水底の変人

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 夏月かげつ期最初の月である岩黄いわぎの月の六日、宮島葵は同居人であるクレア=ブルームフィールドと共に、朝からトリニスタン魔法学園アステルダム分校の保健室を訪れていた。その理由はクレアが、そこへ行こうと誘ってきたからだ。室内にはこの学園の校医であるアルヴァ=アロースミスの姿があって、窓際のデスクに腰を落ち着けていた彼は葵とクレアの来訪を認めると席を立つ。手招きをされたので、葵とクレアはアルヴァの傍へ寄った。

「昨夜はよく休めた?」

 朝の挨拶が済むなり尋ねられたので、いささか休みすぎた感のある葵は微苦笑で頷いた。

 葵とクレアは一昨日、トリニスタン魔法学園のセラルミド分校へと足を運んだ。そこでアクシデントがあり、共にセラルミド分校に出向いたキリル=エクランドが倒れてしまったのだ。心配した葵は彼に付き添い、そのまま夜を明かした。そして昨日、キリルが目覚めたのを機に帰宅して、そのまま今朝まで眠りこけてしまったのだった。

「寝すぎて体が痛いくらい。昨日はありがとね、アル」

 キリルの診察をしてくれたのがアルヴァだったので、葵は何の気なしに礼を言った。頷くだけで反応を返すと、アルヴァは話題を変える。

「クレアから話は聞いた?」

「うん。昨日、二人で分校巡りをしてくれたんだってね」

 アルヴァがエクランドの別邸に診察に来た後、彼らは二人でトリニスタン魔法学園の分校を回ってくれたらしい。そして幾つかの封印を解いたのだとクレアに聞かされて、葵はアルヴァの元を訪れたのだった。

「それが、そう?」

 窓際に設置されているアルヴァのデスクの上には、幾つかの小物が広げられていた。葵がそれを指差しながら尋ねると、アルヴァは頷いて見せる。

「昨日から調べてるんだけど、用途はさっぱり分からない」

 眉根を寄せているアルヴァが場所を譲ってくれたので、デスクを覗きこんだ葵は魔法道具マジック・アイテムの欠片と思われる物を改めて観察した。デスクの上にはこの世界の文字で描かれた数字が並んでいて、飛び飛びの数字は六つほどある。縦一列に並んでいる数字を見て、葵は首を捻った。

「何に使うんだろう?」

「ミヤジマにも分からないか」

「キリルが精霊から奪い取ったんは何やったんや?」

 クレアから疑問が飛んできたので、葵はスカートのポケットからカプセルに入った針を取り出した。加えて、トリニスタン魔法学園の本校で手に入れた小さなネジも、デスクの上に乗せる。しかしそれらが出揃っても、どういった形のマジック・アイテムになるのか見当もつかなかった。

「まあ、まだ半分くらいしか集まっていないんだ。もう少し欠片ピースが揃えば、自ずと全体像も見えてくるだろう」

 しばらく三人でデスクの上を見つめていたが、やがてアルヴァが気分を変えるように明るく言った。それもそうだと思った葵は頷き、それから改めてアルヴァに視線を移す。

「それにしても、一日で六つも集めるなんてすごいね」

 トリニスタン魔法学園の分校は各地に十六校ある。各学園に探し物は一つだと思われるので、アルヴァとクレアは一日で六つもの分校を回ったことになるのだ。それだけのハードスケジュールをこなし、なおかつしっかりと結果を残してくれているアルヴァとクレアに、葵はただただ感謝するのみだった。だがアルヴァは、大したことではないというように小さく肩を竦めて見せる。

「セラルミド分校では大変だったみたいだけど、他の分校では精霊が出てくるようなこともなかったからね」

「そうなんだ?」

「この違いは何なんやろうな?」

「確かにそこも謎だけど、そもそも僕達は形状が明確なものを探しているわけじゃない。封印を解いたとしても、それが違うものだという可能性もある」

 だから喜ぶのは、まだ早い。アルヴァがそう言うので、葵はその通りだと思った。だが違っていたとしても、今はとにかく分校を巡って封印を解いて、何かしらのアイテムを形にしていくしかないのだ。

「これは、ミヤジマが持っている?」

 話が一段落したところでアルヴァがデスクの上を指しながら問いかけてきたので、葵はすぐさま頷いて見せた。葵の返事を聞くとアルヴァは引き出しから球状のケースを取り出し、デスクの上に並んでいた数字を収納していく。葵が持っていた針もそこに納まると、アルヴァは「アン・クレ」と呪文を唱えた。

「そないに簡単な魔法でええんか?」

 球状のケースは真ん中から上下に開く仕組みになっていたが、ロックされた今となっては繋ぎ目すら消えている。それでも「アン・クレ」自体は単純な無属性魔法で、解除の呪文を唱えれば鍵はすぐに開くものである。だからクレアが訝しげに問いかけたのだが、アルヴァは自信満々に問題ないと答えた。

「このケース自体が頑丈だから大丈夫」

 時の欠片と思われるものを収納したケースはアルヴァの手製らしく、鍵をかける魔法は単純でも簡単には開けられない仕掛けが施されているとのことだった。クレアが試しに開けようとしてみたが、何をやっても開かない。後で開け方を教えるとクレアに言い置いて、アルヴァは葵を振り返った。

「そのサイズなら、スカートのポケットにでも入るだろう」

「うん。ありがと、アル」

 ケースは掌に納まるほどのもので、葵はさっそくそれをスカートのポケットにしまった。今は独力で魔法を使うことが出来ないので開閉は他人任せになってしまうが、こうした措置は非常にありがたい。

「それで、今日はどないするんや?」

 話題を変えたのはクレアだったが、彼女はアルヴァが不意の動きをしたことによって口を閉ざした。アルヴァとクレアにつられて葵も、保健室の扉へと視線を移す。すると間もなく扉が開いて、赤髪の少年が姿を現した。痩身で、おそろしく女顔をしている彼はアステルダム分校のマジスターの一人である、ウィル=ヴィンスだ。

「どうした?」

 室内にやって来たウィルに対し、問いを投げかけたのはアルヴァだった。彼は自分に用があってウィルがこの場所を訪れたと思ったようなのだが、ウィルはアルヴァから視線を外すと葵に向かって手を伸ばす。

「はい、これ」

 反射的に手を出した葵の掌に、ウィルは小さな針を落下させた。掌の上に落ちたそれをまじまじと見つめてから、葵はウィルに視線を戻す。

「何?」

「リカルミトン分校に封印されてたもの」

「え?」

 ウィルから封印のことを聞き、葵は再び掌の上に視線を落とした。そこに乗っている小さな針は、セラルミド分校でキリルが手に入れた物によく似ている。ウィルはこれを、どうやって手に入れたのか。そう思った葵は顔を上げたのだが、質問を口にする前にアルヴァが言葉を紡いだ。

「リカルミトンということは、ヒューイット公爵の治める地だな。ハル=ヒューイットと二人で、これを手に入れてきたのか」

 アルヴァが話題に上らせたハル=ヒューイットという少年は、アステルダム分校のマジスターの一人でウィルの友人である。そうした関係性を考えればアルヴァの発想は至極当然のように思われたが、ウィルはアルヴァの考えをすぐに否定してみせた。

「ハルは何も知らないよ。探しても見つからなかったからね」

「どういうことだ?」

 ウィルがいくら大貴族の子息であろうとも、他の貴族が治める地で勝手な振る舞いをすることは許されない。ヒューイット公爵の許しも得ずに封印を解いたとあっては、それは窃盗と同じことなのである。アルヴァが険しい顔をしながらそう言うので、話を聞いていた葵とクレアも怪訝な表情になってウィルを見た。しかし当の本人は気にした様子もなく、小さく肩を竦めて見せる。

「誰も、無許可で封印を解いてきたなんて言ってないんだけど」

「では、ヒューイット公爵に直接許可をもらいに行ったのか?」

「ハルが見つからなかったから、フレデリカさんに協力してもらったんだよ」

 その名に聞き覚えがあったのか、アルヴァは口を閉ざした。アルヴァから視線を外したウィルは葵とクレアの方を見て、フレデリカという女性がハルの姉なのだと補足する。それから彼は、葵に向かって言葉を続けた。

「それ、キルが手に入れた物と似ていると思わない?」

「あ、うん。私もそう思ってた」

 見比べてみようと思い、葵はスカートのポケットから球状のケースを取り出した。しかし、それを開けることは出来ないので、葵はケースをアルヴァに差し出す。ケースを受け取ったアルヴァはウィルにも特殊なものであると説明した後、ウィルとクレアに開け方を伝授した。

 アルヴァが作ったケースは生体認証のような仕組みになっていて、魔力によって呪文の有効無効を認識するというシステムだった。つまり、あらかじめ魔力を登録した者でなければ、呪文を唱えても反応しないということだ。その事前の登録をアルヴァの立ち合いのもとで済ませ、クレアが開錠の呪文を唱える。すると繋ぎ目すらなくなっていたケースは、あっさりと上下に開いた。






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