「あのね、バラージュにも会ったんだ」
葵が口にしたバラージュという青年は、召喚魔法を使ってレムやヨウコを呼び寄せた人物である。葵がバラージュを探していたことをレムは知っているが、実際に出会ったと聞き、彼女はひどく驚いていた。
『生きていたの?』
レムは長寿な種族だが、バラージュはこの世界の一般的な人間である。その彼が、どのようにして千年という歳月を生き永らえてきたのか。それを簡単に説明してから、葵はバラージュと話した内容も伝えた。その当時を直接的に知っているレムは憂いの表情を見せながら話を聞いていたが、やがて葵が話し終わると、穏やかな笑みを浮かべて見せる。
『彼を解放してくれて、ありがとう』
「私は何も……」
『いいえ、あなたの存在がなければバラージュが救われることはなかったし、わたしが自由になることもなかったわ。本当に、ありがとう』
「……私、向こうに帰ったらヨーコさんに会うね。レムのことも、伝えるから」
『あなたとヨーコの幸せを、願っているわ』
それじゃあと手を振ると、レムは海の中に姿を消した。指が自然とスイッチから離れたため、空中に映し出されていた映像も途絶える。レムに別れを告げさせてくれた
「ありがとう、」
「どういたしまして。少しでも酬いることが出来たなら光栄だわ」
「十分だよ」
磨壬弧との過去は、今更変えることは出来ない。しかし彼女がやむにやまれずハンターをしていたことも知っており、憎む気にはなれなかった。加えてこうも厚意を示されたのでは、感謝の念しか浮かんでこない。葵が泣き笑いのような表情を作ると、それを見た磨壬弧は「相変わらず甘いわね」と笑っていた。
「アオイ、ちょっとええか?」
和やかな空気が漂う場に、どこからかクレアの声が聞こえてきた。人の間を縫うようにして姿を現した彼女は、父親であるアンダーソン伯爵を連れている。面倒そうな表情をしていたクレアは、何故か磨壬弧の姿を捉えると表情を一変させた。瞬きをする間にクレアが磨壬弧の胸倉を掴み上げたので、何が起きたのか分からなかった葵は瞠目する。
「クレア!?」
「よくもまあ、抜け抜けと顔出せたもんやな!」
激しい怒りを露わにしているクレアは磨壬弧しか見ておらず、葵の叫びは届かなかったようだ。胸倉を掴み上げられていても平然としている磨壬弧は、葵に向かってウインクして見せる。
「それじゃあ、退散するわ。元気でね」
言うが早いか、磨壬弧は流れるような動きでクレアの手を叩き落とした。そのまま彼女は、脱兎の如き素早さで人混みの中へと消えて行く。怒りが収まらない様子のクレアは追いかけようとしていたが、それはアンダーソンに制されていた。
「クレア、落ち着け」
暴れる娘を必死で抑えようとしているアンダーソンを見て、尋常ではないと思った葵は周囲にいた者達に別れを告げた。その後、アンダーソンと二人でクレアを引きずって、壁際まで連れて行く。人目につきにくい場所へ移動した頃にはクレアもだいぶ落ち着いていて、話が出来る状態にはなっていた。
「どうしちゃったの?」
葵が尋ねても、クレアは答えなかった。どう説明すればいいのか考えている風の娘を見て、アンダーソンが代わりに口を開く。磨壬弧は以前、ハンターとしての身分を隠すために偽名を使って葵に近付いてきた。その時に使用されたエレナという名が、クレアの母親のものだったのだ。母の名を語って悪事を働いていた磨壬弧を、クレアはどうしても許せなかったらしい。そうした事情を聞いた葵は怒って当然だと、クレアに同意を示した。
「……もう、ええわ」
嘆息と共に言葉を紡いで、それでクレアは気分を変えたようだった。取り乱したことを葵に謝ってから、彼女は改めて父親を見る。
「おとんがアオイにあいさつしたい言うてな。一人じゃ心細いとかぬかしよるから、連れて来たわけや」
「あ、ああ……そうだったんだ」
仕様もない理由だが、気持ちは分からなくもない。そう思った葵は苦笑いをしてから、アンダーソンと挨拶を交わした。彼と会うのはクレアの故郷である
「娘の親友の結婚式だ、是非参加せねばと駆けつけたのだが、若者ばかりで戸惑ってしまってね」
「そうですよね。すみません」
「アオイが謝ることあらへん。こっちが勝手に来ただけや」
「私も招待状を受け取ったのだぞ? 勝手に来たわけではない」
「そういうこと言っとるんやない。祝う相手に気ぃ遣わせてどないするんやって言うとるんや」
「おお、そうか。これはすまなかった」
クレアから指摘されたことで、アンダーソンは今気づいたと言わんばかりに申し訳なさそうな表情を作った。その傍らで、クレアが深いため息をついている。この親子にはしっかり者の娘と頼りない父親という関係性がすっかり定着していて、微笑ましく思った葵は笑みを浮かべた。色々とあったようだが、この親子はこれからも仲良くやっていくだろう。
クレア親子と話していると、そのうちに賑やかな集団がやって来た。誰もが礼服に身を包んでいたので最初は分からなかったのだが、同年代の彼らはトリニスタン魔法学園に通っていた時の同級生達だ。葵はもう久しく顔を出していなかったが、クレアは未だ学業と仕事を両立している。それなりに付き合いもあるようで、クレアが親し気に声をかけた。
「なんや、おたくらも来とったんか」
「来ないわけないだろう? なんたって、うちの学園から誕生したビッグカップルなんだから」
「そうそう! アオイさん、おめでとう!」
「変わってるとは思ってたけど、まさか異世界からの来訪者だったなんてな」
興奮気味に話しかけてくるのはアステルダム分校三年A一組の男子生徒達だ。葵としては特別親しかった者がいるわけではないのだが、さすがに一年ほど同じクラスにいれば馴染みはある。それなりに弾んでいる若者達の会話を前にして、独特の空気について行けなかったらしいアンダーソンは静かに辞去していった。
「お父さん、いいの?」
クレアはその場に残ったので、葵は念のため尋ねてみた。すると案の定、クレアは軽く手を振ってあしらう。
「ええねん。あのまま話しとっても、どうせうちにもええ人おらんのかーいう話になるんやから」
耳にタコが出来ると、クレアはげんなりしている。容易に想像がついた葵は苦笑に留めたが、その会話を聞いていた男子達が食いついてきた。
「ブルームフィールドさんだったら、オリヴァー様がいいんじゃないか?」
「最近、仲良さそうだしな」
男子生徒達が口々にお似合いだと言うので、葵も密かに同意を示してしまった。しかし当の本人はその気がないのか、煩わしそうな表情になる。
「うっさいわ。何で
TPOを弁えろと説教しているクレアを見て、葵は思わず笑ってしまった。全員制服は着ていないが、まるで学園にいるような雰囲気だ。最初からこういう学園生活を送れていれば、もう少し楽しい思い出が出来ていたのかもしれない。別の意味での感慨は、嫌というほどにあるのだが。
「女子連中はどないしたんや?」
クレアが話題を変えたので、ニヒルな笑みを浮かべそうになっていた葵も表情を改めた。言われてみれば、周囲にいるクラスメートは男子ばかりだ。学園での出来事を回顧するに、女子は来ていないのかもしれない。葵はそう思ったのだが、クレアと男子の会話を聞いていると、そういうわけでもないらしい。
「ハル様の所じゃないのか?」
「あ、噂をすれば」
一人の男子が指差した方を見ると、きらびやかに着飾った少女の集団が近付いて来るのが見えた。トリニスタン魔法学園アステルダム分校、三年A一組の女子達だ。男子生徒を掻き分けるようにして葵の傍へ来ると、彼女達は一様に祝福の言葉を口にする。それが終わると、今度は質問攻めが始まった。
「後学のためにお聞きしたいのですが、あのハル様をどのようにして射止められたのです?」
「ステラ様とアオイさんはタイプが違いますものね。ハル様が見初めたアオイさんの魅力、是非お聞かせ願いたいですわ」
「おたくらなぁ……」
最後の最後までそれかと、クレアが呆れ果てている。葵としても苦笑いするしかない場面だったが、男子が話題を変えたのでそちらに気を取られた。
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