期待と不安、着々と

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 アン・カルテという魔法で世界地図を描き出した時、そこには東西に大陸が二つ存在している。東のゼロ大陸を統治しているスレイバル王国は魔法の先進国であり、その首都であるラカンカナルでは日々、最先端の研究が行われていた。貴族の邸宅が数多く存在しているラカンカナルでは様々な場所に研究施設があるのだが、特異な事情によって創設された召喚魔法の研究室は王城内の一画に存在している。広々とした研究室の内部には現在、二人の人物の姿があった。白いワイシャツにチェックのミニスカートといった出で立ちをしている少女の名は宮島葵といい、鮮やかな金髪と紫色の瞳が印象的な少年は名をユアン=S=フロックハートという。この場所で落ち合ったばかりの彼らは応接セットのソファーに腰かけていて、これから話を始めるところだった。

「ごめんね、いきなり」

 向かい合って座ったユアンが魔法で紅茶を淹れているのを見ながら、葵は口火を切った。ティーカップを手にしたユアンは微笑みながら、そんなことは気にしなくていいと言う。紅茶を勧められたので、葵もティーカップを手にした。

 今日は夏月かげつ期最初の月である、岩黄いわぎの月の七日だ。葵は昨日、友人達と共にトリニスタン魔法学園ウォータールーフ分校に出向き、探していたものを手中にした。探し物を見つけるまでに紆余曲折があったのだが、その中で、ある疑念を生じさせた葵はユアンと話をしたくなったのだ。そのため彼とのパイプ役であるアルヴァ=アロースミスに連絡を取ってもらったところ、ユアンと、彼の家庭教師であるレイチェル=アロースミスは王城の研究室にいるとのことだった。そしてアルヴァと共に王城を訪れ、今に至る。

「僕はアオイが会いに来てくれて嬉しいけど。何かあった?」

 突然の来訪にも嫌な顔一つせず迎えてくれたユアンは、葵の胸裏を見透かして言葉を紡ぐ。自分が抱えているモヤモヤをどう説明しようかと、葵は少し考えてから話を始めた。

「ユアンは時の精霊のこと知らないんだっけ?」

 以前にこの話をした時、ユアンは時の精霊という存在を知らないと言っていたような気がする。葵の方にはそうした認識があったのだが、ユアンはあっさりとそれを覆した。

「精霊王に話を聞いたから、今は時の精霊がどういう存在なのか知ってるよ」

「あ、そうなんだ?」

「時の精霊のことを訊きたいの?」

「うん……それも、あるんだけど」

 曖昧に言葉を切って、葵は一度閉口した。時の精霊のことは勿論、気になっている。しかしそれ以上に気にかかるのが、彼の精霊を知っている者達がとる態度の方だった。どうやって言葉にすれば伝わるか考えながら、葵は再び口火を切る。

「昨日ね、フィーに会ったんだ」

 葵が話題に上らせたフィーとは、バベッジ公爵と盟約を結んでいるフィオレンティーナ=アヴォガドロという英霊のことだ。フィオレンティーナに会ったことがあり、彼女がどういった存在なのかも知っているユアンは、興味深そうに相槌を打つ。どこでどうやって会ったのか尋ねられたため、葵は昨日の出来事を簡略に説明した。

「それで時の精霊の話をした時、フィーの態度が突然変わったの。なんていうか、こう……ちょっと怖かった」

「時の精霊は人間にとって禁忌の存在みたいだからね。本来、その存在を知るはずのないアオイが知っていて、フィーも警戒しちゃったんじゃないかな」

「警戒って……何を?」

 身に覚えのなかった葵が眉をひそめると、ユアンは何故か微苦笑を浮かべて見せた。その表情の理由について、ユアンは静かに語り出す。

「人間は自然現象を自由にしたいと考えて魔法を発展させてきた。時もね、自由に出来たら都合がいいと思わない?」

「ああ……なんとなく、分かったかも」

 夜空に二つの月が浮かぶこの世界には、自然現象を人間の手によって操作する魔法というものが存在している。本来ならば人間の手には負えないことを、この世界の者達は実現させてしまっているのだ。ならば『時』も、人間の意によって操作することが可能になるかもしれない。そう考える人間を、フィオレンティーナは警戒したということだろう。

「そういえばフィーも、時の精霊を召喚するとどうなるのか知ってるみたいだった」

「そう言うアオイも、時の精霊を召喚すると何が起こるのか知ってるんだよね?」

「うん。時の精霊の時間が動き出す代わりに人間の時が止まるって、学園長が言ってた」

 だから本来、この世界の人間が時の精霊を召喚することに意味などないのだ。意味のないことを画策する者を警戒するとは奇妙な話で、葵は疑問が解決したことを素直に受け入れられなかった。複雑な面持ちをしている葵をよそに、ユアンは話を続ける。

「時の精霊は世界の根幹を成す存在だから、他の干渉を厳しく制限されているみたいだね。精霊王も直接的に関わったことはないみたいなこと言ってたから、相当だよ」

「え、精霊王も会ったことないの?」

「ちょっと語弊がある言い方だけど、今の精霊王は年若いからね。時の精霊と接触するような事態に直面したことがないってことなんじゃないかな」

 同じ精霊という存在でも、不必要には近付かない。時の精霊はそうした暗黙のルールの上に存在しているのではないかと、ユアンは憶測を述べる。ふと、不安を感じた葵はユアンに問いかけてみた。

「ユアンでも、時の精霊には会えないのかな?」

「難しい、と思うよ」

「そう、なんだ」

「僕もこの世界の理に囚われている身だからね。時の精霊が他を排除する、それが世界の意思なら逆らえない」

「……そっか、」

 ユアンは世界に選出された調和を護る者ハルモニエという存在で、特別な力を持っている。そのためどんな危機に直面しても、今までは彼がなんとかしてくれた。だが今回は肝心の部分で彼の力を借りることが出来ないのだ。その事実は葵に、これまで感じたことのなかった不安を抱かせた。

(そういえば、私も動けなかったらどうなるんだろう?)

 葵は別の世界の理に囚われている身なので、時の精霊を召喚した時に時間が止まってしまうとは言い切れない。しかしそれは、あくまで可能性の話である。目的を持って時の精霊を呼び起こした者が時間を止めてしまったら、目的を失った世界はどうなってしまうのだろう。そのことに思い至った葵は何気なく、ユアンに尋ねてみた。彼はいつも、質問の解がどのようなものであってもすぐに反応をくれる。しかしこの時は、珍しく黙ったままだった。

「……ユアン?」

 答えあぐねている様子のユアンに、痺れを切らせた葵は声を掛けた。彼は躊躇っているように見えたが、やがて嘆息すると表情を改める。

「あのね、アオイ。人間の時を止めてしまうのは大きな危険を孕んでいる。たぶん、アオイが考えている以上に深刻な事態を引き起こすことになるんだよ」

 口調は柔らかかったが、表情を失ったユアンの顔は強張っていた。それが何よりも雄弁に事態の深刻さを物語っていて、漠然と同じ危機感を抱いていた葵は黙り込む。重くなってしまった空気を換えるかのように、ユアンは紅茶を淹れなおしてから話を続けた。

「アオイも薄々感じ始めていたんだよね? だから僕の所に来たんでしょう?」

「……うん、」

「この話をすると、アオイを必要以上に怖がらせてしまうかもしれない。だから時の欠片が集まるまでは言わないでおこうって話になってたんだけど、やっぱり知っておくべきなのかもしれないね」

 ユアンの発言に妙な部分があることに気がついたものの、葵が疑問を口にすることはなかった。その前に、ユアンが話を聞くかどうか選択を迫ってきたからだ。少しだけ考えて、葵は答えを口にした。

「教えて。ユアンが知ってること、全部」

 故意に秘されていた事実は、おそらく想像以上に衝撃的なものだろう。聞いてしまえば恐怖して、身動きがとれなくなるかもしれない。しかし今のままでも、どのみち漠然とした恐怖には晒されていたのだ。見えない恐怖よりも眼前に捉えた強敵と闘うことを選んだ葵に、ユアンは笑みを見せながら口火を切った。






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