最後の夜

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「そういえば、ステラ様も来てたよな」

「ああ、さっき見かけたな」

 クラスメートだった男子達がそんな会話をしているのを耳にして、葵はそちらに意識を集中させた。彼らが話題に上らせたステラ=カーティスは元アステルダム分校のマジスターで、ハルの恋人だった少女だ。そして葵とは、友人の間柄でもある。そちらに行きたいと思った葵はクラスメート達との会話を切り上げることにした。

「じゃあ、みんな元気で」

 手を振る葵に男子達は笑顔で手を振り返し、まだ質問の答えを得ていなかった女子達は不満そうな顔をしていた。彼女達にとっては質問の解のみが重要で、二度と会えなくなる葵のことなどどうでもいいのだろう。最後までブレないなと思った葵が笑っていると、クレアがそっと声をかけてきた。

「アオイ、あそこ見てみぃ」

「ん?」

 クレアに促されて視線を傾けると、そこには三人の少女の姿があった。真ん中に立っている吊り目の少女はココ=ベラミー、サイドテールの少女はシルヴィア=エンゼル、内巻きカールの少女はサリー=バーロウである。彼女達はいずれも元クラスメートで、葵とはそれぞれ、浅からぬ因縁がある。まさか彼女達まで来ているとは思わず、驚いた葵は目を見開いた。

「招待状はクラス全員に送られたみたいやけど、来るとは思わんかったわ」

 ココ達と因縁があるのはクレアも同じで、彼女も葵と同じ考えを抱いていたようだ。こちらから歩み寄るような間柄でもなかったので、葵とクレアは足を止めたままでいる。ココ達もこちらを見ていたが、彼女達の方から近付いて来ることもなかった。

(何も言うこと、ないんだろうな)

 自分がそうであるように、彼女達もきっと交わす言葉を持たないでいるのだろう。ただ彼女達は、参加を拒否することも出来たはずの結婚式に来た。彼女達の真意がどうであれ、もうそれだけでいいのではないか。そう思った葵はクレアに向かって口火を切った。

「行こうか」

「……せやな」

 クレアも頷いたので、再び並んで歩き出す。ステラの姿を求めて大広間をうろついていると、パーティーの裏方に徹しているはずのユアンと出会った。彼は一人ではなく、一緒にいた人物に目を留めた葵は驚愕する。クレアも驚いていて、彼女は目を丸くしながらユアンと一緒にいた人物に話しかけた。

「えらい、久しぶりやな。おたくらも来とったんか」

 ユアンと一緒にいた人物は二人いて、スキンヘッドの青年はマッドといい、灰色の髪の青年はアッシュという。二人ともその呼び名は本名ではないのだが、葵とクレアにとってはニックネームの方が馴染み深かった。ワケアリ荘というアパルトマンで共同生活をしていた時、そう呼んでいたからだ。

 ワケアリ荘の突然の消失によって、そこで共同生活をしていた者達は散り散りになった。マッドは王城に研究室を持っているので、王城に出入りしていた葵は顔を合わせる機会もあったのだが、アッシュに会うのは久しぶりのことだった。クレアにとっては二人ともしばらく会っていなかった人物で、彼女は特にマッドのことを、しげしげと見つめている。

「相変わらず変やな」

 マッドは眉毛が薄く、スキンヘッドで、加えていつも色眼鏡を着用している。ただでさえ人目を引いてしまう見た目をそのままに礼服を着用しているものだから、彼の奇妙さはいっそう際立っていた。クレアの物言いもあんまりなもので、吹き出しそうになった葵は顔を背ける。相変わらず変だと言われた当人は、何故かオドオドした様子でアッシュの影に隠れてしまった。

(そういえば、マッドって……)

 ふと、あることに思い至った葵は真顔に戻ってマッドとクレアを見比べた。同志と認められてからは普通に接していたが、マッドは初め、かなり挙動不審な人物だった。おそらくは人見知りなのだろうが、そうした人物にとって良くも悪くもストレートなクレアは苦手な部類なのかもしれない。

「ほら、マッド。クレアにお願いがあるんじゃなかったの?」

 ユアンが見兼ねた様子で容喙すると、マッドは気持ちを立て直したようだった。アッシュの背後から出てきた彼は、何故かクレアではなく葵に向かって言葉を紡ぐ。

「形状記憶カプセルを一つ、もらいたいのだ」

 形状記憶カプセルとは魔法生物の体内で生成される、魔法道具マジック・アイテムのようなものだ。クレアは魔法生物であるマトを連れているため、彼女に頼めば、それを入手することは可能だろう。可否を下すことの出来ない葵がクレアを振り向くと、彼女は眉根を寄せてマッドに向かう。

「なんでアオイに言うとんねん」

「ひいっ」

 クレアは至って普通に話しかけたのだが、過剰反応を示したマッドはユアンの背後に逃げ込んだ。そのあまりの怯えように、ハッキリしないことが嫌いなクレアが怒り出す。

「その態度はなんやねん! 言いたいことがあるんやったらハッキリ言わんかい!」

「ひいぃぃぃ!」

「クレア、落ち着いて」

 クレアががなった所でユアンが仲裁に入り、その場を収めようとしている。そんな光景を、葵は懐かしさを覚えながら眺めていた。もう一人、葵と同じ気持ちでいる者がいたようで、その人物は静かに口火を切る。

「マッドもクレアも、相変わらずだね」

 その科白は独白のようにも聞こえたが、葵は声を発した青年に視線を移した。目が合うと、アッシュは小さく笑みを浮かべる。

「久しぶり。元気だった?」

「うん……アッシュは?」

「それなりに。今は家督を継ぐために精進してるよ」

 アッシュの本名はアイネイアス=オールディントンといい、彼は伯爵家の子息である。ワケアリ荘にいた時と感じが違うのは、彼が再び貴族としての人生を歩み始めたからだろう。それでも葵にとって彼はアッシュという青年で、一方的な別れ方をしてしまった元恋人だった。

 ワケアリ荘が消失した時、そこに住んでいた者達は別れの挨拶をする間もなく離れ離れになった。そのためアッシュはトリニスタン魔法学園アステルダム分校まで、葵を訪ねて来たのだ。そこで本音の話し合いをし、交際に終止符を打った。別れ際にアッシュが再会を期する言葉を発しなかったため、葵も彼とはもう会うことがないだろうと思っていた。そんな相手と今、互いに近況を報告し合っている。共に昔を懐かしめることを、葵は不思議だと感じていた。

(優しいな)

 ワケアリ荘での生活を懐かしんでも、アッシュは交際していた時のことは口にしようとしない。罵られてもおかしくないことをしたのに、彼は別れの時も葵を責めることはしなかったのだ。恋人という関係はうまくいかなかったが、その優しさに救われていたことは紛れもない事実だ。これが最後の会話ということもあって、葵は伝えられずにいた感謝の念を言葉に乗せた。

「ありがとう、」

 突然の謝意だったにも関わらず、アッシュには真意が伝わったようだった。彼は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに困ったように笑む。そしてそのことには触れず、何事もなかったかのように昔話を続けた。

「管理人やレインは来ていないんだね」

 アッシュが口にしたのはワケアリ荘の管理人をしていた青年と、同じく共同生活をしていた少女のことだ。彼らがいればワケアリ荘の住人が勢揃いなわけだが、それが叶わないことを知っている葵は小さく首を振る。それだけで何かを察したのか、そうかと呟いたきり、アッシュも黙り込んだ。

(……懐かしい)

 ワケアリな者達ばかりが集っていたアパルトマンでは、相手が口ごもったことに対しては追及しない決まりになっていた。そうした気遣いはまだ生きていて、葵は失ってしまった空間に思いを馳せる。草原の中にぽつんと佇むワケアリ荘では、大地から立ち上るように青草の匂いが香っていた。月夜にワケアリ荘の屋根に上って、管理人やレインと語り合ったことが忘れられない。雨の記憶と共にずっと大切にしようと、葵は胸に手を当てた。

 葵が感傷的な気分に浸っていると、マッドと揉めていたはずのクレアがこちらに来た。マトが話に参加したがっているというので、葵はクレアの肩にいるワニに似た魔法生物の体に触れる。マトは人間と同じ言語は持たないが、触れることによって意思の疎通をすることが出来るのだ。ワケアリ荘で共に月を眺めた仲間である彼は、葵と同じ気持ちでいることを伝えてくれた。

「それとな、マッドが頼みたいことがあるんやて」

 マトを肩に乗せているため、葵と彼の対話はクレアにも伝わっていたのかもしれない。ちょうど話の切れ目で、クレアが次なる話題を持ち出してきた。さっそくマッドに話を聞きに行ってみると、彼は携帯電話を形状記憶カプセルに複製コピーさせて欲しいのだという。本体を欲しいと言われた時には断らざるを得なかったため、葵は快くマッドの申し出を承諾した。

「まだ諦めてなかったんだね」

「稀有な研究対象が目の前にあるのに、そう簡単に諦められるわけがないだろう」

 色眼鏡の奥に隠されているマッドの瞳が、爛々と輝いているかどうかは知る由もない。だが熱意は疑いようもなく、出来ることがあるのなら協力したいという気になる。その後、形状記憶カプセルへのコピーが完成したところで、葵はクレアと共にマッドとアッシュに別れを告げた。






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