水底の変人

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 トリニスタン魔法学園ウォータールーフ分校は、敷地のほぼ中央に校舎があり、その裏手には大小様々な池があった。風の魔法を得意とするウィルが上空から確認したところ、その数はおよそ五十。統合性はなく、広さや深さもまちまちで、秩序らしい秩序は見当たらないとのことだった。

「何か感じるものはある?」

 ウィルからの報告を受けて、アルヴァが意見を求めたのはオリヴァーだ。それは彼が水の魔法に長けているからなのだが、オリヴァーは特に思い当たることはないと答えていた。オリヴァーの返答を聞いたアルヴァは再び池の方に顔を傾け、言葉を重ねる。

「それじゃあ、地道に調べてみようか」

「調べるって、何を?」

 調査の仕方が分からなかった葵はアルヴァに尋ねてみたのだが、返ってきた答えは「全部」というものだった。何か気づいたことがあれば報告しあうということで、その後は個別に池を回っていく。葵もとりあえず、歩いて回ってみた。しかし何をどう調べればいいのか、さっぱり分からない。

「調子はどうだ?」

 しばらく一人で唸っていると、オリヴァーが声をかけてきた。どうもこうもないと、葵は苦笑しながら首を振る。

「何をどうすればいいのか、全然わかんない」

「まあ、アオイは魔法が使えないからな。だけど、意外とその視点が重要だったりするかもしれないんだぜ」

 ここにいる葵以外の者達は、例外なく魔法が使える。その分、魔法の気配には敏感だが、そうでない部分にヒントが隠されている場合には気づきにくいのだ。だから葵のような者の視点は貴重なのだと、オリヴァーは慰めてくれる。相変わらず面倒見がいいなと思い、葵は笑みを返した。

「役に立てたらいいんだけどね」

「そうだな……。じゃあ、アオイはこの池を見て何を思った?」

「え? えーと、キレイだなとか?」

 葵が想像する『池』は、小学生の時に裏庭にあった、鯉が泳いでいるようなものだった。なんとなく緑色のイメージがあるが、ここの池は水の色が青い。それも抜けるような青さで、水の底まではっきりと見ることが出来る。

「そういえば、生き物がいないよね」

 ふと別のことにも気がついて、葵は近くにあった池を覗き込んだ。この池はさほど広さもなく、水深も浅い。水が綺麗なので隅々までよく見えるが、生き物の姿はなかった。

(うわっ、すごいはっきり映ってる)

 覗き込んだ途端に自分の顔がくっきりと映ったことに、葵は驚いた。水鏡とは言うが、これは少々はっきりと映りすぎではないだろうか。

「あんまり身を乗り出すと危ないぞ」

「うん。って、うわっ!」

 オリヴァーに注意された直後、水辺から離れようとした葵は足を滑らせた。近くにいたオリヴァーが慌てて腕を伸ばしたが、葵の体はその手をすり抜けていく。その後、派手な水音を立てて池に落下した。

「アオイ! 大丈夫か!?」

 葵を助けられなかったオリヴァーはそのままの勢いで池に寄ったのだが、そこで動きを止めた。二の句が継げずに立ち尽くしていると、やがて周囲に人が集まってくる。何が起きたのかと問われても、オリヴァーはなかなか説明することが出来なかった。

「アオイが、落ちた」

 説明を求められてから少し間を置いて、オリヴァーは目の前で起こった出来事をゆっくりと言葉にした。その間も、目は葵が落ちた池に釘付けになっている。アルヴァ・クレア・ウィルの三人も池に目を注いだが、彼らはすぐオリヴァーに視線を戻した。

「落ちたって、この池に?」

 アルヴァが念を押すように問いかけてきたのは、当然のことだった。この辺りには大小様々の池があるが、今目の前にある池は成人が両手を広げたよりも少し大きいくらいのサイズである。水深も浅く、落下したとしても、葵くらいの身長があれば頭は水の上に出る。また水は透明度が高く、水底まではっきりと見て取ることが出来た。覆い隠す要素など、何もない。にも関わらず、そこに葵の姿がないのだから。

「見間違い……じゃないと、思う」

 目の前で起こったことにも関わらず自分の記憶に自信が持てなかったが、オリヴァーは先程の出来事を慎重に思い返しながら断言した。それ以上は誰も異を唱えようとせず、ウィルは風を身に纏わせて飛翔し、アルヴァは池の傍でしゃがみこむ。

「何かの魔法が発動した形跡は?」

 アルヴァに問われ、オリヴァーは「なかったと思う」との答えを返した。オリヴァーの返答を聞くと、アルヴァは池の水に手を浸す。青いインクを落としたような池は、アルヴァの行動によってわずかに水面をざわつかせた。

「落ちてみよう」

 水から手を引き上げて立ち上がると、アルヴァは突拍子もないことを言い出した。誰かが制止する暇もなく、アルヴァの体は池に吸い込まれていく。だが葵の場合とは違って、アルヴァはすぐ水面に浮いてきた。

「何してるの?」

 空から舞い戻ったウィルが、池に浸っているアルヴァを訝しげに見ながら言う。実験だと涼しい声音で答えると、濡れ鼠になったアルヴァは池から上がってきた。

「ずぶ濡れやな」

「どうということもないよ」

 声をかけてきたクレアにも平然と答えると、アルヴァは濡れた髪を掻きあげた。だが次の瞬間、水分を失った彼の髪はふわりと額に舞う。瞬時にして乾いたわけだが、それはアルヴァ自身が魔法を使った結果ではなかった。アルヴァの身に変化が起こった刹那、アルヴァ・オリヴァー・ウィルの視線は池に集中する。彼らからワンテンポ遅れて、クレアも池を見た。衆人環視の中でしめやかに、池は外部に飛び散った自身の一部を回収していく。摂理に反したその動きは寒気を誘うもので、見ていて気持ちのいいものではなかった。

「……ん?」

 気味が悪そうに池を見ていたクレアがふと、自身の肩に乗っているワニに似た魔法生物を振り向いた。クレアのパートナーである彼は、名をマトという。マトは触れ合うことによって人間と意思の疎通を図るので、彼から何かクレアに語り掛けたのだろう。傍から見ている者には会話の内容が分からないため、アルヴァ・オリヴァー・ウィルの三人は黙して成り行きを見守った。

「ああ……分かったわ」

 何かの了承を言葉で伝えると同時に、クレアは肩に乗っていたマトを腕に下ろした。両腕でマトの体を支える形になったクレアは、そのまま勢いをつけてマトを池に放り込む。池からは派手な水しぶきが上がったが、それが収まった時、マトの姿はそこになかった。

「はあ、うまいことやりよったみたいやな」

「彼はなんて言っていたんだ?」

 一仕事終えて独白を零したクレアに、問いかけたのはアルヴァだった。池からアルヴァに視線を転じたクレアは、不可解さを表情に滲ませながら説明を始める。

「水嵩がどうのっちゅーてたけど、うちには何のことだかさっぱりや。せやけどまあ、マトが任せろ言うてたからなぁ。任せてええと思うで」

 魔法生物は人間とは違った形で魔法を使うことが出来る。水生生物であるマトにとって水は得意分野であるうえ、葵とマトは友人の間柄だ。そういった事情もあって、クレアはあっさりとマトを池に投げ込んだらしい。

「あと、タイミングが重要っちゅーてたな」

 マトに急かされたため、何のタイミングなのかまでは聞くことが出来なかった。そうしたクレアからの情報を頭に刻み、アルヴァは再び葵とマトが消えた池を見る。その後しばらく会話が途絶えたが、静寂を破ったのは微かな水音だった。それは平素であれば間違いなく聞き逃してしまうほど些末な変化だったが、神経を尖らせていた一同は誰もが同じ音を聞いていて、その正体を確かめるために全員で移動をする。そこで目にしたものは、水底から湧き上がってくる小さな水泡だった。

「泡、だね」

「生き物でもいるんやないのか?」

「そういえばアオイが、ここの池はキレイだけど生き物がいないって言ってたな」

 ウィル・クレア・オリヴァーがそれぞれに発言したところで、再び沈黙が訪れた。その間も泡は湧き上がってきていたが、しばらくすると止んでしまう。眼前の池から変化が消えてしまうと、アルヴが同行者達を見渡した。

「それぞれに調べている時、この池で生物を見た者はいるか?」

「空から見た感じだと、どこにも生物がいるような気配はなかったと思うよ」

 二度ほど空に上がっていたウィルがまず答え、クレアとオリヴァーも首を横に振った。アルヴァ自身も見ていなかったので、誰も生き物を目撃していないことになる。それならばこの泡は、何から生じたものなのだろう。

「生き物は見てないけど、水泡が上がってくるのは何度か見たよ」

 そう告げた後でウィルは、水泡を生じさせていた池の場所は覚えていると付け加えた。それならば、やるべきことは一つ。その思いは全員が同じであり、地上に残された者達はその後、正体不明の水泡について調査を始めた。






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