クローシュ・ガルデ

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 王立の名門校であるトリニスタン魔法学園のアステルダム分校は、丘の上に建っている。もう少しすれば校内は登校してきた生徒達で賑わい出すのだが、まだ予鈴が届けられていない時分のため、アステルダム分校はどこもひっそりと静まり返っていた。しかし静寂は程なくして破られ、転移用の魔法陣が描かれている正門付近に二つの人影が出現した。それはいずれも少女で、一人はメイド服に身を包み、もう一方の少女は白いワイシャツにチェックのミニスカートという出で立ちをしている。学園という場にそぐわない使用人の出で立ちをしている少女は名をクレア=ブルームフィールドといい、季節感溢れる涼しげな恰好をしている少女は名を宮島葵といった。

「ほな、また後でな」

 葵が魔法陣の外へ出ると、その場で立ち止まったままだったクレアが短い挨拶を残して姿を消した。彼女は魔法が使えない葵を、この学園まで送ってくれたのである。クレアもこの学園の生徒なので何もなければそのまま一緒に校舎へと向かうところなのだが、あいにく今日は朝から仕事があるらしい。

 クレアの姿が魔法陣から失われてしまうと、葵は一人で敷地の中央部に佇む校舎を目指した。まだ誰もいないエントランスホールをくぐって、向かう先は一階の北辺にある保健室である。そこへ向かっているのは人と会うためだったのだが、まだ朝も早いため、いないかもしれない。葵はそう思いながら扉を開けたのだが、そこにはすでに保健室の主の姿があった。加えて、普段は滅多にこの場で会うことのない人物までもが保健室の中にいる。

「レイ」

 朝の挨拶も失念して、葵は奇異な来訪者に向かって驚きの声を発した。金髪のショートボブにブルーの瞳、理知的な雰囲気を助長させる縁なしメガネといった特徴を持つ彼女の名は、レイチェル=アロースミスという。

「おはようございます」

「あ、おはよ」

 レイチェルの第一声は朝の挨拶で、反射的に挨拶を返した後、葵はレイチェルの隣にいる保健室の主に目を向けた。レイチェルと同じく金髪にブルーの瞳という特徴を持つ青年は、彼女の弟であるアルヴァ=アロースミスだ。葵とアルヴァは長い付き合いなので、疑問は言葉にせずとも伝わったらしい。アルヴァは葵に、自分がレイチェルを呼んだのだと明かした。

「何かあったの?」

 ユアン=S=フロックハートという少年の家庭教師やトリニスタン魔法学園本校の講師といった仕事を受け持っているレイチェルは多忙な人物で、用事のない場所にふらりと姿を現すことはしない。そんな姉を人一倍気遣っているアルヴァがわざわざレイチェルを呼んだということに、葵は不穏な空気を感じ取った。しかし葵が危惧したほど深刻な話ではないようで、アルヴァは表情を変えることなく説明を続ける。

鐘の番人クローシュ・ガルデが見付かった」

 クローシュ・ガルデとはトリニスタン魔法学園のどこかにあると言われている鐘を管理している者のことで、学園はこの鐘によって時を刻んでいる。よって、この人物こそが時の精霊なのではないかと、葵は考えたのだった。時の精霊が見付かれば、葵が生まれ育った世界に帰れる可能性がぐんと高くなる。だがアルヴァやレイチェルの無表情は、事がそう簡単に運ばないことを示唆していた。

「前もって言っておくけど、鐘の番人クローシュ・ガルデは精霊じゃない。だけど、話を聞いてみて損はないだろう」

 だからアルヴァはレイチェルを呼んだのだと言ったが、葵はその理屈に首を傾げた。だが葵が疑問を口にする前に、レイチェルが補足する。

鐘の番人クローシュ・ガルデとは、トリニスタン魔法学園の学園長のことです」

 アルヴァは知らなかったらしいのだが、これはトリニスタン魔法学園の本校に在籍している者にとっては周知の事実らしい。そのためアルヴァが相談を持ちかけたロバート=エーメリーやハーヴェイ=エクランドも知っていて、いとも簡単にクローシュ・ガルデの正体は明らかとなった。だが、トリニスタン魔法学園の長は人間である。つまり鐘の番人は、葵が捜し求めている時の精霊ではなかったということだ。

「違ったんだ……」

 少なからず期待をしていただけに、葵はがっくりと肩を落とした。しかし落胆するのはまだ早いと、レイチェルが言う。

鐘の番人クローシュ・ガルデがトリニスタン卿であることは周知の事実ですが、時の鐘については具体的な情報が何もありません」

「トリニスタン?」

 時の鐘のことよりもその名称に引っかかりを覚えた葵は小首を傾げた。するとレイチェルが、言外の疑問を汲んで説明を加えてくれる。

「トリニスタン魔法学園という名称は、学園の創始者であるトリニスタン卿の名を冠したものです」

「やっぱり、そのトリニスタンなんだ?」

 葵が一人で納得していると、今度はアルヴァが補足をしてくれた。トリニスタンはヴィンス公爵と同じく、領地を持たない代わりに別の形で王家に貢献している特殊な貴族らしい。以前にアルヴァから貴族制度について説明を受けていた葵は、それだけの情報でトリニスタン公爵の特異性を理解した。葵が頷いたのを見て、レイチェルが再び口を開く。

「トリニスタン卿がどのようにして鐘を鳴らしているのかは分かりませんが、情報の開示がない以上、そこには公にすることが好ましくない事情が秘されているはずです」

 そこに、葵の求める情報があるのではないだろうか。レイチェルがそう言うと、不思議と葵もそんな気がしてきた。アルヴァが初めに言っていたように、確かに話を聞いておいて損はないだろう。

「でもさ、そんなこと教えてくれるのかな?」

「通常時であれば、まず無理でしょう。ですがアオイの帰還は、王家の方々も望まれていること。アスキス殿にもお口添えいただいたので、おそらくは話していただけると思います」

 レイチェルが口にしたアスキスという人物は、この国の王女の教育係をしているローデリックという青年のことだ。王女の教育係というだけで特別な地位が窺えるが、さらにアスキス家とトリニスタン家は血縁関係にもあるらしい。レイチェルの口振りはすでにアポイントメントをとってあることを示唆していて、相変わらずの敏腕ぶりには脱帽するしかない。葵が無言で感嘆の息だけを零していると、レイチェルは異次元から魔法書を取り出した。

「では、行きましょう」

 レイチェルの一言を受けて葵は彼女の傍へ寄ったのだが、壁際のデスクで椅子に腰かけているアルヴァは動こうとしない。てっきり三人で行くものだと思っていた葵はアルヴァを振り返って首を傾げた。

「アルは行かないの?」

「学園長に会うには本校に行かなければならないからね。僕は行けないんだよ」

「ああ……そっか」

 アルヴァは以前、トリニスタン魔法学園の本校を中途退学している。本校の規則では、そのような者は二度と足を踏み入れてはならないことになっているのだ。だからレイチェルを呼んだのかと、葵は今更ながらにアルヴァの意図に気がついた。

「大丈夫、レイチェルがついていれば心配することは何もないよ」

 いい機会だから、ついでに本校を見学してくればいい。アルヴァがそんなことを言うので、別段心配していたわけではなかった葵は苦笑いを浮かべた。

「じゃあ、行ってくるね」

 見送る体勢のアルヴァにヒラヒラと手を振ると、葵はレイチェルから差し出された手を受け取った。






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