘だったということなのですか?」

「嘘じゃありません」

 畳みかけるような姉の言葉を、ハルは平素より少しだけ強い口調で否定した。そこでフレデリカが聞き手に回ったため、ハルは一呼吸分の間を置いてから言葉を続ける。

「ステラのことは、好きでした。今でも人間ひととして尊敬しています。でも今は、彼女と一緒にいたいんです」

 ハルの目が葵に向いたため、フレデリカの視線もこちらに向けられた。そのまま、フレデリカは葵に向かって言葉を紡ぐ。

「ミヤジマ=アオイ、と仰いましたね。貴女はどうして、私に会いに来たのです?」

 会わせたい人がいると、ハルに連れて来られたから。それが実状ではあったが、質問の答えとしてはそぐわない気がした。葵はハルと共に生まれ育った世界に帰るつもりで、これからそのことを報告しなければならない。そしてそれは、姉弟を永遠に引き裂くこととなるのだ。

(…………)

 態度は厳しいが、フレデリカはハルのことを心配している。それが分かるだけに、葵は迷いそうになった。だがハルの気持ちを知った以上、別れることはしたくない。それならば言うべきことは一つしかないと、葵は勢いよく頭を下げた。

「弟さんを私にください!」

 視界にはテーブルしか映らなかったので、ヒューイット姉弟がどういった表情をしているのか分からない。ただ沈黙が、物音一つしない室内を支配していた。こういう時、頭はどのタイミングで上げるべきなのか。葵がそんなことを考え出した時、頭上から誰かの吹き出す声が聞こえてきた。

 葵が頭を上げてみると、ハルが珍しく声を上げて笑っていた。フレデリカも顔を背けていて、口元を押さえている仕草は笑いを堪えているように見える。ハルのしつこい笑いにつられてか、やがては彼女も声を上げて笑い出した。

(ええっ……)

 真面目な話をしていたつもりの葵は、ヒューイット姉弟が笑い続ける中で所在をなくしてしまった。どういう顔をすればいいのか分からずにいると、やがて涙を拭ったフレデリカが笑みを残しながら口火を切る。

「貴女、面白いわね」

 気に入ったと言われたが、複雑な胸中の葵は乾いた笑みを返すに留めた。その後、半笑いのまま、ハルが姉に声をかける。

「俺、彼女と異世界に行きます」

「そう。分かりました」

 頑張りなさいと、フレデリカは両親と同じことを言ってのける。この家族は何なのだろうと葵は思ったが、声に出すことはしなかった。黙している葵を置き去りに、姉弟の話は弾んでいく。

「貴方はヒューイット公爵家の一員なのですから、ケジメはしっかりとつけなければなりません。この意味が、解りますね?」

「はい。父さんと母さんにはさっき、言ってきました」

「よろしい。では、王家の方々にご挨拶に伺った後、式を挙げましょう」

 招待客はどうするだの、ドレスの仕立てはどこの店でなど、そういった話が進んで行くのを葵は呆然と聞いていた。もしかしなくともこれは、結婚式の相談なのではないだろうか。

(いや確かに、ハルをくださいって言ったけど……)

 挨拶に来ていきなり結婚式の相談とは、気が早すぎだ。そう思ったが葵はすぐに、自分の考えが間違っていることを察した。

(早いも何もないんだっけ)

 普通なら交際を深めてから結婚という段取りになるところだが、葵とハルには時間がない。もう間もなく、この世界に住む者達とは会えなくなってしまうのだ。そうなってしまう前に息子の晴れ姿を両親に見せてあげたいと、フレデリカは考えているのかもしれなかった。

(いつか、ハルが言ってたな)

 お互いに同じ気持ちでいても、好きなだけではどうにもならないこともある。あの時とはだいぶニュアンスが異なるが、葵とハルが飛び込もうとしている世界はまさにそれなのだ。後戻りは出来ないし、どんな困難にも立ち向かって行かなければならない。一生を添い遂げるという覚悟を持たずして、この道を選ぶことは出来ないのだから。

「ミヤジマさんも、それでよろしくて?」

 ハルとの話を一段落させたところで、フレデリカが声を掛けてくる。アオイがファーストネームであることを教えた後で、葵はハルとの結婚を承諾した。






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