時の欠片

BACK NEXT 目次へ



「バラージュが言っていたことを、覚えているだろう?」

 召喚魔法の生みの親であるバラージュという青年は、自らが召喚した異世界の女性と恋に落ちた。そして別れの時、彼は死に等しい苦しみを味わったのだという。それはバラージュが、愛した女性と共に異世界に行くという決断をしなかったためであり、彼を愛していた女性が生まれ育った世界に帰るという選択をしたが故のことだ。彼らは愛し合いながらも別れることになったが、どちらが悪いなどとは誰にも言えない。そのあたりの考え方はクレアも同じなようで、彼女は顔をしかめるに留まった。

「僕はミヤジマほど適応力が高くないかもしれないが、少なくともキリルよりは、異世界でもうまくやっていく自信がある。だけど、いくら僕が有能であっても、独力では無理な話だ。そこには必ず、ミヤジマの犠牲が伴う。ミヤジマがこの世界で暮らせるよう手助けをした、僕やユアンみたいにね」

 葵の場合はユアンという絶大な支援者がいたからこそ、異世界でもそれなりに暮らしていくことが出来た。しかし生まれ育った世界に戻れば、彼女には他人を庇護するだけの力はないという。いつだったか、葵から聞いたそんな話を思い出しながら、アルヴァは言葉を続けた。

「僕は愛している人の重荷になんてなりたくない。出会わなかった方が幸せだったとは、思わないけどね」

 ミヤジマ=アオイという少女と出会わなければ、人を愛する気持ちなど理解出来ない人生だっただろう。レイチェルとも確執を残したまま、鬱屈とした日々を送っている自分を容易に想像できる。愛してしまったからには失う恐怖と向き合わなければならない日がやって来るが、それでも、アルヴァは『今』を幸福だと感じていた。

「……それは結局、どうもせんっちゅーことやな?」

 しばしの沈黙の後、クレアが眉をひそめながら口を開いた。結果的にはそうなってしまうので、アルヴァは無言で頷く。するとクレアは、あからさまに嫌そうな表情を作った。

「言いたいことは分かるわ。せやけど、それはやっぱり卑怯なんやないか? せめてアオイに気持ちは伝えるべきやと思うわ」

「そう言われてもね。未来がないのにリスクだけ負うなんてナンセンスだよ」

「せやったら、キリルのジャマする権利なんてないわ」

「彼のジャマをしているつもりはないんだけどね。僕はただ、今まで色々と苦労した分、せめてミヤジマと一緒にいたいんだよ」

「それが卑怯やって言うとるんや!」

「この件に関しては価値観の相違だから、どうにもならないね」

 いつもならここで物別れに終わってしまうのだが、アルヴァは憤慨して立ち上がったクレアを呼び止めた。鬼のような形相で睨み付けてきたクレアを宥めすかし、アルヴァは話を続ける。

「昨日、ミヤジマに言われたんだ。何が理由でケンカをしているのか知らないけど、僕とクレアには仲良くして欲しいって」

「……アオイはほんまに、なんも気づいてないんやな」

「それは、僕がそうしたからね。仕方がない」

「まあ、ええわ。それで、この状態で、どうやってうちらは仲良くするんや?」

「お互い、譲歩が必要だと思うんだ」

 クレアはアルヴァの態度を卑怯だと言うが、自分の想いを伝えられないのは彼女も同じである。つまりアルヴァもクレアも、想いを自分の内だけに留めている状態では第三者に過ぎないのだ。だからお互いに、当事者のような顔をして熱くならない。今後はそのことを弁えて行動しようというのが、アルヴァからの提案だった。

「それって、具体的にはどういうことなんや?」

「本当は誰にもミヤジマの隣を譲りたくはないけど、引きべき時には引くようにする。だからクレアにも、過剰な応援は控えてもらいたいんだ」

「曖昧やな。そんなんで、ほんまにうまくいくんかいな」

「お互いに不満があった時は、その都度話し合いをしよう」

 そうして話し合いを重ねれば、いつかボーダーラインは暗黙の了解となるだろう。アルヴァがそう言うと、ガシガシと頭を掻いたクレアは「確かに建設的かもしれへん」と言った。

「じゃあ、この話はここで終わりだね」

 ティーカップに残っていた紅茶を干すと、アルヴァは魔法でティーセットを片付けてから立ち上がった。クレアにどこかへ行くのかと尋ねられたので、アルヴァは懐から手帳を取り出して答える。

「ミヤジマが動けないのなら、僕が代わりに出来ることをするだけだ」

 アルヴァが手にしている手帳は葵からの預かり物で、トリニスタン魔法学園の分校を管轄している公爵達の連絡先を記したものである。昨日のうちに足りない情報を付け加え、さらには根回しもしておいたので、アルヴァはもう、どの分校も好きに調査することが出来る。そのことを説明すると、クレアは呆れた顔をした。

「おたく、寝てないんやろ? 少し休んでからにした方がええんとちゃうか」

「心配してくれてありがとう。でも、僕なら大丈夫」

 まだ若いからねと軽口を言っても、クレアはニコリともしなかった。代わりに、短く嘆息した彼女は席を立つ。クレアが付き合ってくれると言うので、アルヴァは彼女と二人で分校巡りに出かけることにした。






 アステルダム公国にあるエクランド公爵の別邸は、敷地面積の広さにおいても、屋敷や邸内の調度品においても、別邸とは思えぬほどの豪奢さを誇っている。この別邸自体が今はキリルの寝所なのだが、それでも好みの部屋というものはあるらしく、彼は常時、寝室として使用している部屋のベッドで寝かされていた。この寝室もまた広く、室内の中央部にキングサイズのベッドを配置していても、決して窮屈さを感じさせない。そんな室内で、枕元に椅子を置いた葵は一人で座していた。目線の先にいるキリルは仰向けで目を閉ざしていて、死人のように眠っている。キリルを診察してくれたアルヴァが部屋を出て行くと、入れ違いにオリヴァーとウィルが姿を現した。昨夜から一睡もしていない葵は顔を上げると、疲れを面に滲ませながら彼らを迎える。

「とりあえずは、大丈夫そうだって」

「アルヴァさんから聞いた。アオイ、俺達が代わるから少し休んだ方がいい」

 気遣いの言葉をかけてくれたのはオリヴァーだった。しかし葵は、キリルを一瞥してから小さく首を振る。

「私のせいだから。キリルが起きるまで、ここにいるよ」

「別にアオイのせいってわけじゃないんじゃない? キルが勝手にやったことなんだし」

 ウィルの辛辣とも思える一言に、葵は苦笑いを浮かべた。確かに、これほどまでの無茶をしてほしかったわけではない。だがそれでも、キリルはこちらが頼んだことに協力してくれて、自分のために危ないことをやってのけてくれたのだ。そんな彼を放っておくことは、やはり無責任のように思えた。

「私なら大丈夫だから。それより、二人こそ寝てないでしょ? ちょっと休みなよ」

「……分かった。俺達は隣にいるから、倒れる前には声をかけてくれよ?」

 まだ心配そうな顔でそう言い置くと、オリヴァーはウィルを促してベッドルームを出て行った。隣とは言っても、オリヴァー達が向かった先は扉を一枚隔てただけの場所だ。小さな音を立てて扉が閉まるのを見てから、葵は再びキリルに視線を転じた。キリルはここに運び込まれて来た時と変わらず、ベッドの上で瞼を下している。微かな呼吸音が聞こえてくるので生きていることは確認できるのだが、あまりにも動かないので死んでしまっているのではと心配になる寝姿だ。彼を診察したアルヴァによると、キリルは精霊にケンカを売るという無茶をしたせいで体力と魔力を大量に消費し、今は失ったものを回復させるための眠りに就いているのではないかという。目立った外傷はなく、体の内部(魔力)にもこれといった悪影響らしきものは見られないと言っていたが、それも当人の意識が戻るまでハッキリとしたことは解らないらしい。つまり、ひとまずは大丈夫だが、本当の状態はキリルが目を覚ますまで分からない、ということだ。

 微動だにしないキリルを見ていると、このまま目を覚まさないのではないかという不安に苛まれる。アルヴァにも診てもらったのだし、そんなことはないと解ってはいても、心配だ。鉛が沈んだような重苦しい胸に手を当てて、葵は短く息を吐いた。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2016 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system