クローシュ・ガルデ

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 葵とレイチェルが王都にあるトリニスタン魔法学園の本校に赴いた後、一人きりで保健室にいたアルヴァは来訪者の気配を察して顔を上げた。それまで読んでいた本を閉ざすと、アルヴァは椅子ごと体を回転させて扉に向き直る。そのまましばらく待っていると、保健室の扉が開かれた。姿を現したのは、この学園の制服である白いローブに身を包んだ少女。しかしその顔に、見覚えはない。

(……またか)

 一見しただけで少女の目的を察したアルヴァはため息をつきたいのを堪え、立ち上がった。保健室の扉を妙に慎重に閉ざすと、少女はアルヴァの傍に寄って来る。そして例によって例のごとく、体調不良を訴えたのだった。

「どこが悪いの? 頭?」

「胸が苦しいんですの」

 アルヴァからの嫌味は聞かなかったことにしたらしく、少女はすぐさま行動を起こした。引き寄せられる形で少女の胸の上に手を置くことになったアルヴァは、今度こそ深々とため息をついた。

 アルヴァはトリニスタン魔法学園、アステルダム分校の校医である。それはずいぶんと前からのことなのだが、生徒達がその事実を知ったのは最近のことだ。加えてこの学園の生徒達はアルヴァがレイチェルの実弟であり、アステルダム分校の理事長であるロバート=エーメリーや大貴族の嫡男であるハーヴェイ=エクランドといった大物と交友があることも知っている。そういった情報が公になって以来、保健室には時たまこの手の生徒が姿を現すようになっていた。アステルダム分校では今や、女子生徒の人気を二分しているのはマジスターとアルヴァだと言っても過言ではないだろう。

(僕を誘惑しようとする、その勇気には感服するけどね)

 自分にどれだけの魅力があると思っているのかは知らないが、そもそもアルヴァは少女など対象外だ。それは遠目からでも分かることだろうに、少女達は夢を見る。しかもこの学園の少女達が見る夢は惚れた腫れたなどという浮ついたものではなく、実に現実的な権威欲という名の悪夢だ。

「あいにく、僕は子供の体なんか触っても何も感じないんだよ。子供は子供らしく、マジスターにでも現を抜かしていればいい」

「わたくし、以前からマジスターは子供っぽいと思っていましたの。アルヴァ様の方がずっとステキですわ。それにわたくしは、もう子供ではありません」

 少女に潤んだ瞳を向けられてもまったく心を動かされることなく、アルヴァは別のことを考えていた。思い出したのは、以前にロバートが言っていたことだ。

(低年齢化の流れは止まらない、ね)

 生娘が大好きという性癖の持ち主であるロバートは、以前にこの学園の女子生徒の大半が初体験を済ませていることを調べ上げていた。こうして平然と自分の胸を触らせるような少女は、ロバートの好まない低年齢化の波に乗ってしまったのだろう。そして自分で自身の価値を下げる術を身につけてしまった。確かに嘆かわしいことなのかもしれないと、アルヴァは皮肉な笑みを浮かべる。

「マジスターの目にも留まらないようなお子様を、僕が相手にすると思う?」

 薄笑いを浮かべたまま手を振り払うと、さすがに少女も絶句した。そこで再び来訪者の気配を察したアルヴァは、さらに意地の悪い微笑みを少女に向ける。

「噂をすれば、だよ」

 少女はアルヴァの悪言に呆気に取られていたが、やがてはアルヴァと同じものを感知したようだった。眼前で見る見る青褪めていく少女に向かって、アルヴァはさらに追い討ちをかける。

「さっき僕に言ったことを、彼らの前でも言えるか?」

 もし言えたのなら、誘惑に応えてやってもいい。アルヴァが絶対に出来ないと思ってそう言っていることが伝わったようで、顔を真っ赤にした少女は泣きながら保健室を飛び出して行った。

(自分が傷つく覚悟もないくせに)

 心を伴わない恋愛なら、アルヴァはいくらでも経験してきている。そんなものはもう、いらないのだ。欲しいのはたった一人の、勇気ある少女だけなのだから。

「女の子が泣きながら走り去って行ったけど、何かしたの?」

 女子生徒が去って行ったのと入れ替わりに、戸口にウィルが姿を現した。その後に続いてオリヴァーとキリルも保健室の中に入って来る。彼らを一瞥した後、アルヴァは窓際のデスクに戻りながら問いの答えを口にした。

「告白されたから丁重にお断りしただけだよ」

「いかがわしい。保健室で何してるんだか」

 ウィルの口調が刺々しいのはいつものことなので、アルヴァは彼の言葉に対する反応を用意しなかった。代わりに、別のことを口にする。

「マジスターが揃いで、何の用?」

「アオイとクレアがいないので、何か知らないかと思いまして」

 アルヴァからの質問に答えたのはオリヴァーだった。彼の隣にいるキリルに視線を移して、アルヴァは「ああ……」と独白を零す。オリヴァー自身というより、そのことが気になっているのはおそらく彼だろう。

「ミヤジマはレイチェルと一緒に本校に行った。クレアはたぶん、仕事だろうね」

 この事実を口にすることで、自分の知らないことを何故アルヴァが知っているのかとキリルがムキになることを予想していたのだが、彼は怒らなかった。しかし違和感を覚えたのはアルヴァだけだったらしく、ウィルなどはさっさと話を進める。

「本校って、何しに行ったの?」

「トキの精霊を探しに、かな」

「トキの精霊?」

 やはりウィルもその存在を知らなかったらしく、怪訝そうな表情をしている。オリヴァーからも説明を求められたが、彼らと話をすること自体が面倒になってきたアルヴァは小さく肩を竦めるに留めた。

「その辺りの事情はミヤジマから聞きなよ」

 アルヴァもトキの精霊というものがどういったものなのか分かっていないため、具体的な説明をすることは難しかったのだ。だがキリルが、それでは納得しない。 ……はずだったのだが、彼は意外にも穏やかに口火を切った。

「いつ帰って来る?」

「……さあ」

「分かった」

 平素であれば確実に曖昧な返答を咎めてくるところだが、キリルはもう用が済んだとばかりに踵を返した。あまりにも意外な言動に面食らったアルヴァは無用心に目を瞠る。

「彼はどうしたんだ?」

「ただ、覚悟を決めただけだよ」

 半ば独白に近かったアルヴァの疑問に、答えたのはウィルだった。しかしそれ以上の説明はしようとせず、ウィルはアルヴァに冷たい一瞥を投げかけると保健室を出て行く。眉根を寄せたアルヴァは一人、未だ保健室内に残っているオリヴァーに視線を転じた。

「何の覚悟だ?」

「アオイがキルに、誠意を汲むって言ったらしいです」

 特にアルヴァに聞かせたくない話というわけでもないようで、オリヴァーはすんなりと答えをくれた。彼の話によると葵はキリルの本気を認め、どうしても気持ちが変わらないようなら一緒に異世界へ行こうと言ったらしい。そんな話を聞かされて、アルヴァは呆れてしまった。

「都合のいい妄想じゃないのか?」

「キルにそんな発想力はありませんよ」

 オリヴァーが苦笑して言った通り、確かにキリルのような人間は発想が貧弱だ。だが葵の発言を事実として捉えるには、どうしても無理がある気がしてならなかった。

「ミヤジマは分別を弁えている。そんな愚かなことは言わないよ」

 召喚魔法の祖であるバラージュという英霊に相対した時、彼女ははっきりとキリルの愚直な考えを否定していた。異世界人同士が結ばれることは、必ず何らかの悲劇を生むのだ。そのことは実際に異世界へと召喚されてしまった葵が一番よく分かっているはずであり、だからこそオリヴァーが又聞きした発言は信じられない。アルヴァがそう断言すると、オリヴァーは困った様子で肩を竦めた。

「俺もアオイ本人から聞いたわけではないので、本当に言ったのかは分かりません。だけどキルの様子を見ていると本当のような気がします」

「……まあ、いい」

 当事者でないオリヴァーと、ここでいくら意見を闘わせても無意味なだけだ。オリヴァーも同じことを思ったようで、彼はアルヴァに頭を下げてから姿を消す。再び一人になったアルヴァはデスクの引き出しを開け、煙草を取り出した。

 窓の外に目を向けると、夏の日差しが燦々と降り注いでいるのが目についた。太陽はまだ、少しずつその位置を高くしている時分だ。葵とレイチェルはもう本校に着いているだろうが、戻りがいつになるかは分からない。真相を確かめることが出来るのは明日になるだろうと思ったアルヴァは、ゆっくりと紫煙をくゆらせた。






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