水底の変人

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 上方から流れ落ちてきていた水が動きを止めると、どこからか鐘の音が聞こえてきた。トリニスタン魔法学園の内部に響くその音色は、始業であったり昼の休憩を生徒達に告げるものだ。時間帯から察するに、今のは昼の休憩を告げるものだろう。トリニスタン魔法学園の昼休みは長く、大多数の生徒が一度帰宅をして昼食をとる。そんな日常を思い返してから、葵はゆっくりとフィオレンティーナに視線を傾けた。

「ここに文字盤か針か、そんなようなものってない?」

 何を探せばいいのかハッキリしたため、葵は具体名を挙げてフィオレンティーナに尋ねてみた。しかし彼女は、怪訝そうに眉をひそめる。

「今の言葉では不足ね。どういったものなのか分からないわ」

「えっと、時計……って言って分かる?」

「トケイ?」

「ここにあるような水時計じゃなくて、もっと小さな、手で持つような感じのやつ」

「残念だけれど、アナタが何を言っているのか分からないわ」

「……そっか」

 夜空に二月が浮かぶこの世界には、葵が言っているような『時計』の概念がない。それぞれに時の流れを感じながら生活しているのだろうが、それを視覚情報として留めておくことをしないのだ。そんな状態ではどう説明をしていいか分からず、葵は歯がゆい思いで卵型のカプセルを見つめた。

(これの中身を見せられたら話が早いのに)

 カプセルの中に入っているのは文字盤が六つと小さなネジが一つ、そして長さの違う細い針が二つ。これを直接見せて、同じような物がこの場所にないか尋ねたい。だがこのカプセルは、今ここにいる者には開けることが出来ないのだ。仕方がないので、葵は視点を変えて話をしてみることにした。

「フィーは時の精霊って知ってる?」

 その一言を口にした刹那、フィオレンティーナの表情が凍った。それまで水の動きにしか関心を示していなかったヘンジンも、こちらに顔を傾けてくる。思わぬ過剰反応に、葵は次の言葉を続けられなくなった。

「何故、その存在を知っているの?」

 しばらくの沈黙の後、フィオレンティーナが静かに口火を切った。その口調には先程までの陽気さはなく、どこか突き放すような響きが含まれている。彼女の豹変をどう受け止めるべきか迷って、葵は自分なりに考えを巡らせてみた。

(何か、まずいことだったのかな)

 トリニスタン魔法学園の学園長から、時の精霊という存在が不可侵であることは聞いていた。そのためごく一部の者しかその存在を認識していないことも知っているし、口外してはならないと言い含められてもいる。そのことと二人の過剰な反応は、決して無関係ではないだろう。口外してはならないという約束は、英霊である二人に対しても有効なものだったのかもしれない。しかしすでに口にしてしまっていて、フィオレンティーナは時の精霊の存在を知っている。ならば話を進めるしかないと、葵はここに至るまでの事情を説明した。

「エリィが、そんなことを……」

 葵が話を終えるとフィオレンティーナは驚きを含ませた独白を零した。突如として飛び出した聞き覚えのない名に、葵は眉根を寄せる。言外の疑問は正しく汲み取られたようで、フィオレンティーナがすぐに解をくれた。

「エレハイム=トリニスタン。現在の学園長のことよ」

 葵は学園長の名を初めて知ったが、それで先程のフィオレンティーナの独白に納得がいった。エリィというのは愛称なのだろう。

「フィーは学園長と仲いいの?」

「この国の貴族はトリニスタン魔法学園と深い関わりがあるから」

 フィオレンティーナの出自は定かでないが、彼女は何代も前のバベッジ公爵が召喚した英霊である。そのためトリニスタン魔法学園については、随分と昔から見てきているらしい。個人的な関わりは持たずとも大抵のことは知っていると、フィオレンティーナは明かした。

「エリィが許可を出したということは、人間が時の精霊に関わるとどうなるのかも知っているのよね?」

「うん、聞いた」

 時の精霊と人間の対面は禁忌であり、それを果たそうとすることは、世界から拒絶されてしまうことに繋がるかもしれない。世界から拒絶されてしまえば生まれ育った世界に帰るどころではなく、この世界で消滅させられてしまうかもしれないのだ。それを承知の上で、葵は時の欠片を集めている。そのことを知ると、フィオレンティーナは口を噤んでしまった。

「精霊を〜呼べばいい〜」

 突然口を開いたかと思ったら、ヘンジンが妙なことを言い出した。真意を問い返す暇もなく、ヘンジンは手にしていたペンをあらぬ方向に傾ける。するとそこに青インクのような水滴が一つ、落ちてきた。

「大丈夫?」

 ヘンジンの行動を見て、眉根を寄せたフィオレンティーナが問いかけている。何が大丈夫なのかは分からなかったが、彼女の硬質な表情を目の当たりにした葵は嫌な予感を覚えた。しかしヘンジンは、のらりくらりと話を続ける。

「時の〜封印を〜解くなら〜」

「どのみち、こうするしかない?」

「そうだろう?」

「……そうね」

 ペンを構えたままでいるヘンジンとどこかコミカルなやり取りを交わしながらも、フィオレンティーナの表情はやはり硬い。重い嘆息をして、彼女は葵を振り返った。

「あとはアナタが頑張りなさい」

 何をどう頑張ればいいのかさっぱり分からなかったが、葵はヘンジンがペンを向けている先を恐る恐る覗きこんだ。一滴の水滴は青みを残したまま地に落ちていて、ゆらゆらと蠢いている。次第にそれは迫り上がってきて、なんとなく人型を成した。

(うわっ……)

 眼前のそれは奇怪で、精霊と言うよりは魔物か何かのようだった。見た目のおぞましさから葵は近寄ることを躊躇ったが、それが精霊だというのなら話してみなければ始まらない。しばらくの逡巡の後、覚悟を決めた葵は青い水に向かって一歩を踏み出した。

「あの……」

 話しかけた刹那、それはニヤリと笑んだように見えた。その直後、迫り上がってきていた青い水は突然四散する。人型だったそれが弾け飛ぶのを、葵は茫然と眺めていた。

「……何?」

 何がどうなったのか理解出来ずに、困惑した葵はフィオレンティーナを振り返った。あ然としている葵の脇をすり抜けて、ヘンジンが精霊のいた場所へ向かう。そこでしゃがみ込んだ彼は、地面から拾い上げた何かを葵に見せた。

「探し物は〜これ〜?」

 ヘンジンの手元を覗き込むと、そこには細長い針が一本、掌に乗せられていた。探していたそれを、葵は恐る恐る受け取る。

「あ、ありがと……」

「いやぁ〜実に〜興味深い〜」

 クツクツと独特な笑い声を漏らして、ヘンジンはそのまま去って行った。理解出来ないことの連続で肌が粟立ってしまった葵は、自分の二の腕をさすりながらフィオレンティーナを振り返る。

「何が、どうなったの?」

「探し物を貰えた。それが全てじゃないかしら」

「それって、水の精霊が受け入れてくれたってこと?」

 炎の精霊が絡んだ時はあんなに苦労をしたのに、今回はうまくいきすぎではないだろうか。拍子抜けした葵がそう零すと、フィオレンティーナは上方を仰ぎながら言葉を紡いだ。

「火、水、土、風。それらは人間にとって、なくてはならないもの。けれど過ぎれば、人間には害になる。精霊にとっても人間は、そういう存在だということよ」

「……え?」

「会えるといいわね。この世界の根幹を成す、古い精霊に」

 その言葉を最後に、フィオレンティーナはマトの体から抜け出した。光を纏う人型となった彼女は現れた時と同様、水に溶けて消えて行く。フィオレンティーナの姿が見えなくなるとプールのように溜まっていた水が突然動き出して、葵とマトはその流れに呑み込まれた。






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