最後の夜

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 王立の名門校であるトリニスタン魔法学園の本校に通うステラとマシェルは、学園長から特別な許可を得て結婚式に参加していた。そのため明日の見送りには来ることが出来ず、この場が最後になるとのことだった。あまりゆっくりもしていられないということだったので、テラスから大広間に戻った葵はマシェルとも別れの挨拶を交わした。互いの健勝を願ったところで、ステラとマシェルは暇を告げる。笑顔で去って行った彼らを葵が切ない思いで見送っていると、その横でハルが大きなあくびを零した。

「公の場なんだから、我慢しなよ」

 招待客に失礼だと、ハルを諌めたのはウィルだった。オリヴァーは苦笑しながら、ハルに眠いのかと問いかけている。目をしょぼしょぼさせながら頷いたハルを見て、葵はあることを思い出した。

(そういえば、フロンティエールから帰ってすぐだったもんなぁ)

 ロイヤルファミリーへの報告が終わると、すぐに結婚式という流れになった。葵はともかく、旅先から帰ったばかりのハルにはハードスケジュールだったことだろう。疲れるのも無理ないと思った葵は、気になったことを口にしてみた。

「このパーティーっていつまで続くんだろう?」

「テキトーに帰ったらええんちゃう?」

 もともとこのパーティーは、葵とハルが親しかった者達に別れを告げるために催されたものだ。挨拶にどれだけの時間がかかるか分からないため、特に終わりを決めてはいないのだろう。もう会いたい人がいないなら帰ればいいとクレアが言うので、葵は取りこぼしがないか考えを巡らせた。

 この場で再会を果たしていない者を思い浮かべた時、葵の脳裏にはザックとリズという庶民の兄妹が浮かんだ。彼らとはこの世界に召喚された当初に親しくしていたのだが、とある事情から、絶縁を宣言されている。今なら誤解を解くことも出来るだろうが、それをすることに大した意味があるとも思えなかった。貴族とは住む世界が違うと言っていた彼らの平穏を、今更壊したくはない。

(会わない方がいいかな)

 そう思った葵は心の中だけで、優しくしてくれた兄妹に別れを告げた。あとはもう一人、出来れば会いたかった人物がいる。

(…………)

 周囲にはハルがいて、オリヴァーがいて、ウィルがいて、クレアがいる。彼らはトリニスタン魔法学園アステルダム分校で、共に過ごすことの多かった者達だ。しかし今は一人、日常の風景から欠落してしまった者がいた。招待状は送っているということだったので、この場に姿がないことが、彼の答えなのだろう。

「私はもう、会いたかった人には大体会えたかな」

 傷つきそうになるのを振り切って、葵はハルを振り向いた。ハルの方は大丈夫かと尋ねてみても、彼は無感動に頷いて見せる。キリルのことに触れないのは、まだ明日があるからだろうか。葵がそうしたことを考えていると、オリヴァーがあらぬ方向に顔を傾けた。

「アオイ、アルヴァさんには会ったのか?」

 オリヴァーが問いかけてきたことで、葵はアルヴァ=アロースミスが近付いて来ていることを知った。そういえば今日は会っていないと、葵もオリヴァーが見ている方向に顔を傾ける。

(うっ、)

 人混みの中に見知った青年の姿を確認した刹那、葵は頬を引きつらせた。その理由はアルヴァの横に、会いたくなかった人物を発見してしまったからだ。同じものに目を留めたらしいクレアが、すかさず帰れと言ってくれる。強引に背中を押すクレアの厚意に甘えることにして、葵はハルと共にそそくさとパーティー会場を抜け出した。






 アルヴァが旧友であるロバート=エーメリーとハーヴェイ=エクランドを伴って現れたのは、すでに葵とハルが会場を去った後のことだった。まだ話が出来る距離ではなかった頃から互いを認識していたため、葵とハルが不自然な形で退場したのは目にしている。そのためアルヴァはクレアに向かって口火を切った。

「何事?」

「アイサツ回りで疲れたんやて」

 クレアはしれっと答えたが、帰り際の慌ただしさは別の原因があることを示唆していた。その理由に、アルヴァはすぐ思い当たることになる。アルヴァから視線を外したクレアが、鬼のような形相でロバートを睨んだからだ。

「なにやら敵愾心てきがいしんを感じるな」

 クレアからの鋭い視線を意外そうに受けて、ロバートは同意を求めるかのようにアルヴァを振り向いた。アルヴァが何も言わずにいると、皮肉に口元を歪めたクレアが自意識過剰だと罵っている。それで、アルヴァは確信した。

「ロバート、どうやら君の悪行が白日の下に晒されたらしい」

「聞こえが悪い言われ方だな。せっかく祝辞を述べようと思っていたのに、新婦も新郎も退席してしまったとは残念だ」

「おたくの祝辞なんて空々しくて聞いてられんわ」

 クレアが忌々しげに毒を吐くので、オリヴァーが慌てて止めに入った。どうしたんだとクレアに問いかけているオリヴァーを、ロバートは楽しげに眺めている。アルヴァはため息をついて、独自に会話を始めたウィルとハーヴェイに視線を移した。

「ハーヴェイさんも来ていたんですね」

「招待状を受け取ってしまったからな。しかし正直なところ、このパーティーの主役がいなくなって安堵している」

 複雑そうな表情を浮かべているハーヴェイは、とても祝辞を述べるような気分にはなれなかったのだろう。それは彼自身のことというよりも、彼の身内についての事情が心情に影響を及ぼしているからだ。キリルの許に通っているクレアとオリヴァーは、誰よりもハーヴェイの心中を察したのだろう。騒いでいた彼らも真顔に戻り、その場は重苦しい沈黙に支配された。

「私はこれで失礼する」

 結婚式を挙げた二人がすでにいないのでは、この場にいる意味もない。冷ややかにそう言い置いて、ハーヴェイは帰ってしまった。それを機に、アルヴァはロバートを振り返る。

「君はどうする?」

「せっかくだ、私はもう少し、この珍しいパーティーを楽しんで行こうと思う」

「そうか。このパーティーが王室の管理下にあることを忘れるなよ」

「分かっている」

 下手なことはしないと笑って返し、ロバートも人混みに溶けていった。元々の連れがいなくなったところで、アルヴァは若者達に目を向ける。

「キリル=エクランドは、やはり来ていないか」

 来ないだろうとは、思っていた。だが実際に姿が見えないことを、アルヴァは少なからず残念に感じていた。そうした胸裏が言葉の響きから伝わったのか、クレア・オリヴァー・ウィルの三人は一斉に眉をひそめる。

「キルに同情してるの?」

 ずいぶん余裕ではないかと、刺々しい口調で言葉を発したのはウィルだ。ハーヴェイにも同じことを言われたなと思い返しながら、アルヴァは小さく苦笑する。

「別に同情しているわけじゃない。ただ、この機を逃せばミヤジマ達には永遠に会えなくなるんだ。その前に、清算しておくべきじゃないかと思ってね」

 キリルが今、葵とハルに対してどういう感情を抱いているのかは分からない。だが一時は、愛した女性であり、幼い頃からの友人であったのだ。そうした過去は容易に消し去れるものではなく、これからもキリルを苦しませ続けるだろう。そのような思いに囚われるくらいなら、どのような整理をするにしろ、もう一度だけ会った方がいい。アルヴァがそうした考えを告げると、ウィルはむっつりとした表情で黙り込んだ。クレアとオリヴァーは、驚きに目を見開いている。

「なんや、アルがキリルのこと心配してるように聞こえるわ」

「心配、してるんだよ。同じ苦しみを味わった者としてね」

 素直な気持ちを言葉にするとクレアとオリヴァーには再び驚かれ、ウィルには偽善者と罵られてしまった。それでも晴れやかな心持ちで、アルヴァは不服顔のウィルを見る。

「君はもう平気なの?」

「……何のこと?」

「答えたくないなら、いい」

「気持ち悪いし、余計なお世話なんだけど」

「そうか」

 それもそうだと笑うと、ウィルは本格的に気味が悪くなってしまったようだった。付き合っていられないから帰ると言い置き、ウィルは逃げるように姿をくらませる。アルヴァはひどい扱いだと思ったが、気味悪がっているのはクレアやオリヴァーも同じなようだった。

「アルがアルやないみたいや」

 両腕をしきりにさすりながら後ずさるクレアは、どうも鳥肌が立ってしまったらしい。オリヴァーの方は驚きを収め、真顔に戻って口を開いた。

「アルヴァさんは大丈夫、なんですか?」

「ミヤジマが幸せでさえあれば、僕はそれでいいんだ」

「……そうですか」

 果報者ですねと独白を零して、オリヴァーは笑みを浮かべる。その笑みは自分のことよりも他者を優先させることの出来る、実に彼らしいものだった。彼のような友人が傍にいてくれるなら、キリルは大丈夫だろう。早く立ち直るよう願っていると告げて、アルヴァはその場を後にした。






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