誠意

BACK NEXT 目次へ



 屋敷を出るとカラッとした暑さが押し寄せてきた。雲一つない青空には太陽が昇っていて、夏の日差しがじりじりと肌を焦がそうとしてくる。屋敷の玄関扉の前には噴水があり、噴き上げる水は陽光を浴びてキラキラと輝いていた。その大きな屋敷の玄関扉を背に、白いワイシャツにチェックのミニスカートといった出で立ちをしている少女が佇んでいる。噴水から発せられる光が眩しくて、目を細めている彼女の名は宮島葵。会話を出来る者がいなかったため、葵は一人で「夏だなぁ」と呟いた。

 夜空に二つの月が浮かぶこの世界は、昨日まで雪が降るような真冬の気候だった。それが一夜にして雪が融け、春も通り越して真夏がやって来たのである。この世界はいつでも、季節の変化が性急だ。異世界の、それもはっきりとした四季のある国に生まれた葵は、この世界での季節の変化を見るたびにもったいなく思うのだった。しかしこの場所では、葵の考えに共感してくれる者などいない。

(……ま、いいや)

 話し相手もいなかったので、葵はトリニスタン魔法学園に向かうことにした。しかし歩き出してすぐに異変を察知したため、動きを止める。玄関と噴水の間には転移に使用する魔法陣が描かれていて、それが光り出したのだ。

 魔法陣に転移してきたのは同居人であるクレア=ブルームフィールドという少女だった。昨夜から彼女の帰宅を待っていた葵は急いでクレアの傍に寄る。だが、ある程度距離を詰めると再び遠ざかってしまった。

「お酒くさっ!」

 思わず叫んでしまうほど、クレアからはきついアルコール臭が漂っている。葵の反応を大袈裟だと思ったのか、クレアは苦笑いを浮かべた。その反応から察するに、そうとう飲んではいるようだが酔っ払ってはいないらしい。

「どこでこんなに飲んできたの? 服も昨日のままだし、もしかしてオール?」

「おーる?」

「ああ……えっと、一晩中飲んでたのってこと」

 クレアにも解るように言い直すと、彼女はオリヴァー=バベッジという少年と飲んでいたのだと明かした。意外な組み合わせだと思った葵は、何となく閉口する。オリヴァーは葵やクレアが通っているトリニスタン魔法学園アステルダム分校のエリート集団であるマジスターの一員だ。葵もクレアもマジスターと付き合いはあるのだが、学園の外で個人的に会ったりすることは滅多にない。

「飲んでたのって、二人だけで?」

「なんや、気になるんか?」

 クレアはからかうように笑っていたが、おそらく葵が気にしていることは彼女が思っているような意味ではない。

(でも、下手に聞かない方がいいかな?)

 クレアはさっぱりした性格の持ち主だが、彼女にだって言いたくないことの一つや二つあるだろう。同居している彼女は葵にとっても一番親しい友達だが、それでも自分の方にも言えていないことはけっこうあるのだ。『親しき仲にも礼儀あり』という諺が脳裏に浮かんだので、葵は尋ねないことに決めた。しかし、クレアの方が絡んでくる。

「聞きたいことがあるんやったら何でも訊いてエエんやで?」

「……もしかして、酔ってる?」

「どうなんやろ? 酔ってるように見えるんか?」

「微妙……」

 いつもと少し感じは違うが、それが酒のせいなのかどうかはっきりしない。葵がそう言うと、クレアはカラッと笑った。

「正直でよろしいわ。やっぱりうち、ジメッとしたのは嫌いみたいやな」

「もしかして、昨日のこと言ってるの?」

 気になっていたのはまさにそれだったので、葵はけっきょく疑問を口にしてしまった。

 昨夜は夏を迎える儀式の後、王城で盛大なパーティーがあった。その会場でクレアはアルヴァ=アロースミスという青年を殴り飛ばし、彼を卑怯者だと罵ったのである。葵には何故そんなことになったのかさっぱり分からず、アルヴァも説明を加えてはくれなかった。そのため葵はクレアの帰りを待っていたのだが、彼女はけっきょく朝帰りをしたというわけだ。

「あの後、アルは何て言うとった?」

「気にするなって言われただけで、後は何も言ってなかったけど……」

「そういうところが卑怯者やって言うとるんや」

「……ごめん、ぜんぜん意味が分からない」

「これ以上のことはうちからは言えん。アルから聞き出すか、きれいさっぱり忘れてまうんやな」

 それでアルヴァの話は終わりだと言うと、クレアはさっさと話題を変えた。

「飲んでる時にオリヴァーから面白い話聞いたんや。アオイにも教えるわ」

「面白い話?」

「うちは爆笑した。せやけどアオイは、笑えんかもしれんなぁ」

「何? そんなこと言われたら気になるよ」

「バラージュのことで研究室に行った時、キリルがケガしとったやろ? 覚えとるか?」

 まだ冬の時分、葵とクレアは王城にある召喚魔法の研究室に呼び出されたことがある。その時にアステルダム分校のマジスターの一人であるキリル=エクランドが、頬に怪我をしていたのだ。キリルが誰かに怪我をさせることはあっても、彼自身が怪我をしているところを葵は見たことがない。そのためその出来事は、記憶に残っていた。葵が頷くと、クレアはその怪我の理由について語り出す。

「あれなぁ、婚約を解消しに行ってフィアンセに引っ叩かれたもんらしいで」

「あ、そう……」

 クレアはおかしそうに笑っているが、葵は彼女が宣言した通り、笑うことが出来なかった。傍若無人という言葉がピタリと嵌まる性格で、気に入らなければ女の子が相手でも容赦なく殴り飛ばす。そんな人物だったキリルが、女の子に殴られた。その衝撃的な出来事が持つ意味は、葵にとってはあまりに重い。そしてクレアも、そのことは重々承知の上で言葉を発していた。

「アオイに他に好きな人がおっても、誰も何も言えん。せやけど、せめて誠意は汲んでやってや」

 おやすみと言って手を振ると、クレアは屋敷の中に姿を消した。一人でトリニスタン魔法学園に向かって歩き出しながら、葵は考えを巡らせる。

(誠意、かぁ)

 この国の貴族の間では婚約者がいるのが当たり前のことらしい。もともと政略結婚ではあるものの、キリルが家人の反対を押し切って婚約を解消したのは間違いなく葵のためだ。彼からは散々好きだという言葉を聞かされてきたので、そのことはよく分かっている。だが葵は、キリルの気持ちには応えられそうにない。そのような状態で、こちらはどういった誠意を示せばいいのだろう。

(ううん……)

 誠意を持って断るというのが唯一出来そうなことではあったが、そんなことはもう何度もやっている。それでもキリルは諦めてくれないのだ。何故諦められないのか考えてみると、以前にアルヴァが言っていたことが脳裏をよぎった。

(私が誰とも付き合ってないから諦めるのは難しい、かぁ)

 だから恋人のフリをしないかと、アルヴァには提案されたことがある。その時は断ったのだが、もうそれ以外にキリルを諦めさせる方法はないのかもしれない。一瞬そんなことを考えてしまい、葵は自分の思考に嘲笑した。

(自分だってキリルと同じなくせに)

 キリルが葵に執着しているように、葵にもどうしても忘れられない人がいる。だからキリルの気持ちが、何となくだが分かってしまうのだ。誰かと恋人のフリをしたところで、彼の気持ちもそう簡単には変わらないだろう。それに騙して諦めさせようとするのでは、キリルが示してくれた誠意に応えることにはならない。

 結局、自分はどうすればいいのか。クレアの言葉と共に自問を反芻しながら、葵は黙々と緑が茂る道を歩き続けた。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2016 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system