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 オレンジの色味が強い月が、上空に浮かんでいた。この色合いの月は夏月かげつ期中盤のもので、これがさらに深みを増していくと、夏が終わりに近付いて行く。晩夏が迫った橙黄とうこうの月のある日、とある貴族の邸宅に三人の青年の姿があった。

「私の許に、このような物が届いた」

 初めに口火を切ったのは黒髪に同色の瞳といった、世界でも珍しい容貌をしている青年。彼は東の大陸を治めているスレイバル王国の貴族で、名をハーヴェイ=エクランドという。今宵の集まりは彼から招集があったもので、ここはエクランド公爵家が所有する別邸の一つである。その一室でハーヴェイが懐から取り出したのは、一通の手紙だった。

 魔法が発達しているスレイバル王国では、手紙を送る際に紙を使用する必要はない。アン・レトゥルという呪文一つで、文字だけを相手に送ることが出来るからだ。しかしハーヴェイの取り出した『手紙』は、わざわざ紙面に起こされたものだった。加えて異質なのは、その手紙が収められている封筒に王家の紋章が刻印されていることだ。その封筒の表面には一言、招待状と書かれていた。

「私も同じ物を持っている」

 ハーヴェイに続いて封筒を取り出したのは、明るいブラウンの髪とミッドナイトブルーの瞳が印象的な青年。ハーヴェイと同じく貴族である彼は、名をロバート=エーメリーという。ロバートが手にしている封筒にも招待状と書かれていて、二人が持っている物はまったく同じだ。内容を確かめ合うと、ハーヴェイとロバートは金髪の青年に視線を傾けた。

「どういうことなのか説明してもらおう」

 眉間にシワを寄せているハーヴェイから説明を求められた青年は、名をアルヴァ=アロースミスという。彼はハーヴェイやロバートのように貴族ではないが、彼らとは旧知の間柄だった。

「どうもこうも、書いてある通りだよ」

 ハーヴェイとロバートは、すでに手紙の内容を確認している。そのうえで尋問されても困ると、アルヴァは軽く肩を竦めて見せた。だがハーヴェイは納得せず、不快感を露わにした彼は語気を強める。

「内容には目を通した。だが、結婚式の案内とはどういうことだ」

 ハーヴェイやロバートが手にしている招待状は、ミヤジマ=アオイという少女とハル=ヒューイットという少年の結婚を知らせるものだった。彼らの挙式が、来たる伽羅茶きゃらちゃの月の初めに行われる。それは紙面を見れば解ることで、ハーヴェイが尋ねてきているのは別のことだ。彼の憤りも理解していたが、あえて淡々と、アルヴァは言葉を紡いだ。

「ミヤジマは生まれ育った世界に帰ることになった。ハル=ヒューイットはそれに同行するそうだ」

 ハルはこの世界で生まれ育った少年で、異世界に行くことは家族や友人との永遠の別離を意味する。だからその前に、けじめとして挙式するのだろう。アルヴァがそう伝えると、それまで憤っていたハーヴェイは絶句してしまった。ロバートは驚かず、楽しげな嘆息を零す。

「あえて茨の道を進むか。これは祝福せねばなるまいな」

「ミヤジマは君に来て欲しくないと思うけどね」

 スレイバル王家の名の下に、葵と縁のある者達に招待状を送ったのはユアンだ。どうやら彼は、少しでも葵と関わりのあった者は全て招待する気でいるらしい。盛大な式になるとは聞いていたが、まさかハーヴェイやロバートの所にまで招待状が届いているとは思わず、アルヴァは深々とため息をついた。

「君も、出席するのか?」

 驚きを収めたハーヴェイが遠慮気味に尋ねてきたので、アルヴァはすぐさま頷いて見せた。大丈夫なのかと問われはしなかったが、ハーヴェイの顔には複雑そうな心中が滲み出てしまっている。気遣いは無用であることを告げて、アルヴァは言葉を重ねた。

「いいんだ、もう」

 この結婚で新婦となるミヤジマ=アオイという少女を、アルヴァは一人の女性として愛していた。しかしこの気持ちは、決して報われることはない。それが明らかとなった時、アルヴァは傍にいる苦しみよりも離れる辛さを選択した。そうして距離を置いたアルヴァを、葵は受け入れることが出来なかった。自責に駆られながらも、彼女は以前と変わらぬ親しみを求めてきたのだ。相反する思いに苛まれている葵の泣き顔を見た時、アルヴァはどうでも良くなってしまった。愚かで優しい彼女を、どうあっても愛さずにはいられないのだから。

 アルヴァは多くを語らなかったが、ハーヴェイもそれ以上の追及はしてこなかった。ロバートも黙ったままだったので、アルヴァは気になっていたことをハーヴェイに尋ねてみる。

「君の弟は、あれからどうしてる?」

 ハーヴェイの弟であるキリル=エクランドは、アルヴァと同じく葵に好意を寄せていた。葵の恋人であるハルはキリルの友人でもあったので、彼はアルヴァよりもさらに失恋のショックが激しかった。精神的なダメージは肉体まで壊しかけて、キリルは廃人のようになってしまったのだという。葵とハルの結婚を聞いてハーヴェイが憤っていたのも、そのためだ。

 アルヴァからの問いかけに、ハーヴェイは少しずつだが回復してきていると答えた。それというのもキリルの友人達が、毎日欠かさず会いに来ているかららしい。彼らは無反応のキリルに根気よく話しかけ、反応が返ってくるのを待った。そのうちにキリルも人間らしい感情を取り戻していったとのことだが、まだ言葉を発するには至っていないようだ。そうした話を聞いて、アルヴァは「そうか」と相槌を打った。ユアンから聞いた話を併合すると、キリルの見舞いに行っていたのはオリヴァー=バベッジとクレア=ブルームフィールドだろう。お節介な彼らは面倒見が良く、傷心の友人を放っておける性質ではない。そしてキリルの分の招待状を引き受けた彼らは、本人に直接渡すと言っていたらしい。しかし未だそのような状態では、キリルが結婚式に来ることはないだろう。

(だが、それでいいのか?)

 一つの恋が終わっても、人生は続いていく。幸いなことに友人にも恵まれているし、キリルもいつかは立ち直ることだろう。緩やかに時間をかければ、それは決して難しいことではない。だがこの機を逃せば、葵やハルとは永久に会えなくなるのだ。憎み続けるにしろ和解するにしろ、もう一度だけ彼らと会うことは、キリルの今後のために必要なことだと思われた。

 アルヴァとキリルは、決して親しい間柄ではない。それどころかキリルは、アルヴァのことを疎ましく思っていた。アルヴァ自身もキリルに対して特別な感情を抱いていたわけではないのだが、気になってしまうのは同じ穴の狢だからだろう。自分が一つの結論に辿り着いたように、彼にも彼なりの清算をしてもらいたい。しかしそう思っていたとしても、アルヴァの口からそれを伝えるのは逆効果にしかならない予感があった。

「早く、立ち直ってくれるといいな」

 健闘を祈ることしか出来ないアルヴァが独白を零すと、それを聞いたハーヴェイが目を剥いた。

「キリルに同情、しているのか?」

「そうじゃない。ただ、同じ相手を好きになった者にしか見えないこともあるという話だ」

 それは考えたこともない次元の話だったようで、反応を返せずにいるハーヴェイは結局、口を噤んでしまった。ロバートは笑っていて、男を上げたなと茶化してくる。そのどちらにも反応を示さず、アルヴァはグラスに注がれた濃紅色の果実酒を静かに口へ運んだ。






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