Feeling forever

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「ああ! おった、まだおったで!!」

 葵・ハル・ユアン・レイチェルの四人がトリニスタン魔法学園アステルダム分校の『時計塔』で話をしていると、バタバタ走る音と共に姿を現した人物がいた。赤味の強いブラウンの髪を振り乱し、アンバーの瞳に安堵の色を浮かべて現れたのは、葵の同居人であるクレアだ。階段を駆け上って来たらしい彼女は息を切らせていて、葵の傍まで来ると倒れこむ。足元で倒れこまれた葵は慌てて、クレアの体を抱き起した。

「クレア! って、お酒くさっ!」

 心配したのも束の間、クレアから発せられる強烈な臭気に葵は思わず手を放しそうになってしまった。葵の叫び声が頭に響いたのか、クレアは顔を歪めながら自力で立ち上がって見せる。だがフラフラしている彼女は、そのまま壁際まで流されて行った。

「あ、あかん。走ったせいで酔いが回りよる」

「だから走らない方がいいって言ったのに」

 どこからか「バカじゃないの」という毒舌が聞こえてきて、葵は声のした方に顔を傾けた。壁面にぽっかり開いた穴から現れたのは赤い髪の少年で、ふわりと着地した彼はクレアに軽蔑のまなざしを向けている。細身の少年は、この学園のマジスターであるウィルだ。どことなく、彼からも酒のにおいが発せられているような気がした。

「まったく、手間をかけさせてくれるよ」

 再び穴の方から悪態が聞こえてきて、今度はアルヴァが姿を現した。その肩には長い茶髪を無造作に括っている少年が担がれている。ウィルと同じく、この学園のマジスターであるオリヴァーだ。自力では立てないらしい彼はアルヴァの助けを借りた格好のまま、蒼白な顔を弱々しく上向かせる。

「わ、悪かった……」

「いや、もういいから帰って寝て」

 オリヴァーの醜態を見るのは初めてのことだったが、心配よりも呆れが勝った葵は思わずツッコミを入れてしまった。それがツボにはまったのか、ハルが同意しながら笑っている。

「これは、早々に別れを済ませた方が良さそうだね」

 ウィルはともかくクレアとオリヴァーは、ゆっくりと別れを惜しんでいる場合ではない。そう判断したらしいユアンが言いたいことは手短にと促すと、クレアが真っ先に口火を切った。

「アオイ、元気でやるんやで」

「う、うん。クレアこそ、飲みすぎには気をつけて」

「あ〜、あかん。最後やっちゅーのに、とんだ失態や」

 今日のことだけは忘れてくれて構わないとクレアが言うので、葵は笑みを零した。彼女のパートナーである魔法生物のマトにも感謝と別れを告げて、葵は次にウィルを見る。

「朝まで飲んでたの?」

「あの二人はね。僕は付き合い程度だよ」

 受け答えは平素の彼と変わりなかったが、ウィルも目をしょぼしょさせていた。なんだかんだと文句をつけつつ、彼はクレアとオリヴァーに朝まで付き合ったのだろう。そうした想像をした葵が頬を緩ませると、それを見咎めたウィルは嫌そうな表情を作った。

「何か、気持ち悪い想像してない?」

「え? いや、別に?」

「……もういいから、さっさと行っちゃいなよ」

 煩わしそうに葵から視線を外したウィルは、ハルにもおざなりに別れの挨拶を投げかけた。口調や態度は相変わらずだが、彼の場合、この場に来てくれたことに意味がある。ハルと話をしているウィルの背に、葵は密かに「ありがとう」と囁いた。

王女フェアレディは御帰りになられたのか?」

 ハルとウィルを見ていたらアルヴァに声をかけられたため、葵はシャルロットとローデリックが待っていられないと帰って行ったことを説明した。ぐったりしたオリヴァーを担いだままでいるアルヴァは、その話を聞いて「そうか」と独白を零す。

「後日、アスキス様には詫びを入れておこう」

 アルヴァとローデリックはとある出来事を通じて知り合い、それから時折、個人的に会ったりしているらしい。こうした細やかな気遣いは、さすがアルヴァといったところだ。その機転に、葵は幾度も助けられてきた。彼とは思い出が多すぎて、過去を振り返ろうにも何を思い出せばいいのか分からない。何の話をしようか葵が迷っていると、アルヴァの方から言葉を重ねてきた。

「まだ、祝辞を述べていなかったね。結婚、おめでとう」

 アルヴァが穏やかな笑みを浮かべながら祝福してくれたので、葵は息を呑んだ。驚きが鎮まっていくと涙が込み上げてきて、葵は泣き笑いのような表情になりながら「ありがとう」と言葉を発する。

「元気でね、アル」

「ミヤジマも。苦労が多いと思うけど、頑張って」

「うん、」

 アルヴァが手を差し出してきたので、彼とは握手をして別れを終えた。するとアルヴァが担いでいるオリヴァーから、呻くような声で別れの挨拶が聞こえてくる。どうやら顔を上げる気力もないようだったので、葵はだらりと垂れ下がっているオリヴァーの手を取って親愛の情を伝えた。

 『時計塔』に集まった者達と一通りの別れを終えると、葵とハルは魔法陣の上に移動した。そこで葵は、スカートのポケットに入れていた携帯電話を取り出す。電話をかけると、相手はすぐに応答した。

『もしもし、葵?』

 電話の向こうから聞こえてきたのは異世界にいる友人、弥也ややの声だ。今から帰ることを彼女に伝えて、携帯電話を少し遠ざけた葵はユアンを見る。

「ユアン、お願い」

 すでに分厚い魔法書を手にしてスタンバイしていたユアンは、葵からの呼びかけに無言で頷いた。以前に送還魔法の実験を行った際にはシンプルな呪文しか唱えていなかった彼だが、人間の転移には相応の呪文が必要となるらしい。ユアンの詠唱が進むにつれて、魔法陣が光を帯びていく。その中心で今一度、葵はこの場に集った者達の顔を見た。

 この世界に召喚されて葵が初めて目にしたのは、一面の雪景色だった。青白い光を放つ二月に照らされた雪原は幻想的で、現実味が薄かったことを覚えている。その雪原に突如として現れたのが、金髪と紫色の瞳が印象的な、愛らしい顔立ちの少年。眼前で送還の呪文を詠唱している、ユアン=S=フロックハートだ。初めのうちこそ諸悪の根源たるユアンを恨めしく思ったこともあったが、幾多の困難を共に乗り越えるうち、彼はかけがえのない存在となった。

 ユアンの次に出会ったのが、アップスタイルの金髪と縁のない眼鏡が印象的だった女性。理知的な雰囲気の彼女は、ユアンの家庭教師であるレイチェル=アロースミスだった。庶民の出自でありながら王立の名門校を卒業している彼女は、その才知を惜しみなく発揮して、幾度となく葵を助けてくれた。超人すぎて憧れることすら出来ない相手だが、そのポーカーフェイスの裏には確かな人情が息衝いていることを、葵は知っている。彼女は困ったことがあった時に真っ先にその姿を思い浮かべてしまう、頼れる姉のような存在だ。

 ユアン・レイチェルと別れた後に出会ったのが、レイチェルとよく似た面立ちをしている青年だった。ユアンから葵のサポートを託された、アルヴァ=アロースミスだ。彼とは初めのうち反りが合わなくて大変だったが、共に過ごしているうちに、傍にいることが当たり前の存在となっていった。アルヴァのことは強さも脆さもよく知っていて、ハルと付き合っていなければ、彼とは恋人という関係になっていたかもしれない。互いに好意を抱きながらも恋愛関係にはなれなかったが、今でも彼は友人以上の特別な存在である。

 アルヴァが校医をしていたことで通わされることになったトリニスタン魔法学園アステルダム分校では、学園のエリート集団であるマジスターに出会った。あくが強い者達の中で唯一親しみやすかったのが、アルヴァに担がれているがっしりとした体躯の少年。長い茶髪を無造作に束ねていることが多い彼は、オリヴァー=バベッジだ。今は泥酔して醜態を晒しているが、普段の彼は男気溢れる、頼りがいのある人物である。お人好しで友達思いのオリヴァーに救われたのは、一度や二度ではない。もしも彼がいなかったら、とてもマジスターとは仲良くなれなかっただろう。

 続いて葵が視線を移したのは、赤い髪をした細身の少年。オリヴァーと同じくアステルダム分校のマジスターである、ウィル=ヴィンスだ。彼に関して、葵は未だ複雑な思いを抱えている。まだハルと恋人という関係になる以前、ウィルから求婚されたことがあるからだ。ウィルは恋愛になど興味がなさそうに見える少年だったが、異世界人である葵だけは別格だったらしい。その申し出を、葵は断っている。そのうえで彼の友人と結婚したのだから、負い目を感じずにはいられなかった。だが彼は結婚式にも参加してくれたし、こうして見送りにも来てくれている。都合のいい考えかもしれないが赦してもらえたのだと、葵は思いたかった。

 ハルが本校に編入してからしばらくすると、葵が暮らしていた屋敷に突然メイドが現れた。それが、永らく寝食を共にしてきたクレア=ブルームフィールドである。メイドの時と素顔がだいぶ異なる彼女に最初は圧倒されっぱなしだったが、一度気を許すと、クレアはかけがえのない友人になった。彼女ほど言外の意思を汲んでくれる友達には、もう二度と出会えないかもしれない。クレアのパートナーである魔法生物のマトも種族を超えた友人で、彼のような存在にはそれこそ、もう二度と出会うことは出来ない。魔法の存在しない世界に帰るというのは、そういうことだ。

 そしてもう一人、葵はこの場にいない人物へと思いを馳せた。脳裏に浮かべたのは黒髪に漆黒の瞳といった容貌をしている少年で、彼はアステルダム分校のマジスターの一人であるキリル=エクランドだ。マジスターの中でも比類なき暴君だったキリルを、葵はあまり良く思っていなかった。殴られたことから始まって、殴り返したこともあるという、およそ友人関係にも発展しそうにない間柄だったのだ。それがいつしか、彼とは恋人未満のような奇怪な関係に陥っていた。熟成しそうな時間をかけて人となりを知っていき、一時は恋愛のような感情を抱いたこともある。しかしハルへの気持ちを捨てきれずに、彼をひどく傷つける結果になった。どんな感情をぶつけられても最後にもう一度だけ会いたかったが、それも叶いそうにない。キリルがこの場にいない意味をしっかりと心に刻んで、葵は短く息を吐いた。

 嬉しかったことも、苦しかったことも、切なさや慙愧の念まで、過去が魔法陣から立ち上る光に呑まれていく。もう見送りに来てくれた者達の顔も見えなかったが、一人一人の顔は光の向こうにはっきりと投影されているような気がした。記憶に焼き付けたものを、何一つ忘れたくない。そう願った葵は最後に異質な存在である自分を優しく内包してくれた『世界』に感謝を捧げ、ゆっくりと瞼を下ろした。






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