クローシュ・ガルデ

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「すでに理解されているとは思いますが、人間が時の精霊と出会うことは事実上不可能です。それが世界の理なのですが、あなたは別の世界の理に囚われている身。この世界の時が止まったとしても、あなたの時は止まらないかもしれません。それも確実にとは言い切れませんが、先程の問いに分からないと答えたのはそのためです」

 可能性はゼロではない。トリニスタンからそう聞かされた時、葵の脳裏にはパーティーで会った精霊王の姿が蘇っていた。そもそも、時の精霊に助力を乞えと言ったのは彼なのだ。精霊達の長である彼が、初めから出来ないと解っていることを言うはずがない。

「どうすれば……いいんですか?」

 先程トリニスタンは、精霊の時を動かす方法がないわけではないと言っていた。やる気を取り戻した葵がそのことについて尋ねると、トリニスタンは茶を淹れ直してから答えを口にした。

「トリニスタン魔法学園には時が散っているという言い伝えがあります。私はそれを、時の精霊を召喚するための魔法道具マジック・アイテムではないかと考えています」

 トリニスタンの返答が憶測でしかなかったのは、彼女も実物を見たことがないからだった。しかし鐘の番人クローシュ・ガルデの伝承が残っている以上、過去に何者かが時の精霊を召喚したことは揺るぎない事実である。それほど遠い存在を召喚するにはマジック・アイテムが不可欠であり、学園内に点在しているという観点から考えても、散らばっている時とはマジック・アイテムと見るのが妥当だろう。長年の研究の末、トリニスタンはそうした結論に辿り着いたのだという。

(時に関係する魔法道具マジック・アイテムかぁ)

 時と聞いて、まず初めに思い浮かぶのはやはり時計だ。トリニスタンの話に『時の計り』というものが出てきたこともあって、葵はその辺りのことを訊いてみることにした。

「時の計りってどういうものなんですか?」

「実物をお見せすることは出来ませんが、こういった形状のものです」

 そう言うと、トリニスタンは空中に絵を描いてくれた。それが見慣れた形をしていたので、意表を突かれた葵は目を瞬かせる。

(砂時計だ)

 その独特な形状フォルムは、どこからどう見ても葵の知っている砂時計と同じものだった。今までにもたびたび感じてきたことではあるが、やはりこの世界はどこか自分の生まれ育った世界に似通っている。

「最後に、お話ししておきたいことがあります」

 二つの世界の不思議な類似に思いを馳せていた葵は、トリニスタンが口調を改めたことで意識をそちらに戻した。

「何ですか?」

「あなたが異世界からの来訪者とはいえ、時の精霊との対面が禁忌であることに変わりはありません。理を乱す者は時に、世界からその存在を拒絶されてしまうこともあるのだそうです。このことを、どうか心に刻んでください」

 トリニスタンが最後に告げてきたのは警告だった。世界に拒絶された者の末路を実際に見たことがある葵には、その意味が痛いほどによく分かる。しかしそれが、自身に起こることは想像していなかった。現実を突きつけられた葵が言葉を失っていると、トリニスタンは表情を改めてから言葉を重ねた。

「レイチェルやローデリックから、あなたの話は聞かせてもらいました」

 話題を変えたトリニスタンは、この世界のことをどう思うかと葵に尋ねてきた。彼女がどういった意図を持って質問してきたのか分からず、葵は眉をひそめる。しかし補足はなさそうだったので、ひとまず考えてみることにした。

(どうって……言われてもなぁ)

 自分が今いる世界に対して、何を思うのか。そこに住む人々のことであれば何かしらの感想はあるが、世界そのもののこととなると答えるのが難しい。そもそも考え事をする時には中核が必要となるわけだが、トリニスタンの問いかけは抽象的すぎた。葵がいつまで経っても答えられずに困っていると、やがてトリニスタンが再び口火を切る。

「この世界に召喚されてから、すでに一年以上が経過しているそうですね?」

「あ、はい」

「初めは戸惑ったことでしょう。ですが今は、どうですか?」

「えっと……だいぶ、慣れてはいると思います」

 非日常的な世界でも、一年以上も身を置けばそれが日常になる。この世界に愛着は湧いたかと問われたので、葵は少し苦い気持ちになりながら頷いた。葵の反応を見て、トリニスタンは嬉しそうに微笑む。しかしその笑みは、すぐに哀れみを帯びたものへと変わった。

「この世界にいることがあなたの本意でないことは分かっています。異世界にいらっしゃるご両親も、さぞやあなたに会いたがっていることでしょう。ですがご両親は、あなたが危険を冒すことは望まれないと思います」

 もしも葵の両親が全てを知っているならば、娘に冒険をさせることより、ただただ健勝を望むだろう。トリニスタンがそう言うのを聞いて、葵は彼女の意図を理解した。生まれ育った世界に帰ることは諦めて、この世界に永住する気はないかと、彼女は遠回しに諭していたのだ。

(ここに、ずっと……)

 その選択肢は考えたことすらなかった。召喚された当初から、生まれ育った世界に帰ることを希望にしてきた葵は空を仰ぐ。その様子を見て、トリニスタンは静かに言葉を重ねた。

「この世界にも、あなたを愛している者達がいます」

 レイチェルやローデリックがトリニスタンにどんな話をしたのかは、分からない。彼らの話を聞いたトリニスタンが宮島葵という一個人にどんな思いを抱いて発言しているのかも分からないが、その一言は的確に、葵の胸を撃ち抜いて行った。

 葵にとってこの世界は初め、縁もゆかりもない未知の場所だった。しかし一年以上という歳月をこの世界で過ごしてしまった今、もはやここは『異世界』ではなくなりつつある。両親はいないが、この世界には様々な出来事を通して絆を深めた者達がいるのだ。彼らと過ごす日々が『日常』で、離れたくないと願う大切な人がいるのなら、それはもう生まれ育った世界にいるのと変わらない。

(私……)

 今でも本当に、帰りたいと願っているのだろうか。揺らぐことがないと思っていた気持ちは、その問いかけを前に容易く崩れて行った。帰らなければならないという義務感は確固としてあるのだが、帰りたいと願う気持ち・・・・・・・・・・は、以前ほど強靭なものではなくなっていたのだ。


『世界の壁を越えることに意味などなく、異世界に生まれついた者とは出会わぬ方が幸せなのだ』


 ふと、召喚魔法の生みの親であるバラージュという青年が言っていたことが蘇った。彼は異世界からやって来た女性を愛したのだが、彼女は生まれ育った世界に帰ってしまった。相思相愛だった彼らは別れの時、死に等しい苦しみを味わったのだという。

(ヨーコさんもきっと、こんな気分だったんだ)

 バラージュが愛した女性――マツモトヨウコは、どちらも選べないが選ばなければならないという苦境に立たされて、最終的には生まれ育った世界に帰るという選択をした。そしてそれは、おそらく正しい。生まれ育った世界に帰ったヨウコが新たな幸せを手に入れていたからこそ、葵はそう思った。

(やっぱり、帰らなくちゃ)

 両親や友人には絶対に帰ると約束したし、マツモトヨウコには会わなければならない。何より葵は、一度は生まれ育った世界に帰れたのである。それを、帰れなくなるかもしれないことは承知で、再びこの世界に戻って来てしまった。罪滅ぼしのためにも、やれることはやるべきだろう。

 ゆらめきを振り払って、意志を固めた葵は決意を口にしようとした。しかしその前に、それまで黙していたトリニスタンが遮るように口火を切る。

「私と賭けをしませんか?」

「賭け……ですか?」

 決意表明をしようとしていた葵は、脈絡のない提案に気勢を殺がれた。眉根を寄せる葵に、トリニスタンは語り掛けるように言葉を次ぐ。

「各分校に散っている時の欠片は封じられています。私はその封印を解く方法を知っていますが、教えないことにしようと思います」

「え……」

「自力で集めて来て下さい。もしもそれが叶わぬ時は、時の精霊のことは忘れていただきたいのです」

 それは賭けというよりも条件と呼ぶべきものだった。あ然としている葵の前に、トリニスタンは自身の首から外した装飾品を差し出す。その首飾りは銀色のチェーンの先に、小さなネジがついていた。

「封じられた時の欠片です」

 最終的にどういった形状のマジック・アイテムになるのかは、トリニスタンにも分からないらしい。だがこのような部分品がトリニスタン魔法学園の各分校に眠っているのだと、学園長は教えてくれた。第一歩とも言える首飾りを受け取った葵は、真意を量りかねたままトリニスタンを見る。すると彼女は、柔らかな笑みでもって葵を見据えた。

「一度は固く心に決めたことでも、人間は時にそれを覆すことがあります。それは決して恥ずべきことではありません」

 その一言でなんとなく、葵はトリニスタンが言いたいことを察した。彼女はおそらく、葵の逡巡を見て取ったのだろう。だから決意を口に出させず、こうして逃げ道を用意してくれたのだ。

(やるだけやってダメなら諦めろ、ってことね)

 しかも時の精霊を召喚する以前の、世界の意思に反するか否かギリギリの所で範囲を指定してくれているのだから、優しさを感じずにはいられない。深々と頭を下げて、葵はトリニスタンが提案する『賭け』を受けて立つことにした。






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