時の欠片

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 セラルミド分校のマジスターに案内されて辿り着いた場所は、校舎の北側だった。アステルダム分校で言えば壁面に大穴の開いた塔がある辺りだが、セラルミド分校にはそのような建造物は見当たらない。セラルミド分校のその場所には鉄のゲートがあって、葵達はゲートを前にして歩みを止めていた。ここからでは遠くて良く見えないが、ゲートの奥には何やら四角い物体がある。

「なんや、急に暑くなったなぁ」

 トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを着用しているクレアが、胸元をはためかせながら独白を零している。ちょうど同じことを考えていた葵も、手で自分に風を送りながら同意した。葵やクレアが着用している衣服には適温に調節する魔法がかけられているため、夏場でも暑さを感じることはほとんどない。しかしこの一帯は、やけに暑かった。

「この先は焼却炉になっています」

 口を開いたのは黒縁眼鏡の少年で、彼は焼却炉の発する熱が調節能力を上回っているため暑さを感じるのだと教えてくれた。そういうものなのかと思いながら、葵は遠くに見える四角い物体に目をやる。焼却炉なのだというそれは厳重なゲートの向こう側にあって、日常的に使用されているようには見えなかった。同じことを考えたようで、クレアが使っていないのかと尋ねている。黒縁眼鏡の少年は困ったように眉尻を下げ、答えを口にした。

「ご覧の通り、近付くことが出来ないのです」

「使えん焼却炉なんて無用の長物やな」

「そうですね」

 和やかに会話をしている二人の横を、不意に歩き出したキリルが通り過ぎて行った。厳重なゲートを一蹴りで破壊すると、彼はそのまま焼却炉の方へと進んで行く。葵はあ然としたが、オリヴァーやウィルは無言でキリルの後を追って行った。取り残されるわけにもいかなかったため、葵はクレアと共に歩き出す。だがセラルミド分校のマジスター達は、追って来なかった。

「あの人達、来ないよ?」

「この先は彼らにはキツイだろうからね」

 背後を気にしている葵に応えたのはウィルだった。言葉の意味が分からずにいると、真顔のままでいるウィルはもっと自分達の傍に寄れと指示を出してくる。言われるがまま、葵とクレアはウィルとオリヴァーの傍へ寄った。

「これは、確実にいるね」

 前方を見据えたまま、ウィルが誰にともなく言葉を紡ぐ。少し間を置いてオリヴァーが頷いたのを見て、葵とクレアは顔を見合わせた。

「何がおるんや?」

 クレアからの問いかけに答えたのはウィルで、彼は「精霊」とだけ短く口にする。その後、オリヴァーが補足してくれた内容によると、この暑さは焼却炉がどうこうというよりも、そこに精霊がいるために異様な熱が発されているらしい。それは何らかの対処なしには近付けないもので、セラルミド分校のマジスター達にはそれが難しいだろうということだった。

「もしかして、今も何か魔法を使っとるんか?」

「魔法ってほどじゃないけど、熱は分散させてるよ」

 クレアの質問に答えたウィル曰く、彼らは魔力を放出することで焼却炉から押し寄せる熱を散らしているらしい。説明を聞いて周囲に視線を走らせたクレアは「なるほどなぁ」と呟きを零す。今の葵には見ることが出来ないが、そこにはウィルとオリヴァーの魔力が揺蕩っているのだろう。

 オリヴァーやウィルに護られる形で歩を進めて行くと、やがてキリルが立ち止まっているのが見えた。彼の横には、鉄製の四角い物体がある。周囲には他に何もないので、おそらくこれが『焼却炉』なのだろう。だが排煙設備のないそれは、焼却炉と言うよりも大きなゴミ箱のようだった。

「これが焼却炉なんか?」

 想像していたものと違ったようで、クレアが訝しげな声を発する。しかしその問いかけに答えられる者はおらず、とりあえず蓋を開けてみようという話になった。その任を請け負ったキリルが蓋を開けると、内部から炎が噴出する。それは焼却炉の傍にいたキリルの姿をかき消してしまうほどの勢いで、オリヴァーが焦った様子で声を張り上げた。

「キル!! フタを閉めろ!!」

 オリヴァーが叫んでから少し間を置いて、炎の噴出はおさまった。しかし、すでに外に出てしまった炎がまだ蠢いていて、辺りは火の海と化している。尻尾を切られてもなお動くトカゲのような炎は、オリヴァーとウィルが魔法を使って消火した。

「キル、大丈夫か?」

 事態の沈静化を図ってから、オリヴァーは精霊の炎をまともに浴びてしまったであろう友人に駆け寄った。しかし焼却炉の脇に佇んでいるキリルは平然としていて、特に被害を受けたような様子はない。それを見てウィルが、呆れを含ませながら「さすがだね」と言った。

「それで、何をどないするんや?」

 とりあえず何かが封印されているらしいという場所には来てみたものの、そこから何をすればいいのか分からない。そもそも探している物が何なのかすら分からないので、答えようがなかった葵はマジスター達を見る。

「ここ、何かありそう?」

「これだけ強い精霊がいるんだから、何もないことはないだろうね」

「精霊に訊いてみるっていうのが、一番手っ取り早そうだけどな」

 語尾に含みを持たせて言葉を切ると、オリヴァーはキリルを振り向いた。ウィルもオリヴァーと同じことをしたので、葵とクレアの視線もキリルに向かう。するとキリルは、再び焼却炉へと向き直った。

「この中に入ればいいんだろ?」

 キリルは言外の意図を正確に汲み取ったらしく、オリヴァーが無言で頷いている。次の行動が定まったことで、葵はキリルの傍へ寄った。だがオリヴァーとウィルは、その場を動こうとしない。てっきり全員で行くものだと思っていた葵は背後を振り返って首を傾げた。

「オリヴァーとウィルは行かないの?」

「行かないんじゃなくて、行けないんだよ」

「俺達がいると足手まといになりそうだからな」

 トリニスタン魔法学園のマジスターは、各分校において最も優秀な生徒の集合体である。特にアステルダム分校のマジスターは別格で、彼らは大抵のことなら労せずに出来る。それは自他共に認めていることであって、葵は自信満々な彼らしか見たことがなかった。そのオリヴァーやウィルでさえ怯んでしまうほど、これから赴こうとしている場所は危険に満ち溢れているのか。そう受け取った葵は不安を募らせたのだが、オリヴァーは明るく笑って見せた。

「俺達は行けないけど、キルがいれば大丈夫だって」

「それなら、うちもこっちやな」

 共にキリルの傍まで来ていたクレアが、そう言うと離れて行った。自分はどうするべきかと、判断に迷った葵はキリルを見る。すでにこちらを向いていたキリルの顔には、恐れも不安も浮かんではいなかった。

「行くぞ」

 短く告げると、キリルは葵の手を取った。もう一方の手で、彼はそのまま焼却炉の蓋を開ける。すぐさま先程のように炎が這い出してきたがキリルはものともせず、葵の手を引いて焼却炉に飛び込んだ。

 キリルと共に赴いた焼却炉の内部は、炎のうねりしか見えない暖色の世界だった。外から見た焼却炉は腰の辺りまでしか高さがなかったはずなのだが、地に足が着いている感じはしない。横の圧迫感もないため、地下にはかなり広大な空間が存在しているようだ。突然大海に放り出されたような不安を抱いた葵は隣にいるキリルの様子を窺う。真顔のまま足下の方を見据えている彼は、普段と変わらないように見えた。

(すごい、なぁ)

 火の魔法を得意とするエクランドの特性もあるのだろうが、この非日常的な世界においても平静さを保っていられるキリルは肝が据わっている。それは確かな自信に裏づけされたもので、以前にも似たような状況に出会ったことのある葵は、その時のことを思い出していた。あれは以前、クレアと共に自宅で魔法の特訓をしていた時のことだった。その時に思いもよらぬことが起こり、キリルと二人で何が何だか分からない状況に直面しなければならなくなったのだ。あの時も、キリルはまったく動揺していなかった。普段は子供っぽくてワガママで、ヤキモチ焼きでどうしようもないが、こういう時の彼はとても頼もしい。

 横顔を見ていたらキリルが振り向いたので、葵は反射的に目を逸らした。しかし目が合ってしまった後だったので、キリルに「何だよ」と突っ込まれてしまう。その質問には答え辛かったので、葵は話を逸らすことにした。

「今、どういう状態なの?」

 顔を戻しながら話しかけると、キリルは小首を傾げた。意図するところが伝わらなかったようなので、葵は言葉を重ねる。

「これって浮いてるの? それとも、落ちてるの?」

 辺り一面が火の海なので、自分達がどういう状態にあるのかが分からない。そういった意味合いが今度こそ伝わったらしく、キリルはゆっくりと降下している状態なのだと教えてくれた。

「精霊はどこにいるの?」

 葵からの問いかけに、キリルは少し間を置いてから腕を持ち上げた。彼の指は何かを指し示しているのだが、そちらに視線を傾けても紅蓮の炎しか見えない。行動の真意を問おうとして顔を戻すと、キリルは少し困ったような表情をしていた。

「どう言えば分かる?」

 その一言で、葵はなんとなくキリルが困っている理由を理解した。葵には解らないことでも彼にとっては当たり前のことで、当たり前のことを説明するのは難しいのだろう。これがウィルやオリヴァーだったら滔々と説明を加えてくれるだろうが、キリルとはまだそういった関係を築けていないらしい。

「どう答えればいいのか分からないから、やっぱりいいや」

「良くねぇだろ。ちゃんと答えるから、説明しろよ」

「だから、それを説明するのが難しいんだってば」

 葵にはキリルが何をどう言おうとしているのか分からないし、キリルには葵が何をどこまで理解しているのかが分からない。そのような状態でこの会話を続けても、時間を無駄にするだけで得られるものはないだろう。そう説明してみても、キリルは不満顔を崩さなかった。

「なんか、気持ち悪ぃ」

「キリルは私のことよく分からないだろうし、私もキリルのことあんまり知らないんだから、しょうがないよ」

「それだ」

「……何が?」

 キリルから意味不明な反応が返ってきたので問いかけると、彼は「それが嫌」なのだと言った。もっと葵のことを知りたいし、自分のことも知って欲しい。真顔でそんなことを言われたため、葵はポカンと口を開けた。






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