時の欠片

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「その話、今じゃなくても良くない?」

 いつの間にか、話が脱線している。自分が発した言葉によってそう気づいた葵は、口元を手で覆って吹き出した。炎に支配されている異様な空間に身を置いていても、キリルは本当に何一つ変わらない。彼があまりにもいつも通りすぎて、不安を感じていたことさえ滑稽に思えてしまった。

「何で笑うんだよ?」

「なんでも……わっ!?」

 訝しげに眉根を寄せているキリルに答えようとした途中で、葵は驚きの声を上げた。その理由は、炎の中から何かが這い出してきたからだ。真顔に戻ったキリルがとっさに庇ってくれたが、その姿を瞳に映した葵は別の驚きを感じて瞠目する。

(あ……)

 波のようにうねっている炎の間から姿を覗かせたのは、黒いトカゲのような生物だった。金色に輝く双眸がこちらを向いたので、傍へ寄ろうとした葵はキリルの背中から抜け出す。しかしすぐ、キリルに腕を引かれて制されてしまった。

「精霊だ」

 近付くなと言うキリルは、心配してくれているのだろう。だが、どうしても確かめたいことがあった葵はやんわりと制止の手を払う。少しずつ精霊との距離を縮めながら、葵は問いかけた。

「前に、助けてくれた?」

 質問の答えは、触れ合わなければ得られない。そのことを知っている葵は精霊の傍でしゃがみこみ、手を差し伸べた。もし違う個体であるのなら、キリルが警戒しているように危険なのかもしれない。だが眼前にいるトカゲは自分から体を寄せて来てくれて、岩のように硬い肌に触れた瞬間、葵はホッとした。

「やっぱり、あの時の」

 葵は以前、クレアと共にトリニスタン魔法学園の進級試験に臨んだ。その試験というのが生徒同士による対戦で、葵が窮地に陥った時、サラマンダーが現れて助けてくれたのだ。精霊は本来、人間に近付きすぎることはないが、サラマンダーの助けを受けた時、葵には特別な力が宿っていた。今はもうそのような力はないが、それでもサラマンダーは以前と変わらぬ親しみを抱いてくれている。嬉しく思った葵は頬を緩ませ、サラマンダーを抱き上げた。

「そっか、炎の精霊って言ってたもんね」

 クレアに『火の精霊』だと紹介した時、サラマンダーは自分が『炎の精霊』なのだと抗議の声を上げていた。当時の葵には何が違うのか分からなかったが、この炎一色の世界を見ていると、その呼び名がサラマンダーには相応しいような気がした。

 再会の挨拶を済ませると、葵はサラマンダーを抱いたままキリルを振り返った。精霊が人間に懐くことなどないと心得ているキリルは、葵がサラマンダーと懇意にしていることにあ然としている。サラマンダーとの関係についてキリルに簡単な説明をした後、葵は再びサラマンダーに目を移した。

「時の欠片を探してるんだけど、何か知らない?」

 葵が口にした『時』という単語に、サラマンダーは過剰な反応を示した。どうして時を探すのかと尋ねられたので、葵は事情を説明する。話が終わるとしばらくは意思の疎通が途絶えていたが、やがてサラマンダーが行動を起こした。葵の腕からするりと抜け出すと、サラマンダーは再び炎の合間に姿を消してしまう。

「……これって?」

 しばらく待ってみても何も起きなかったので、葵は意見を求めてキリルを振り返った。しかしキリルも、分からないと首を振る。だがその直後、キリルが不意に表情を険しくした。

「来る」

「え?」

 何が来るのかと葵が問いかける前に、異変は起きた。周囲で渦巻いていた炎が、急にその身を退け始めたのだ。炎が消えてしまうと、それまで見えなかった焼却炉の壁が露わになる。煤けたそれは、まだだいぶ下方へと伸びていた。深さは相当なものだが、横幅は予想していたよりも広大ではない。そんなことを考えていた葵は、キリルが喉を鳴らした音で我に返った。振り向いて見ると、それまで余裕の表情でいたキリルの面に明らかな狼狽が浮かんでいる。彼の漆黒の双眸は、炎が引いて行った下方へ釘付けになっていた。

 冷や汗を浮かべているキリルなど、いまだかつて見たことがなかった。話しかけるのも躊躇われるほど、彼は足下の何かに意識を奪われている。確かな危険を感じた葵は、無言のままキリルに身を寄せた。半ば無意識のようにキリルが葵の肩を抱いた直後、悪い予感は現実のものとなる。突然、下方から噴き上げてきた炎に体当たりされたのだ。それは一瞬の出来事だったが、葵は確かに見た。体当たりしてきた炎が巨大な生物の形をしていて、すさまじい炎の中に金色の瞳がぎらついていたのを。

 巨大な何かに体当たりされたことにより、焼却炉の中にいた葵とキリルは外に押し出された。その衝撃はすさまじく、いったん空中に放り出された葵とキリルはその後、地に叩き付けられる。焼却炉から少し離れた場所で彼らの帰りを待っていたクレア・オリヴァー・ウィルの三人は、その様子を見て慌てて葵とキリルの傍へ寄った。

「キル! アオイ!」

「生きとるか!?」

 クレアに助け起こされた後、葵は大丈夫だと答えてから小さく頭を振った。衝撃は激しかったが、キリルが庇ってくれたようで体に痛みは感じない。キリルにも怪我はないようで、オリヴァーに助け起こされた彼も大丈夫だと言っていた。

「一体、何があったんや?」

 クレアが問いかけてくるのと同時に、ウィルがあらぬ方向に顔を傾けた。つられて視線を移してみると、それまで炎を噴いていた焼却炉の扉がバタンという音を立てて閉ざされる。強い拒絶を感じた葵は何も言えなくなり、開きかけていた口を閉ざすしかなかった。

「中で何があったんだ?」

 しばらく沈黙が続いた後、口火を切ったのはオリヴァーだった。キリルと葵は代わる代わる、焼却炉の内部であった出来事を説明する。やがてウィルが「サラマンダーだね」と言い、オリヴァーもその意見に同意した。

「アオイが召喚したっていうサラマンダーは、おそらく眷属じゃないね。サラマンダーが自分の一部を切り分けて作った、分身みたいな個体なんだと思う。本体はたぶん、アオイとキルを弾き飛ばしたやつだよ」

 ウィルの説明が何を意味するのか、葵はすぐに察した。要は、葵と接触のあったサラマンダーは子のようなもので、自身では決めかねる内容を親に相談しに行ったのだ。そして親は、葵の疑問に答えることを拒絶した。

 言葉を発する者がいなくなると、葵の脳裏には巨大な炎の中に見た金色の瞳が蘇っていた。目が合ったのは一瞬の出来事だったが、あの双眸からは侮蔑のような意思を感じた。これだけ激しく拒絶されてしまえば、再び精霊の元に赴いたとしても説得することは難しいだろう。そして精霊の協力を得られないということは、ここに封印されている時の欠片も回収出来ないということだ。

(いきなり、つまずいちゃった)

 元より、簡単に行くとは思っていなかった。それでも頼れる者達が周囲にいるからと、どこかで安心していた部分があったのかもしれない。その彼らに頼っても駄目だったのなら、次はどうすればいいのだろう。途方に暮れた葵がそんなことを考えていると、キリルが不意に立ち上がった。

「……キル?」

 キリルの行動に対して疑問を投げかけたのはウィルだった。その声に反応したキリルはこちらを一瞥したが、言葉を発することはなく歩き出す。再び焼却炉に向かっているキリルを見て、今度はオリヴァーが声を張り上げた。

「よせ、キル!! もう無理だ!」

 オリヴァーの剣幕に驚いたのは、事情を呑み込めていない葵とクレアだった。ウィルも険しい表情で制止の声を発していたが、キリルは構わずに焼却炉の蓋を開ける。そして再び、噴き出してきた炎の向こうに消えてしまった。

「なんてことを……」

「何や? 何がどういうことなんか、うちらにも説明してぇな」

 顔面蒼白で絶句したオリヴァーに代わって、クレアの疑問にはウィルが答えた。

「僕たちは普段、何気なく魔法を使っている。でも魔法っていうのはそもそも、精霊の協力がなければ成り立たない。その精霊に嫌われるようなことを、キルは今してるんだよ」

「それって……つまり、どういうことになるんや?」

「最悪の場合、キルは魔法を使えなくなる。キルだけで済むならまだいいけど、エクランドは昔から炎の精霊の加護が篤い一族だからね。下手をすれば一族郎党、魔法を失うかもしれない」

 スレイバル王国では、王室を頂点とする階級制度によって治世が成されている。階級を決するのは主に魔法であり、キリルの生家であるエクランド公爵家も、秀でた魔法使いの一族であるからこそ支配者側の人間なのだ。魔法を失ってしまえば、エクランドは爵位を剥奪されることを免れないだろう。だからウィルとオリヴァーが制止の声を上げていたのだと聞き、責任を感じた葵は蒼褪めた。

「なんとか、ならない?」

 今からでもキリルを呼び戻せれば、最悪の事態は避けられるかもしれない。そう考えた葵は必死の思いで問いかけたのだが、オリヴァーとウィルは力なく首を振った。彼らの力では、これ以上焼却炉に近付くことさえ難しいのだという。

「そんな……」

 葵が空虚な独白を零した刹那、蓋が開きっぱなしになっている焼却炉から業火が噴き上がった。ゆらゆらと蠢くそれは一度引いて行き、次の瞬間には再び天に向かって噴き上げる。噴火のような現象は焼却炉の内部でキリルが奮闘している証のようで、見ていられなくなった葵は駆け出した。

「キリル!! もう、いいから!!」

「アオイ!!」

 焼却炉の縁に手をかけて叫んだ直後、葵は後を追って来たオリヴァーによって後方に引き戻された。ウィルとクレアのいる場所まで戻ると、オリヴァーは安堵の息を吐く。まだ触れたままでいる彼の手は、小刻みに震えていた。

「無茶しないでくれよ」

 平素より低い声で言った後、オリヴァーは手を離した。すると今度はウィルが、葵の両手をすくい上げる。

「本当だよ。こんなケガまでして」

 ウィルに指摘されて初めて、葵は自分が両手を火傷していることに気がついた。傷を目にすると急に痛覚が復活して、熱を持った両手が疼き始める。だが顔をしかめた頃にはウィルが手当てを始めてくれていて、葵の両手は瞬く間に包帯で覆われた。

 あとのことは、キリルに任せるしかない。手当てをしてくれている間にウィルが発した一言を最後に、会話は途絶えていた。皆一様に、未だ激しい炎を噴き上げている焼却炉を見つめている。どのくらいそうしていたのか分からないが、やがて一際激しい炎と共に黒い物体が焼却炉から飛び出してきた。その物体を排出してしまうと、焼却炉は再び口を閉ざす。炎の流出が収まったため、一同は慌てて地に落ちた黒い物体へと向かった。

「キル!!」

 黒い物体は全身を炎で包まれていたので、オリヴァーが急いで消火に当たった。火が消えると、全身が煤けたキリルの姿が露わになる。地面に這いつくばったままの彼は葵の姿を瞳に映すと、手を差し伸べてきた。傍にしゃがみこんだ葵は震える手で、キリルの手を取る。

「キリル……。キリル、大丈夫?」

「……勝った」

 勝ち誇った表情をして一言だけ呟くと、キリルは意識を失った。握られていた彼の手から力が抜けて、何かが地に転がる。拾って見ると、それは人差し指くらいの長さの細い針のようなものだった。キリルが必死になって勝ち取ってきたものを胸に抱き、葵は嗚咽を堪えながらオリヴァーとウィルを見上げる。

「ねぇ、キリルは大丈夫なの? 魔法使えなくなったりとかしてない?」

 葵は一刻も早く答えを知りたかったのだが、眉根を寄せたままでいるオリヴァーとウィルから答えが返って来ることはなかった。消し炭のようになっているキリルを抱え上げると、オリヴァーがひとまず移動しようと提案する。その言に従って、一同はトリニスタン魔法学園セラルミド分校を後にすることにした。






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