溝、深く

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 オリヴァーに先導される形で大空の庭シエル・ガーデンを歩き出した葵達はトゥムソルという花が咲いている場所へ向かって、のんびりと歩を進めていた。こうして歩いてみると、シエル・ガーデンの広さと、そこに生育している花の多様さに改めて驚きを感じる。そして異世界人である葵にとってはもう一つ、別な驚きがあった。

「あれはバラ、あれは百合? あれは……見たことあるけど名前が分からない」

 シエル・ガーデンの中には葵が知っている異世界の花と似たようなものがたくさんあった。乞われるがままに花の名前を口にしていると、その類似に興味を示していたクレアが口を開く。

「けっこう似たような花があるもんやな」

「花に詳しいってわけじゃないから、本当に同じなのかは分からないけどね」

「それだけ似たような花があるってことは、トゥムソルもアオイが知ってる花かもな」

 クレアやオリヴァーとそんな話をしながら歩いていると、やがて目的の花が咲いている場所に到着した。オリヴァーが言っていたようにトゥムソルを見たことがあった葵は、眼前の光景に目を瞠る。その一画は、見事に花開いた向日葵で埋め尽くされていた。茎がかなり高くまで伸びているため、傍まで行くと花弁が見えないほど立派なものだ。

「知っとる花やったか?」

 クレアの声が聞こえてきたので、向日葵を見上げていた葵は我に返って答えを口にした。『ひまわり』という響きが気に入ったようで、クレアは発音を確かめるように繰り返している。オリヴァーも不思議そうに向日葵を見上げていたが、葵が話しかけたことで顔を傾けてきた。

「ステラが言ってた『方法』って、どこに書いてあるの?」

 葵が疑問を口にすると、オリヴァーはトゥムソルの花畑を指差した。そして、その場を動かないままに説明を始める。

「ここからだと分からないんだけどな、トゥムソルの花畑はそれ自体が巨大なトゥムソルになってるんだ」

 それは空から眼下を眺めた時、トゥムソルの花畑がそう見えるということらしい。そして地上絵の中心部には石碑が埋もれていて、そこにシエル・ガーデンを浮かせる方法が書いてあるのだとオリヴァーは言った。

「正確に言うと、その方法を探すための方法が書いてある」

「なんやそれ?」

 首を傾げた葵の疑問を代弁したのはクレアだった。彼女もまた、眉根を寄せて怪訝そうな表情をしている。オリヴァーは小さく肩を竦めて見せてから、答えを口にした。

「封印のことを聞いた後、ステラやウィルと解いてみようって話になったんだよな。でも結局、出来なかった」

 キリルは参加しなかったらしいのだが、好奇心旺盛なマジスター達は話を聞いた後、すぐにトゥムソルの許へ足を運んでみた。そこで石碑を発見したまでは良かったのだが、彼らはその先へは進めなかったらしい。何故かと問われる前に、オリヴァーは自ら言葉を重ねる。

「石碑の情報によると、どこかで儀式をするらしいんだよな。それで大空の庭シエル・ガーデンの中を色々と調べてみたんだけど、その場所がどこなのか分からなかったってワケだ」

「何かヒントとか、書いてなかったんか?」

 クレアからの問いかけにオリヴァーは、影が一望出来る場所と答えた。どういう意味なのかとクレアが問いを重ねると、オリヴァーは自身の足元に視線を落とす。それに倣った葵とクレアは、すぐに異変を察知した。シエル・ガーデンは透明度の高いガラスで覆われている建造物なので、室内とは思えないほど夏の日差しが注いでいる。普通、これだけの光を受けていれば物体には影が生じるはずだ。しかしシエル・ガーデンの地面には、人間の影が存在していなかった。

「植物とかテーブルとか、初めからここにあった物には影があるんだよな」

 しかし、マジスターが持ち込んだ物や花園の中にいる彼ら自身には影が現れない。マジスター達がいつその事実に気が付いたのかは分からないが、彼らはすでに、ここはそういう場所なのだと思っているようだ。初めてそのことに気が付いたクレアは気味悪がっていたが、先程からあることが気になって仕方がなかった葵は独白を零す。

「……シャドウダンス」

「ん?」

 クレアと話を続けていたオリヴァーが、独白を拾って顔を傾けてきた。考え込んでいた葵はオリヴァーを見据え、気になっていたことを口にしてみる。

「創立祭の夜、大空の庭シエル・ガーデンで影が躍ってた」

 夏月期最初の月である岩黄いわぎの月の十日に、トリニスタン魔法学園では創立祭が行われている。その時に葵は、人間から分離した影のみが踊っているという、奇妙な光景を目の当たりにしていた。学園に編入してきたクレアは創立祭のことを知らなかったが、あのパーティーの主催者の一人であるオリヴァーはハッとした顔をする。

「そうか……あれも影か」

「ねぇ、あれって一体何なの?」

「ただの余興だと思ってたけど、そうじゃないみたいだな」

 そこで一度言葉を切ったオリヴァーは、クレアにも解るように説明を加えた。普段のシエル・ガーデンはマジスター専用の場所となっているが、創立祭の夜にだけ、この場所は一般の生徒にも開放される。そして一般の生徒達を受け入れる時、転移用の魔法陣を普段使っているものから特別なものに換えるのだそうだ。魔法陣を換えると、そこに降り立った者の影は自然と分離する。そして葵の見た光景になる、ということのようだった。

「魔法陣を換えるのは、何で?」

「魔法陣を公開すると誰彼構わず入って来られる場所になるからな」

「うざってぇ」

 オリヴァーの発言にキリルが顔をしかめたのは、この学園でのマジスターの人気ぶりを思えば当然のことかもしれない。マジスターが往来を歩くだけで群がってくる女子生徒の姿を思い浮かべた葵は、キリルの反応に苦笑いを浮かべた。会話を続けながらも考えを巡らせている様子のオリヴァーは、真顔のままに話を続ける。

「今まではそう思ってたけど、魔法陣を換えること自体に意味があったのかもしれない」

「普段は影があらへんのに、その時だけ現れるなんておかしな話やもんなぁ」

 クレアが同意を示したところで、オリヴァーはいったん考え込むのを止めることにしたようだった。表情を改めた彼は、それから何気なく葵を見る。

「そういえば、アオイはどこからそれを見てたんだ? あの時、確かいなかったよな?」

「ああ……うん、」

 オリヴァーからの問いかけに苦い記憶を蘇らせた葵は、空に視線を漂わせながら当時の状況を説明した。創立祭の夜、本当はステラ達と共にパーティーに行くはずだったのだが、ある事情により、葵は約束をすっぽかしてしまったのだ。そんな葵がどこからパーティの様子を見ていたのかと言うと、マジスターでさえ知らなかったシエル・ガーデンの隠し通路からである。葵の答えを聞くと、オリヴァーは周囲が驚くほどの勢いで指を鳴らしてみせた。

「そこはまだ調べてない」

 かなり可能性が高いと思っているようで、オリヴァーの瞳は輝いていた。普段はその温厚な性格に隠れているが、そういえば彼も『探求の徒』なのだ。久しぶりにそんなことを考えた葵は生き生きとしているオリヴァーを微笑ましいと思った。しかし頬を緩めたのも束の間、キリルの視線を感じてすぐに真顔に戻る。

「……なんだよ」

 目が合った途端に表情を変えたためか、キリルが嫌そうな顔をして問いかけてきた。苦笑した葵は首を振り、何でもないと言葉を返す。キリルはまだ眉根を寄せていたが、オリヴァーが再び話しかけてきたので、その話題は終わりとなった。

「前から聞こう聞こうとは思ってたんだけどさ、アオイは誰からあの道のこと教わったんだ?」

「アルだよ」

 葵が話題に上らせたアルヴァ=アロースミスは、この学園の校医である。以前はその存在をひた隠しにしていたため答えることが出来なかったのだが、今ではもうオープンに彼のことを話すことが出来る。発言に制約がないのは、ずいぶんと気楽なことだ。葵がしみじみとそんなことを考えていると、オリヴァーが疑問を重ねてきた。

「アルヴァさんと理事長って親しかったりするか?」

 オリヴァーが唐突に嫌な人物を思い出させたため、葵は露骨に顔をしかめてしまった。だが、葵が何に対して拒絶感を示したのか分からないオリヴァーはキョトンとしている。出来るだけ口調が刺々しくならないよう気をつけながら、葵は口を開いた。

「同級生、だったみたいだよ」

「じゃあ、決まりだな」

「何が?」

「俺達は封印のこと、理事長から聞いたからさ」

 隠された通路を知っていたアルヴァは、おそらくアステルダム分校の理事長であるロバート=エーメリーからその存在を明かされたのだろう。ならばシャドウダンスのことも含め、その通路に封印を解く鍵があることはほぼ確実だ。オリヴァーがさっそく調べてみると言い出したので、葵達も彼と共に秘密の抜け道へと向かった。






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