Feeling forever

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 壁面に開いた穴から明るい夏の日差しが差し込む、塔の二階部分。その床に描かれていた魔法陣は、役目を終えて静かに輝きを失っていった。ただの図形と化した魔法陣の上には、もう何もない。その周囲に集まっている者達は一様に無言でいたのだが、やがてクレアが沈黙を破った。

「行ってしもうたな」

 独白を零したクレアの顔には、別れの寂しさが滲んでいる。しかし哀愁を長引かせることはせず、平素の調子に戻った彼女は帰って寝ると宣言した。

「アル、オリヴァーを頼んだで」

 アルヴァの肩にぶら下がるように抱えられているオリヴァーはつい先刻まで頑張っていたのだが、今はもう正体を失ってしまっているようだった。仕方がないなとぼやいて、アルヴァはオリヴァーを抱え直す。その横を「じゃあね」と言って通り過ぎ、ウィルが壁面の穴から姿を消した。その後、オリヴァーを抱えたアルヴァが転移魔法で姿を消し、クレアが階段を下りる音が聞こえなくなると、途端に静寂が訪れる。二人きりになったため、ユアンはレイチェルを振り返った。

「先に帰ってて。僕はもう少し、ここにいるから」

「かしこまりました」

 余計な詮索をせずに頷くと、レイチェルも転移魔法を使って姿を消した。誰もいなくなった室内で、ユアンは目を閉じて空を仰ぐ。じわじわと広がった魔力が塔をすっぽり包んでしまうと、彼はゆっくりと瞼を上げた。

「もう、いいよ」

 ユアンが虚空に向かって呼びかけると、それまで誰もいなかった場所に一人の少年が姿を現した。ユアンと同年代の子供で丸い眼鏡が特徴的な彼は、自然界モンド・ナチュルル調和を護る者ハルモニエである。人間界モンド・ゥマンの王たるユアンは、今生の精霊王と対峙するなり笑みを浮かべた。

「やっぱり、来ちゃったんだね」

「世界の意思を、見届けるために」

 精霊王は葵と、個人的な関わりを持っていた。しかしハルモニエには相互不干渉の約定があり、彼が個人的な事情で人間界と関わるのはまずいのだ。そのため密かに見送りに来たのだとユアンは思っていたのだが、精霊王の口調は個人的なものではなく、ハルモニエとしてのものだった。予想と違う反応が返ってきたため、ユアンは首を傾げて問いかける。

「どういうこと?」

 異世界からの来訪者である葵を生まれ育った世界に帰すことは、世界の意思に反する行いではない。むしろ原型に戻す作業と言っても良く、懸念を抱くことなどないはずだ。そうした言外の意思を正確に汲み取って、精霊王は答えを口にする。

「今までにも世界がヴィジトゥールを受け入れることはあった。けれど、この世界に生まれ育った者を異世界に送り出したのは初めての事例ではないかと思う」

「ああ、ハルのことだね。確かに、言われてみればそうかも」

「人王、私は確信したよ。世界は開きたがっている・・・・・・・・

 精霊王の発言は突拍子もないもので、ユアンは絶句してしまった。ひとしきり呆けた後で慌てて世界の意思を確認してみるが、精霊王の言う通り、反発は感じられない。嘘でしょと独白を零して、ユアンは再び言葉を失った。

「もしかしたら千年程前、人間の青年が召喚魔法を完成させた時からそうだったのかもしれない。けれど彼は、世界の壁を越えることに意味などないと絶望してしまった。だから世界は、芽生えかけていた望みを封じてしまったのではないだろうか」

「確かに、僕が召喚魔法の復元を試みてる時も世界からの反発は感じなかった。だけど、そんな、積極的な思いだったなんて……」

「君と彼女が、世界に新たな可能性を示して見せたんだよ」

 精霊王が魔法陣に視線を移したので、ユアンもそちらに顔を傾けた。すでに輝きを失っている魔法陣は、もう二度と使用されることがなかったはずのものだ。しかし世界が開かれることを望んでいるとなると、意味合いが変わってくる。

「異世界と自由に行き来が出来るようになるとか、夢を見ちゃってもいいのかな?」

「人間の寿命は短い。その夢を現実のものに出来るかどうかは、君次第なのかもしれないね」

「うわぁ……」

 精霊王がもたらした可能性は、別れの感傷など消し去ってしまうくらいの破壊力があった。いつでも自由に行き来が出来るなどということになれば、もう誰も出会いを悔やむことがなくなるのだ。まさに夢のようだとはしゃいだユアンは、精霊王がひとまずハルモニエ会議が必要だと釘をさすのを、もう聞いていなかった。






 浮き上がる感覚があった次の瞬間には、体が重力に引かれていた。無防備に地面に叩き付けられた葵は痛いと叫んで、とっさに上体を起こす。刹那、懐かしい友人の顔が視界に飛び込んで来た。

「……ホントに空から降って来た」

 携帯電話を片手に呆けた独白を零したのは、葵の幼馴染みである弥也ややという少女だ。彼女は白のワイシャツにチェックのミニスカートという、葵と同じ高等学校の制服を身に着けている。

「弥也……」

 葵が名前を呼ぶと、弥也は我に返ったようだった。手を差し伸べられたので、葵は弥也に助けられながら立ち上がる。手を離すと、弥也は複雑そうな表情で「おかえり」と言ってくれた。その言葉を聞いた刹那、帰って来たのだという実感が突如として押し寄せて来る。感極まって、葵は弥也に抱き着いた。

「ただいま!」

「え、ちょ、きもっ」

 感涙にむせびながら帰還の喜びを分かち合いたかったのだが、弥也にはすぐ突き放されてしまった。それは彼女が別段冷たいわけではなく、よくよく考えてみれば、弥也と抱擁など交わした記憶がない。抱き合ったりキスをしたりといった行為が日常化していたため、葵の方の感覚がズレてしまっただけなのだ。そんな感覚のズレにも実感を助長させられて、葵は改めて、帰って来たのだと思った。

「ここ、どこ?」

 弥也に問いかけながら周囲を見回すと、見覚えのある光景が広がっていた。校舎の裏だとの答えを得て、納得した葵は懐かしの校舎を見上げる。木や校舎のせいで遮られて見える空は、曇天だった。

「……ところで、葵」

「ん?」

「あんたと一緒に落ちて来た、あの人誰」

 弥也が指差している方向に目をやって、葵は瞠目した。そうだったと思い返し、慌てた葵は空を見上げている人物の傍へ寄る。

「ハル、平気? 言葉、分かる?」

 体の調子と同時に言葉が通じるか確認したのは、ユアンの前例があったからだ。ゆっくりとした動作で振り向いたハルは、少し間を空けてから頷いて見せる。準備をしてきたとはいえハラハラしていた葵は、その反応を見てようやく安心した。

「何、見てるの?」

 ハルが再び空を仰いでしまったため、不思議に思った葵も曇天を見上げる。今にも雨が降り出しそうな空を注視しながら、ハルは答えを口にした。

「寒くないのに雲がある」

 何か降って来るのかと尋ねられて、葵はハルが空ばかり見ている理由に思い至った。夜空に二月が浮かぶ異世界では、自然に雨が降ることはなかったのだ。梅雨時に特有の湿った空気はこの世界ならではで、雪が降る時とも感じが違う。未知の世界に来たハルにとっては、そういうことも新鮮なのだろう。

「雨が降るよ」

「自然に?」

「うん、誰かが降らせるわけじゃない」

「……すごいな」

 会話をしている間も、ハルはずっと空を見上げていた。この空模様なら、間もなく雨が降り出すだろう。早くハルに見せてあげたいと思いながら、葵も再び狭い空を仰いだ。

「ちょっと、葵!」

 ハルと二人で空を眺めていたら、強い力で弥也に腕を引かれた。彼女の存在をすっかり失念していた葵は「ごめん」と謝罪して、それから改めて隣にいるハルを手で示す。

「えっと、彼氏……っていうか、旦那?」

「はあ!?」

 質問の答えを得た弥也は、しばらく開いた口が塞がらない状態だった。その後、我に返った弥也にハルのことを根掘り葉掘り訊かれ、猛烈な勢いで怒られたのは、言うまでもない。




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