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 東のゼロ大陸を統治するスレイバル王国の首都(王都)であるラカンカナルは、大陸の内陸部に位置している。スレイバル王国は広大な領土を幾つかの土地に区切って、爵位を与えた者達に管理させているのだが、ここだけは王家の直轄領である。そのため王城を中心として広がる街並みは壮大秀美なもので、そこに住む人々にも活気がある。また王都には魔法に秀でた者達が集うため、他では目にすることのない魔法道具マジック・アイテムが様々な場所で見られることも特色の一つだ。人外の生物なども多く、今日もラカンカナルは雑多な様相を呈していた。

 ラカンカナルの街を抜けて巨大な門をくぐると、そこに王城が聳えたっている。スレイバル王国の王城は一部が一般にも開放されているが、行き来する者はそのほとんどが、王城内に研究室ラボを持っている研究者達である。そんな研究室が立ち並ぶ一角に、ユアン=S=フロックハートを室長とする古代魔法の研究室はあった。

「頼む、同志! その異世界の通信機を譲ってくれ!」

 いきなり研究室にやって来て、これまた唐突に土下座をして見せたのは、スキンヘッドに色眼鏡という類を見ない出で立ちをしている青年。王城内に研究室を与えられている彼は、名をマッドという。そしてマッドに土下座をされたのは、白いワイシャツにチェックのミニスカートといった、これまたあまり見かけない服装の少女。宮島葵という名の彼女は、マッドの奇行に驚いて目をぱちくりさせた。

「異世界の通信機って、これ?」

 ちょうど手にしていた携帯電話を、葵はマッドに示して見せた。頭を上げたマッドは携帯電話を見て、大きく頷いて見せる。

 マッドと葵は一時期、同じアパルトマンで共同生活をしていたことがある。その時に壊れてしまった携帯電話を修理してくれたのが、誰あろうマッドだったのだ。後から聞いた話だが、もともと彼は異世界の文明について独自の研究を行っていたらしい。直した時には知らなかった携帯電話の価値を、葵が間もなく異世界に帰還するという段階になって気付いてしまったのだろう。そして研究人間であるマッドは、どうしても欲しくなってしまったのかもしれない。

「マッド、それはダメだよ」

 葵が答えるよりも先に口を開いたのは、この部屋の室長であるユアンだった。その理由を、彼は続けて語り出す。

「アオイが異世界に帰る時は向こうにいる友人と通信している状態にしてもらいたいんだ。その方がより安全に帰れるだろうからね。だから、ダメ」

 この国に暮らす者にとって、ユアンの言葉は絶対である。マッドは口惜しそうに葵の携帯電話を見つめていたが、室内に第三者が現れたことによってすごすごと引き下がっていく。ごめんねと声を掛けながら退室していくマッドを見送った後で、葵は新たな訪問者達に目を向けた。

「いらっしゃい」

 葵が笑顔で迎えたのは、綿菓子のような外見の愛らしい少女。薄桃色の長い髪とヴィクトリアン・モーヴの瞳が印象的な彼女はこの国の王女で、名をシャルロット=L=スレイバルという。

「今日も、お勉強」

 決して口数が多い方ではないシャルロットが喜々として胸に抱いているのは、葵が生まれ育った世界で使っていた日本史の教科書だった。彼女が何故そんなものを持っているのかといえば、そこには少し、込み入った事情がある。

 葵はこの世界で恋人となったハルと共に、生まれ育った世界に帰ることを決断した。しかしそこには、越えなければならない高い壁が幾重にも連なっている。その最たるものが言葉であると、ユアンが教えてくれた。葵が初めから異世界の言葉を理解出来たのは、召喚の際にそういった魔法が組み込まれていたからである。それはユアンの博識が成せる業なのだが、さすがの彼も、異世界の言語についての知識はない。そのため今のままでは生まれ育った世界に帰還した途端、ハルとも言葉が通じなくなってしまうのだ。そのため、送還に使用する魔法陣に言語を組み込みたいと言うユアンに、葵は『あいうえお』から読み書きを教えた。ひらがなとカタカナ、そして漢字が混在する日本語にユアンは悪戦苦闘していたが、いったん法則を理解してしまえば、あとは神業のようだった。一ヶ月足らずで見事日本語をものにしてしまった彼は、すでに日本史の教科書を読破している。

 ハルがフロンティエールに旅立った翌日から、葵はユアンに言葉を教え始めた。その勉強会を毎日続けているうちにシャルロットが興味を示し、参加するようになったのだ。ユアンが教え上手ということもあって、シャルロットは瞬く間に日本語を理解してしまった。そして最近では、日本の歴史が面白くて仕方ないらしい。

「ナクヨ、うぐいす平安京。イイクニツクロウ、鎌倉幕府。イチゴパンツ、信長さん」

 シャルロットがはしゃぎながら語呂合わせを唱えるので、葵は絶句するより他なかった。どこでそんなものを覚えたのか尋ねてみると、彼女は教科書に書いてあったと言う。そのページを見せてもらうと異世界の友人である弥也ややの字で、教科書の隅に殴り書きがしてあった。しかも信長のくだりは、パンツのイラストまでついている。この教科書は借り物であるため、葵もこんなラクガキがあることを知らなかった。ひとしきり笑った後で、葵は感嘆のまなざしをシャルロットに向ける。

「すごいね」

 一体どれだけ読み込めば、こんなラクガキまで発見することが出来るのか。その熱意に敬服すると共に見習わなければならないと、葵は強く思った。

「シュシュはどの時代が好き?」

 すでに日本史の教科書を読破しているユアンが、シャルロットに尋ねている。シャルロットは悩んだ末、平安時代と答えた。その理由はどうやら、十二単がきれいで目を奪われたからというものらしい。なんとも少女らしい答えに対し、ユアンは近現代が好きだと持論を述べた。

「特に文明開化のくだりがいいよね。古きを大切にしつつも新しいものに順応するのは調和の理想だと思うんだ」

 ユアンもシャルロット同様、すっかり歴史にはまってしまっている。会話だけ聞いていると、ここが異世界であることを忘れてしまいそうだ。二人の話は次第にマニアックなものになっていって、ついていけなくなった葵は教科書があって本当に良かったと思った。

「フェアレディ、そろそろ戻りましょう」

 盛り上がりに水を差したのは、シャルロットと共に現れた白い青年だった。髪や肌が真っ白で、服装まで白で統一している彼の名はローデリック=アスキスという。

「普段の勉強にもそれくらい熱意を持っていただけるといいのですが」

 シャルロットの教育係であるローデリックは、異世界のことで盛り上がる彼女に呆れている様子だった。珍しく不服を露わにしたシャルロットは、頬を膨らませて拒んでいる。それを見た葵が可愛いなどと思っていると、ユアンがニコニコしながらローデリックに声をかけた。

「シュシュと一緒にいるから、ロルもだいぶ詳しくなったんじゃない?」

「それは……まあ、無知ではありませんが」

「ロルはどの時代が好き? 人物でもいいよ」

 笑顔の重圧に晒されて、言葉を濁していたローデリックもやがては答えを口にする。彼の口から出てきたのは伊能忠敬という人物の名で、眉根を寄せた葵は空を仰いだ。

「何した人だっけ?」

「江戸時代の商人で、初めて正確な地図を作った人だね」

 記憶を探っている葵に解説を加えると、ユアンは再びローデリックに向き直った。

「伊能忠敬のどんなところが好きなの?」

「……驚くべきはその執念であると思います。自らの足で国土を測量し、その全容を明らかにするなど、尋常ではない」

 そのために伊能忠敬は、十七年もの歳月を費やしたのだという。そのストイックさは、一人の人間として魅力的だと感じる。ローデリックがそんなことを言っているので、あ然とした葵は開いた口が閉まらなくなった。

(分かっては、いたけど……)

 ここにいるのは選ばれし者達で、皆頭の出来が違う。そのことを改めて痛感させられた葵は、ことさら自分が凡庸に思えてきた。非常に今更ではあるが、自分はものすごい人達に囲まれているのだ。しかしそれを異様だと感じるあたり、まだ普通の感覚を残しているということなのだろうか。

(う、う〜ん?)

 考えているうちに自分が何を思考しているのか分からなくなり、葵は気にすることを止めた。そうこうしているうちに結局、シャルロットはローデリックに連れ去られてしまう。再び二人きりになると、ユアンが声をかけてきた。

「アオイに伝えないといけないことがあったんだ」

「何?」

「結婚式の招待状、送っておいたから」

 ハルがフロンティエールから戻り次第、葵は結婚式を挙げることになっていた。その準備も一手に引き受けているユアンは、葵とハルに縁のある者は全てに声をかけたという。その話を聞いて葵が真っ先に思い浮かべたのは、漆黒の髪色と同色の瞳を持つ少年の姿だった。

「全部って……ほんとの全部?」

「うん、思いつく限り全部。キリルだけは、ちょっと別口にしておいたけど」

 ユアンが口にしたのは先程、葵が真っ先に思い浮かべた人物だった。エクランド公爵家の子息である、キリル=エクランド。葵とハルは彼をひどく傷つけて、付き合うことを選択した。そんな人物に結婚式の招待状を送りつけるなど、悪質なイヤガラセになりはしないだろうか。葵がそうした不安を口にすると、ユアンは心配ないと諭した。

「だから別口にしたんだよ。それに、キリルにとってもいい機会だと思うんだ」

 招待状を受け取ったキリルがどうするのかは、分からない。ただ、この機を逃せば、葵とハルには永久に会うことが出来なくなるのだ。どういった形であれ、これが過去を清算する最後のチャンスとなる。ユアンがそう言うので、葵はなるほどと思った。

「キリルに、会いたくない?」

 ユアンが問いかけてきたので、葵はすぐさま首を横に振った。気まずいから会いたくないなどと言う気は、毛頭ない。むしろもう一度会って、きちんと謝罪をしたいと思う。しかしそう思うこと自体、身勝手なのではないだろうか。そうした葛藤を打ち明けると、ユアンは小さく首を振って見せた。

「アオイがキリルのためにしてあげられることは、もう何もないんだと思う。あとはキリル自身がどう考えるか、だね」

「……そっか。そう、かもね」

「来てくれるといいね、結婚式」

 実現する可能性が薄いことは、おそらくユアンも承知で言っているのだろう。もしもキリルがそれでも来てくれたなら、その時は殴らせろと要求されたとしても受け入れようと、葵は深く頷いて見せた。






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