時の欠片

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 夏月かげつ期最初の月である、岩黄いわぎの月の四日。丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校では、夏の時季らしく晴れ渡った空の下を生徒達が歩いていた。一様に白いローブを纏っている彼らは転移用の魔法陣が描かれている正門前から敷地内の中央部に存在する校舎に向かっていて、その眺めを上空から窺うと細い川が流れているように見える。その流れの只中を、一人だけ恰好の違う少女が歩いていた。白いワイシャツにチェックのミニスカートという出で立ちをしている彼女の名は、宮島葵という。

 葵はアステルダム分校では有名人なため、校内にいると必然的に注目を集めてしまう。好奇、羨望、嫉妬などなど、周囲から向けられる視線は決して好ましいものではないのだが、今朝の葵にはそれを不快に思っている余裕もなかった。同居人であり、大切な友人であるクレア=ブルームフィールドの様子が、どうにもおかしいからだ。

(クレアが喋らない)

 クレアはお喋りというほどではないが、決して無口な性質タチではない。良くも悪くもストレートで、思ったことをズバズバ言ってしまう毅然とした少女だ。そんな彼女の口数が減るのは、葵が知る限りでは初めてのことだった。

「……ねぇ、クレア」

「何や?」

 呼びかけると、隣を歩いているクレアはすぐさま顔を傾けてきた。その表情にも口調にも明らかな変化は表れていなかったが、やはり今朝の彼女は何かがおかしい。放っておけなくて、葵は疑問を口にしてみた。

「昨夜、何かあったの?」

 クレアは昨日、雇い主であるユアン=S=フロックハートに呼び出されて、夕食後に出かけて行った。その後は会わなかったのだが、今朝から様子がおかしいのでは、その時に何かがあったと思うのが自然だ。葵の発言を受けて、クレアは微苦笑を浮かべる。

「何でそう思ったんや?」

「だって、喋らないし。元気ないから」

「うちなぁ、反省しとるんよ。せやから少し自重しようと思ってなぁ」

 クレアは良くも悪くも率直で、自分の考えを述べることを躊躇ったりはしない。そんな彼女の口から飛び出した『自重』という言葉があまりにも意外で、葵は本格的に心配を募らせた。

「どうしちゃったの?」

「別に悩んだりしとるわけやないから、そないに心配した顔せんでもええわ。それより、アルの所へ行くんやろ?」

 エントランスホールに辿り着くと、クレアは「ほな、また後でな」と言って去って行った。心なしかいつもより小さく見える背中を見送ると、葵は一人で校舎の北辺にある保健室へと向かう。扉を開けると、そこには金髪の青年の姿があった。この部屋の主である、アルヴァ=アロースミスだ。

「どうしたの?」

 アルヴァの姿を見るなり、葵は首を傾げて問いかけた。その理由はアルヴァの服装がいつもの白衣ではなく、スーツのようなかっちりしたものだったからだ。

「王城に行かなくちゃいけなくなった」

 今にもため息をつきそうな調子で言うと、アルヴァは葵に謝罪した。今日は彼と一緒に分校巡りをする予定だったのだが、葵は小さく首を振る。

「いいよ、謝らなくても。じゃあ、明日ね」

「待って、ミヤジマ」

「ん?」

 予定があるのなら仕方がないと、保健室を後にしようとした葵はアルヴァの声に引きとめられて振り向いた。目が合うと、アルヴァはクレアの様子を尋ねてくる。それで、葵はピンときた。

「昨日、クレアと何かあった?」

 それはもう確信に近い問いかけだったのだが、アルヴァは返事を寄越さなかった。この話題になると口が重くなるのは、アルヴァもクレアも同じだ。話してもらえない寂しさから、葵は顔を歪めた。

「……分かった。もう、いい」

「ミヤジマ、」

 立ち去ろうとしたらアルヴァに腕を掴まれて止められた。一瞬だけ不安げな表情を見せたものの、アルヴァはすぐ真顔に戻る。そして平素の調子で、淡々と言葉を続けた。

「怒ったのか?」

「怒ってはないけど……なんか、やだ。私に話せないことなら言わなくていいから、早くクレアと仲直りしてほしい」

 葵にとってクレアとアルヴァは最も身近で、最も頼りにしている人達だ。何が原因で二人の仲がこじれてしまったのかは分からないが、大切な人達が険悪にしているのを見ていたくはない。葵がそうした胸中を明かすと、アルヴァは眉間にシワを寄せた。

「それは、難しいかもしれないな」

「どうして?」

「僕達はケンカをしているわけじゃないからね。ただ価値観の相違で、意見が合わないんだ」

 それで昨夜も、クレアにキツイことを言ったのだとアルヴァは言う。価値観の相違と言われてしまえば何も言い返せず、葵は複雑な思いで眉根を寄せた。

「そのへんの詳しい話は出来ないんだよね?」

「ごめん」

「いいよ。もう、分かったから」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あの、アル?」

「うん?」

「手、離してくれない?」

 葵の腕を掴まえたままだったアルヴァは、ハッとした様子で手を離した。長く掴まれていたため、少し腕が痛んだ葵は自分の手を二の腕に添える。その仕種を見て、アルヴァがすまなさそうな表情になった。

「ごめん。痛かった?」

「ちょっとだけ。でも別に、そんなに痛いわけじゃないから」

「悪かった」

「もういいって。それより、予定があるんじゃないの?」

 葵に促されて思い出したようで、アルヴァは苦々しい表情になって頷いた。短く別れを告げると、葵は今度こそ保健室を後にする。その足で教室へ行くと、キョトンとした顔のクレアに迎えられた。

「どないしたんや?」

「アル、用事が出来ちゃったんだって」

「今日の分校巡りは中止っちゅーことか?」

「うん。そうなった」

「せやったら、今日はどないする?」

 このまま教室で授業を受けていくのかとクレアが問いかけてきたので、眉根を寄せた葵は空を仰いだ。

(授業かぁ……)

 魔法を学ぶことは有意義ではあるのだが、今は他にやらなければならないことがハッキリしている。出来ればそちらに集中したいが、アルヴァがいないのでは無理だ。そこまで考えたところで、葵はポンと手を打った。

「マジスターの所に行く」

 トリニスタン魔法学園はアステルダム分校を含め、分校が十六校ある。王都にある本校以外は各領地を治めている貴族の私財扱いとなっているため、その十六校の中にはマジスターの家が管理しているものがあるのだ。彼らに頼めば、アルヴァがいなくても分校を捜索出来るかもしれない。そのことを説明するとクレアが一緒に行くと言ったので、葵達は連れ立って教室を後にした。

 校内でマジスターが溜まり場としている大空の庭シエル・ガーデンに辿り着くと、そこには三人の少年の姿があった。花園の中央で優雅に紅茶を愉しんでいる彼らは、この学園のマジスターであるキリル=エクランド・ウィル=ヴィンス・オリヴァー=バベッジだ。アステルダム分校のマジスターにはもう一人、ハル=ヒューイットという少年がいるのだが、彼の姿はなかった。

「いいところに来たな」

 口火を切ったオリヴァーが「そっちへ行こうと話していた」と言うので、葵は首を傾げた。何か用事でもあったのかと尋ねてみたが、そういうことではないらしい。単にキリルが自分に会いたがっていたからだと聞かされて、どういう顔をしていいのか分からなかった葵は視線を泳がせた。

「そっちは?」

 どうしてここへ来たのかと、問いかけてきたのはウィルだった。キリルの視線を意識しないよう努めていた葵は我に返り、事情を説明する。昨日のシエル・ガーデン探索にウィルは不在だったが、ある程度の事情はすでにオリヴァーあたりから聞いていたらしい。マジスター達が快く協力を申し出てくれたため、一行は連れ立ってシエル・ガーデンを後にした。






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