トリニスタン魔法学園の学園長との話を終えた後、葵は本校の構内にある一室でソファーに体を預けていた。そうしているのはレイチェルに言われたからで、彼女の話によると今からここに誰かが来るらしい。それが誰なのかは知らされていなかったので、扉が開いて待ち人が姿を現した瞬間、葵は目を見開いた。部屋に入って来たのは男女の二人組で、どちらも知己だった。ヘーゼル色の瞳に長いブロンドの髪が特徴的な美少女は名をステラ=カーティスといい、真っ赤な髪が目を引く体格のいい少年はマシェル=ヴィンスという。
「ステラにマシェル!?」
彼らは普段、会おうと思って気軽に会える相手ではない。そのため葵は驚いてしまったのだが、すぐにここが本校であることを思い出して驚きを収めた。本校の生徒である彼らがここにいるのは、至極当然のことなのだ。だが、彼らがここへ来た理由までは見当がつかない。
「なんで二人がここに?」
「レイチェル講師が会わせてくれたの」
ステラの説明によると、レイチェルはどこかで葵とステラが友人という情報を得ていたらしい。そしてせっかくの機会なのだからゆっくり話をすればいいと言ってくれたのだそうだ。マシェルはたまたまその場に居合わせて、それなら自分もとステラに着いて来たということらしかった。
「嬉しいわ。この間はゆっくり話も出来なかったから」
手を取り合って再会を喜んだ後、ステラが何気なく口にした一言で葵はハッとした。ステラの言う『この間』とは、王城でパーティーが開かれた夜のことである。あの夜、ステラは葵だけでなくアステルダム分校のマジスター達とも再会を果たした。マジスター達も葵と同じく邂逅を喜んでいたのだが、ただ一人、ハル=ヒューイットだけは再会を歓迎していなかった。それはステラとハルが、過去に友人以上の関係だったことに起因している。
ステラとハルは一時恋人同士だったのだが、ハルがアステルダム分校に戻って来たことにより、その関係は終わった。少なくともハルはそうだと言っていたが、ステラも同じ認識でいたのかは分からない。そのため葵は、ちゃんと話し合いをしろとハルの背中を押したのだ。その後ハルはステラの許へと向かったはずだが、そこでどのような話し合いが行われたのか分からない。そのため葵は気が気でなくなってしまったのだが、ステラの表情からはパーティーの夜に見せていた翳りが消えていた。
(……そっか。うまく、いったんだ)
胸中で呟きを零した刹那、胸がチクリと痛んだ。だが抱いた感情は、それだけではない。
(これでいい、よね?)
小さな棘は刺さったままだが、それ以上に安堵の方が大きかった。傷ついたハルの姿も、辛そうなステラの顔も、もう見たくはない。そう思うのは幸せになってもらいたいと、心から願っているからだ。その方が心残りもなく、自分が在るべき場所に帰ることが出来る。
「ところで、あっちの世界にはいつ帰るんだ?」
ステラとの雑談が一段落したところで、マシェルが話を振ってきた。その内容が腑に落ちないものだったため、葵は小首を傾げる。
「私、マシェルにそのこと言ったんだっけ?」
「あの騒ぎの時にハルから聞いた」
「ああ、そうだったんだ」
「……アオイ、訊いてもいい?」
ふとステラの声が聞こえてきたので、マシェルとの話を中断させた葵は彼女の方に顔を傾けた。ステラは何故か、ひどく深刻そうな表情をして言葉を続ける。
「マシェルの言った『あっちの世界』というのは、どういう意味?」
「ああ……」
ステラが何を言いたいのか理解した葵は答えをひとまず置いておき、マシェルを振り向いた。
「話してないんだ?」
「オレは話してない。この様子じゃあ聞いてないんだろうな」
一から説明してやればいいとマシェルが言うので、葵はそうすることにした。まず自分が異世界から来たことを告白すると、ステラは絶句してしまう。
「隠しててごめんね」
会えない期間が長くあったが、ステラとは比較的早い段階で出会っている。もう一年以上、彼女には真実を秘してきたのだ。そのことをステラがどう受け取るか葵は不安になったのだが、ステラはすぐに首を振って見せた。
「いいのよ。友達でも、それは軽々しく言えることではないわ」
「……ありがとう」
頭脳明瞭なステラは、言外の思いまで的確に汲んでくれる。打てば響くような対応を懐かしく思いながら、葵は笑みを浮かべた。ステラも破顔し、葵の手を取ってから言葉を続ける。
「本来、出会えるはずのない人に出会えた。私はそれを、とても幸福なことだと思うわ。アオイもそう思ってくれていると嬉しいのだけれど」
「もちろんだよ。私、ステラに会えて本当に良かった」
親しい分だけ別れの寂しさは増すだろうが、出会えたこと自体はひどく、幸福なことだったのだ。ステラと知り合った時は特に味方がいなかったので、当時の辛さを思い返した葵は少ししんみりしてしまった。
「マシェルはどこまで知ってるんだっけ?」
ステラと友情を確かめ合った後、葵は所在無くソファーに腰かけていたマシェルに声をかけた。バラージュが英霊となったところまでは知っているとの答えを得て、葵はステラにも分かるよう説明を加えていく。
「で、送還魔法自体は復元出来たみたいなんだけど、そのまま帰ると元いた場所には戻れないみたいなの」
生まれ育った世界に帰るだけでは、意味がない。もともと葵が存在していた時間に帰らなければならないのだという話をすると、ステラとマシェルは一様に眉をひそめてしまった。彼らはトリニスタン魔法学園の本校に通う優秀な生徒なのだが、それでもやはり、異世界が絡む話には理解が追いつかないらしい。
(まあ、でも、時の精霊のことは話せないからちょうどいいのかな?)
そんなことを考えていると、二人からはどんどん質問が飛んできた。どんなことでも理解しようと努めるあたりは、さすが本校の生徒といったところだろうか。しかし次第に、話がまずい方向へと転がっていく。時の精霊について話が及びそうになったので、葵は慌てて二人の質問攻撃を制した。
「ごめん、約束だから教えられないんだ」
それが学園長との約束事なのだと知ると、ステラとマシェルは口を噤んだ。どうやら彼らの中には暗黙の了解があるようで、残念そうにはしているものの、もう質問をしてこようとはしない。話が一段落したのを見て、葵はステラを振り向いた。
「それで、ステラに聞きたいことがあるんだけど」
「何かしら?」
「時の欠片って知ってる?」
本校の生徒になる前、ステラはアステルダム分校のマジスターだった。分校の封印について何か知っているかもしれないと思って尋ねてみたのだが、果たして、ステラはすぐに反応を見せる。
「封じられた時のことかしら?
「
意外な名称が出てきたと思い、葵は首を傾げた。シエル・ガーデンとはアステルダム分校にある広大な温室のことなのだが、それが地を離れるというのはどういう意味なのだろう。尋ねてみると、ステラは「浮くらしい」と答えた。
「浮くって……どうやって」
「
ステラの答えは『シエル・ガーデンがどんな風に浮くのか』という葵の疑問からは少しずれたものだった。だが、どのみちその方法も問わなければならなかったため、想像を膨らませていた葵はいったん思考を停止させる。それから改めてステラの回答を受け止め、小首を傾げた。
「トゥムソルって何?」
「そういう花があるの。マジスターの誰かに聞けばすぐに分かるわ」
葵が独力でシエル・ガーデンを浮かすことは出来ないだろうから、マジスターに協力してもらえばいいとステラは言う。それが良さそうだと思った葵は様々な疑問をひとまず脇に置き、ステラに頷いて見せた。話が途切れたところでマシェルが口を挟んできたので、ステラは彼に向かう。どうやらマシェルは『封じられた時』というもの自体を知らなかったようだ。
「面白そうな話だな。で、アオイはその『封じられた時』ってのをどうするんだ?」
「集めるんだって」
時の欠片は各地にあるトリニスタン魔法学園の分校に散らばっている。葵がそういった話をすると、ステラとマシェルは顔を見合わせた。
「アオイ、分校がいくつあるか知ってるか?」
「知らない」
「アステルダム分校を含めて、全部で十六校よ」
「そんなにあるの!?」
予想外の多さに驚いた葵は思わず声を張り上げた。いくら転移魔法という便利なものがあるとはいえ、十六もの学園を回るのはそれだけで一苦労だ。先々の労力を考えて葵が難しい表情をしていると、ステラとマシェルは二人だけで話を始めた。
「ねぇ、マシェル。今日はアーガトン講師がいらっしゃる日じゃなかったかしら?」
「ああ。ベンヤミン講師も見たぜ」
その後も二人の会話には、次々と耳慣れない人物が登場した。彼らが何の話をしているのか分からなかった葵が黙っていると、やがてステラとの話を切り上げたマシェルが説明を加えてくれる。その説明によれば、二人が名前を挙げていたのはいずれも公爵だということだった。トリニスタン魔法学園は王家直轄の本校を除き、各分校はその地を治める公爵家の私財である。そして公爵の称号を継ぐ者は大抵が本校の卒業生であり、本校の卒業生には後輩の育成に力を注ぐという義務があるのだ。そのため本校には、各分校の持ち主である公爵達が講師として姿を現している。
「分校に行くなら公爵に話をつけておくとスムーズだぜ」
「行きましょう、アオイ」
ステラとマシェルが公爵達を紹介してくれると言うので、葵はまだ状況を把握しきれないながらも彼らの後に従った。その後はコネクションを広げるだけでなく、ゆっくりと本校の見学などもしたので、その日一日を葵は本校で過ごしたのだった。
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