「ひどいって思う?」
ユアンのしたことは付き合い始めたばかりの恋人同士を強引に引き離し、さらには結婚という流れで固まりかけていた地盤に大量の雨を降らせたようなものだ。これが何の障害もないカップルであれば、悪魔のような所業だろう。しかし葵は、まさかと答えて笑い飛ばした。
「そんな確認、するまでもないでしょ?」
ユアンの提案に悪意がないことは誰の目にも明らかである。それどころか彼は、当事者でもないのに本人達以上に、葵とハルの将来を考えてくれている。むしろありがたいと言おうとして、葵はふと考えを改めた。
(元はユアンのせいなんだから、まるっきり他人事ってわけでもないか)
そもそもユアンが強引に召喚魔法を使ったりしなければ、こんなことにはならなかった。ここへきて元凶であるという責任を、彼は感じているのかもしれない。だが葵は、ユアンがしてくれたことを当然だとは思わなかった。彼の厚意は元凶であるということを差し引いても余りあるもので、少々過保護なくらいだ。
「ありがとね、ユアン」
やはり礼を言っておくべきだと思った葵は笑みを浮かべてユアンを見た。ユアンはホッとしたようで、脱力するように破顔する。リアクションがオーバーに感じて、葵は逆に眉根を寄せた。
「私が怒ると思った?」
訳も分からず恋人と引き離されたのなら、誰でも怒るだろう。しかしユアンは道筋を立ててちゃんと説明してくれていた。それでひどいと怒るのなら、駄々をこねる子供と同じだ。そこまで精神年齢が低いと思われていたのなら心外と言う他ない。葵が口唇を尖らせると、ユアンは慌てて釈明した。
「アオイなら解ってくれると思ってたよ。でも不安そうな顔してたから、何か不満があるのかと思って」
「ああ、それは……」
葵が不安を抱いたのはハルと引き離されることに、ではない。ハルの滞在先がフロンティエールだったからだ。その違いを説明すると、ユアンは意外そうな面持ちになる。しかし次の瞬間には、葵が言わんとしていることの察しがついたようだった。
「もしかしてハルとジノク王子、折り合い悪かった?」
ユアンの口からジノクの名前が出たことで葵は久しぶりに、彼の姿を思い浮かべた。黒髪の王子は葵が最も愛する芸能人に瓜二つで、かなりのイケメンである。そんな彼は葵に好意を寄せていたのだが、葵はハルが好きだからと、ジノクの気持ちを拒絶した。その当時は完全なる片思いだったためハルと付き合うことになるとは夢にも思っていなかったのだが、そのハルが、今度は葵の恋人としてジノクの前に立つ。ものすごく複雑だと胸中で呟き、葵はユアンの問いに答えるために口を開いた。
「ジノクはハルのこと、大嫌いって言ってた」
「うわっ、そうなの?」
「面と向かって消えてくれないかとか言われたらしいから、ハルもあんまりジノクのこと好きじゃないと思う」
「……ハル、一体何したの?」
一国の王子にそこまで言わせるとは尋常ではない。ユアンがそういう顔をしていたので、葵は苦笑いを浮かべた。
「ハルが直接ジノクに何かしたわけじゃないんだけどね。ちょっと、時期が悪かったっていうか」
ハルとジノクが出会ったのは、ハルがステラと別れて自暴自棄になっていた時だった。その頃のハルは無理に遊び人を気取っていて、葵にも度々ちょっかいを出してきていた。本気で葵と向き合おうとしていたジノクには、それが死ぬほど気に入らなかったのだろう。そうした内容をかいつまんで説明すると、ユアンは「なるほどね」と嘆息した。
「ハルが遊び人の振りするって、ちょっと想像つかないね」
「あの頃はほんと、ひどかったよ。何もかもどうでもいいから、どうでもいいことばっかり口にしちゃう、みたいな」
それでも葵は、ハルのことが好きだった。そしてジノクにはそのことを明かして、交際することは出来ないと断ったのだ。そこまで教えると、さすがにユアンも沈黙してしまった。
「ジノクはハルが行くこと、知ってるの?」
ユアンがフロンティエールの国王とだけ話をしていて、ジノクは知らない可能性もある。そう思った葵は念のため質問してみたのだが、ユアンは頷いて見せた。
「うん、どういう理由でフロンティエールが最適なのかも説明してある。歓迎するって言ってたから、まさかそんなことになってるとは思わなかったよ」
「歓迎……」
ジノクが何を思ってその言葉を発したのかは、本人に尋ねてみなければ分からない。しかし葵には、どうにも不穏な響きが含まれているように聞こえてならなかった。ハルとジノクの確執を知ったユアンも苦笑いを浮かべている。
「でもまあ、これも一つの試練だね。ハルにはしっかり頑張ってもらおう」
これしきのことを乗り越えられないようでは異世界でなど、とても暮らしていけない。ユアンがそういう意味合いで言っていることは理解していたので、葵も健闘を祈ることしか出来なかった。
「ハルはいつ、あっちに行くの?」
「準備が整い次第すぐ、だね」
葵がレイチェルの弟であるアルヴァ=アロースミスと世界を旅した時は、スレイバル王国とフロンティエールは国交を結んでいなかった。そのため隣国を経由するという手間があったのだが、現在はフロンティエールまで直通の航路が確立されているらしい。転移で辿り着くことは出来ないため、船で二日。そこから約一ヶ月を、ハルはフロンティエールで過ごすことになるのだという。
(なんか、懐かしいなぁ)
フロンティエールでは結婚を迫られたり幽閉されたりと、散々な目に遭った。だが楽しかった思い出がまったくないわけでもなく、リゾートのような彼の地は緑豊かないい場所だ。アルヴァなどは魔法を使えない不便を嘆いていたが、ハルはうまく馴染んでくれるだろうか。葵が過去を振り返りながらそんなことを考えていると、ユアンが声をかけてきた。
「ところでアオイ、作戦はうまくいったの?」
まったく別のことを考えていた葵は、ユアンが何を言っているのかすぐには理解出来なかった。だがそのうちに、ああ……と呟きを零す。
「抱いてって言ったら思い出づくりに協力する気ないって言われちゃった」
「え……」
絶句したユアンを見て、葵は自分と同じ反応だと思った。その後、どうやって結婚の流れに至ったのかを補足すると、口元に手を当てたユアンは難しい表情になる。
「う〜ん、やっぱりハルは一筋縄ではいかないね。スマートじゃないけど、それはそれで魅力の一つなのかな?」
「何の分析してんの」
「女の子が惹かれる、いい男の条件」
すでに絶対的な伴侶のいるユアンには必要なさそうな事柄だが、彼はそうした勉強には非常に熱心だ。その熱意を別のことに回せないのかと葵が呆れていると、考えるのを止めたらしいユアンが再び声をかけてきた。
「アオイはそれでいいんだよね?」
「何が?」
「話を聞いてると、なんだかなし崩し的に結婚ってことになってるみたいだから」
どうやらユアンは雰囲気に流されて重要なことを決めてしまっていないかと、心配してくれているようだった。確かにそういった部分もあるが、葵は穏やかな心境で頷いて見せる。
「私には何の力もないし、ユアンが私にしてくれたみたいにハルを助けてあげることも出来ない。でも、一緒にいたいんだ」
想像を絶する困難に直面することは、目に見えている。それでもハルは、葵と共に在ることを望んでくれた。そして自分も、同じ気持ちでいる。もう、それだけでいいのだ。葵がそうした心中を伝えると、ユアンは口惜しそうな表情になった。
「同じ世界にいるならいくらでも助けてあげられるのに。幸福を願うことしか出来ないなんて、なんだか悔しいなぁ」
「自由に行き来できたらいいのにね」
それが可能なら、世界の壁を隔てた者とは出会わない方が幸せだったという言葉は聞かずに済んだ。夢物語であることは、互いに重々承知している。それでも葵とユアンは一時、叶わぬ仮定の話に花を咲かせた。その後、話題は再び今後のことへと戻る。
「アオイとハルはもう王家に報告も済ませてるし、あとは挙式だね。送別会も兼ねて盛大にやろうか」
この世界で縁があった者を全員呼んでしまおうとユアンが言うので、それは盛大な式になりそうだと思った葵はプレッシャーを感じた。
「ハルが帰ってくるまでにダイエット頑張らなきゃ」
結婚式と言えば女の子の憧れであり、人生で最大級のイベントの一つだ。ここは生まれ育った世界とは違う文化が息衝いているが、華やかな席でドレスを着用するのは同じ。無様なドレス姿は晒せないと思った葵は気合いを入れたのだが、ユアンは必要ないと笑う。そして彼は、葵にはもっと別のことを頑張ってもらわなければならいのだと、告げたのだった。
Copyright(c) 2017 sadaka all rights reserved.