広大な花園の片隅にある転移用の魔法陣に出現したオリヴァーは、その後、花園の中央部へと足を向けた。そこには花を愛でるためのスペースがあり、白を基調としたテーブルや椅子が置かれている。その場所に先客の姿を見つけたため、オリヴァーは軽く手を上げた。
「おはよ」
オリヴァーの行動に応えたのは真っ赤な髪が特徴的な細身の少年。おそろしく女顔をしている彼は名をウィル=ヴィンスといい、彼もまた、この学園のマジスターの一人である。ウィルが紅茶を淹れてくれたので、オリヴァーは礼を言いながら席に着いた。
「ウィル一人か」
「見れば分かることをわざわざ口にして、何か意味があるの?」
何気ない独白に返ってきたのは刺々しい物言いで、ティーカップを口に運びかけていたオリヴァーはウィルに苦笑を向けた。
「学園に来る前にキルの家に寄って来たんだよ。そしたらもう学園に行ったっていうから、ここにいるかと思っただけだ」
オリヴァーが話題に上らせたキリル=エクランドはこの学園のマジスターの一人で、彼らは皆、幼い頃からの友人である。オリヴァーが独白を零した事情を知ると、ウィルは関心が薄そうな様子で相槌を打った。
「アオイの所じゃないの?」
「……どうだろうな」
平素であればオリヴァーも、ウィルと同じ考え方をしただろう。しかし今のキリルには、即座に頷けない事情がある。オリヴァーが含みを持たせたことが気になったのか、ウィルは一度外した視線を再び傾けてきた。
「何かあった、みたいだね?」
「パーティーの時に色々と、な」
つい先日、オリヴァーは王城で開かれたあるパーティーに参加した。そこでは実に様々なことがあったのだが、ウィルはこのパーティーに参加していなかったのでキリルの事情も知らないのだ。オリヴァーが手短に説明を加えると、ウィルは目を細めて「ふうん」と言った。
「それで、キルの様子が気になったから家に寄って来たの?」
「ああ。どうしたかと思ってな」
「だったら昨日のうちに様子を見に行けば良かったじゃない」
「昨日は二日酔いで、それどころじゃなかったんだよ」
「二日酔い?」
辛い出来事があったキリルが自棄になって飲むのなら分かるが、何故オリヴァーが二日酔いなのか。小首を傾げたウィルが言外にそう言っていたので、オリヴァーはクレアと飲み明かした旨を補足した。しかし関心が薄いようで、ウィルからの反応は特にない。長引かせたい話題でもなかったので、オリヴァーの方から話を変えた。
「王城でステラに会ったぜ」
オリヴァーが話題に上らせたステラ=カーティスという少女は、以前はアステルダム分校のマジスターだった。彼女とは分校に通うようになってから出会ったのだが、オリヴァーもウィルも、この学園で短くはない時を共に過ごしてきた。特にウィルにとっては稀少な女友達で、普段は他人のことなど歯牙にもかけない彼が珍しく表情を和らげる。
「へぇ。何か変わってた?」
「相変わらずだったぜ。どこへ行ってもステラはステラだな」
「ステラに会えるんだったら僕も行けば良かった」
トリニスタン魔法学園の本校に通う生徒は行動を規制されているので、卒業するまでは外部の者と自由に会うことが出来ない。だが卒業してしまえば規制から外されるので、何年か後には再び近しい友人としての付き合いも出来る。ステラは優秀な生徒なので、卒業までそれほど時間はかからないだろう。オリヴァーとウィルがそんな話に花を咲かせていると、シエル・ガーデンに進入者があった。
「…………」
「…………」
花園の片隅にある転移用の魔法陣にその人物が出現した刹那、オリヴァーとウィルにはそれが旧知の人物であることが分かった。ただ、どうにも様子がおかしい。お互いにそう思って沈黙していたのだが、進入者の姿が視界で捉えられるようになるとウィルが口火を切った。
「いつになく、穏やかだね」
オリヴァーとウィルは進入者の姿を確認する前から、その者が発している魔力によって相手の様子を察している。そしてウィルが零した感想は、オリヴァーが抱いたイメージと大差ないものだった。再び訪れた沈黙の中、黒髪に黒い瞳といった珍しい容貌をしている少年がこちらに近付いて来る。彼はこの学園のマジスターの一人である、キリル=エクランドだ。
「……何だよ」
オリヴァーとウィルが無言で注視していたので、キリルは眉間にシワを刻んだ。しかしそれは怪訝の表れで、別段彼が不機嫌になったというわけではない。平素であればこんな何気ない場面にでも不機嫌を滲ませる彼にしては、どうにも反応がおかしい。キリルの顔を見ながら胸中で「穏やかだ」と繰り返して、オリヴァーは恐る恐る口を開いた。
「キル、大丈夫か?」
「? 何がだ?」
「ショックのあまり頭がおかしくなったんじゃないかって、そういう話だよ」
「いや、違うだろ」
ウィルの曲解に反射的なツッコミを入れた後、オリヴァーは再びキリルに視線を転じた。平時であればウィルに食ってかかるところだが、今のキリルはキョトンとして小首を傾げている。ますますもって何かがおかしいと、オリヴァーは眉根を寄せた。直情的な反応を予想していたのか、ウィルも意外そうな面持ちでキリルを見つめている。
「怒らないんだ?」
「だから、何なんだよ?」
オリヴァーやウィルの反応こそが不可解とでも言いたげに、キリルは口をへの字に曲げた。どうにも話が噛み合っていなかったので、オリヴァーは遠回しに憂慮を口にする。
「アオイの所に行ってたのか?」
この問いかけに、キリルは素直に頷いて見せた。その上で、三年A一組には葵がいなかったことを明かす。
「家にも行ったけどいなかった。お前ら、どこにいるか知らねーか?」
キリルの態度が不自然なほどに自然なので、オリヴァーとウィルは黙したまま顔を見合わせた。するとさすがに、キリルがムッとする。
「さっきから何なんだよ!」
「あ、いつものキルだ」
「そ、そうだな」
キリルがようやく怒鳴ったので、ウィルとオリヴァーもいつもの調子を取り戻し始めた。先に冷静になったのはウィルの方で、彼はキリルに席を勧めてからいきなり核心を口にした。
「パーティーで色々あったんだってね」
あの夜のことを言われるとキリルもさすがに閉口したが、いつものように怒り出す気配はない。それはウィルが、あんなことがあった後で何故平然としていられるのかと問いかけても変わることがなかった。
「諦めたの? アオイのこと」
ウィルが率直に問いかけたことでようやく話が通じたらしく、キリルは「そういうことかよ」と呟きを零した。その顔は苦々しく歪められているが、頷きはしない。少し間を置いた後、キリルは考えを巡らせている様子を見せながら口火を切った。
「一緒に行こうって言われたんだよ」
キリルが語った内容は明らかに説明不足なもので、意味が分からなかったオリヴァーとウィルは同時に首を傾げた。だが少しずつ情報を引き出していくと、やがて彼が何を言っているのかも分かってくる。どうやらキリルは、葵に『自分の生まれ育った世界に一緒に行こう』というようなことを言われたらしい。
「誠意、か……」
葵の意図を汲んで、オリヴァーは空を仰いだ。葵に本気を肯定されてしまった以上、キリルはもう引くに引けない。それを好機と捉えるべきなのか、追い込まれたと見るべきなのか、オリヴァーには分からなかった。
「すごいね」
しばらくの沈黙の後、ぼそりと独白を零したのはウィルだった。無表情のままでいる彼は何がどう『凄い』のかは口にしなかったが、考えていることはオリヴァーと同じだろう。そこで気分を変えて、オリヴァーは明るくキリルに話しかけた。
「家にも行ったって言ってたけど、クレアもいなかったのか?」
キリルが無言で頷いているところを見ると、今日は葵だけでなくクレアもどこかへ出かけているらしい。彼女達が行動を共にしているかどうかは分からないが、ある人物の顔を思い浮かべたオリヴァーは席を立った。
「アルヴァさんの所に行ってみようぜ。あの人なら何か知ってるかもしれない」
少し前のキリルなら葵とアルヴァを話の上で結びつけるだけで不快感を露わにしていたが、彼はもう怒ることもなくオリヴァーの提案に従った。
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