期待と不安、着々と

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「アオイがレイと一緒にトリニスタン魔法学園の本校に行った日にね、学園長と話をしたんだ」

 それはトリニスタンがレイチェルを伴ってユアンの元を訪れたことにより、実現した話らしい。三人による話し合いは時の精霊に関することで、ユアンとレイチェルはその時に、葵が時の欠片を集めることになった経緯を知ったようだ。時の精霊に関して誰にも口外するなと言い含められていた葵は、トリニスタンの矛盾する言動に困惑して眉をひそめる。

「私、学園長に時の精霊のこと誰にも言うなって言われたんだけど……」

 トリニスタンと話をする際、彼女は葵に同行していたレイチェルにも席を外させていた。それなのに、そのすぐ後に同じ話を打ち明けるというのはどうにも解せない。葵がそうしたやり取りがあったことを説明すると、ユアンは前提の話ではないかと推測を述べた。

「レイに席を外させたのは、アオイに事の重大さを感じてもらいたかったからなんじゃないかな。時の精霊の召喚は、どう考えても個人の手には余る。トリニスタン卿もそう思ってたみたいだからね」

 葵が時の精霊を召喚するための魔法道具マジック・アイテムを完成させられれば、時の精霊の召喚と引き換えに人類の時間が止まることになる。これほどの大問題はトリニスタン一人の力でなんとか出来るものではなく、彼女は早々に国家で問題を共有しようとしたのだという。時の精霊の情報はトリニスタンからユアンやレイチェルに伝えられ、彼らからすでに国王にも話が上っている。そして人間の時が止まってしまう前に出来るだけのことをしておこうという、対策室なるものまで動き出しているとのことだった。

「なんか……すごい、ね」

 ユアンが明かした事実は案の定、葵の想像を遥かに超えたものだった。禁忌というものを漠然と悪いものとしか捉えていなかった葵は、それ以上の言葉を見つけられなくて黙り込む。時の精霊の召喚がトリニスタンと二人だけの賭けだった時点では考えもしなかったが、ここまで話が大きくなっていると怯まずにはいられなかった。

「萎縮しちゃった?」

 ユアンが問いかけてきたので葵は素直に頷いて見せた。そう感じるだろうと思って、対策室の存在はしばらく伏せておこうという話になっていたのだという。そういうことかと思った葵は気遣ってくれた者達に感謝を捧げ、それから空を仰いだ。

「私、大変なことしようとしてるんだね」

「そうだね」

「王様は何か言ってた?」

「さすがに、苦い表情をされていたね」

 この国の王室は罪滅ぼしのために、葵に全面協力を約束してくれている。だが葵の希望と人類全体の不具合など、本来ならば天秤にかけるまでもない事柄だ。国王が強固に反対を唱えても、おかしなことは何もない。それが渋るだけで済まされているのは、トリニスタンが国王を説得したからなのだそうだ。

「アオイは鐘の番人クローシュ・ガルデの話、学園長から聞いた?」

「うん。時の鐘を管理する人のことで、代々の学園長に課せられた使命だって」

「アオイが探している魔法道具マジック・アイテムね、初代の鐘の番人クローシュ・ガルデ……つまり、トリニスタン魔法学園の創設者が作ったものらしいよ」

「そうなの?」

 マジック・アイテムの制作者が初代トリニスタンということになれば当然、時の精霊を召喚しようと試みたのも彼の人物ということになる。伝承が残っている以上、初代トリニスタンは時の精霊を召喚することに成功したのだろう。そして人類の時を、止めてしまった。その後、どうして人間の時が再び動き出したのかは分からないが、時の精霊に関わる危険を知った初代トリニスタンはマジック・アイテムを砕いて封印した。そして人間が時に干渉することがないよう、クローシュ・ガルデの使命として情報を隠蔽していたというのなら、筋が通るような気がする。お互いに意見を出し合った結果、葵とユアンはそういった認識で一致した。

「人間が時の精霊と出会うことは世界が定めた禁忌だけど、人間は過去に同じ道を歩み、そして消滅を回避している。だから今回も絶対に出来ないことはないって言って、学園長は陛下を説得していたよ」

「……何で?」

「うん?」

「何で学園長は、そこまでしてくれるんだろう」

 葵に特殊な事情があるとはいえ、トリニスタンと知り合ったのはたかが数日前の出来事だ。それなのに彼女は旧知の人物に対するように葵の身を案じてくれて、賭けをしようと言い出した。その内容は時の欠片を自力で集めることが出来なければ時の精霊のことは忘れるというものだったのだが、そんな約束を取り付ける一方で、彼女は葵がマジック・アイテムを完成させられると信じている。だからこそ先のことを考え、対策室の創設など奔走してくれているのだろう。一見すると矛盾に満ち溢れて見えるが、トリニスタンの真意は底知れぬ優しさで成り立っている。だが、そのことに感謝するのと同時に、葵は疑念を抱くのも止められなかった。

「何か、裏があるんじゃないかって思ってる?」

 微笑みを浮かべたユアンに胸中を見事に言い当てられて、葵は頷くことも出来ないままに苦い表情を作った。葵の顔を見て、ユアンはまた穏やかに笑う。

「学園長……エレハイムさんは優しい人なんだよ。だけどやっぱり、トリニスタンの血を受け継ぐ研究者なんだね」

「どういう意味?」

「禁忌に触れることになるアオイを心配しているのも、本当。でも鐘の番人クローシュ・ガルデとして、トリニスタンの血を受け継ぐ者として、祖先が得たであろう真理を見たいっていう心も、偽れないんじゃないかな」

「あ、ああ……そういうこと」

 生まれ育った世界にいた頃は、研究者というのは別世界の住人だった。しかしこちらの世界に来てからは、そういった者達と触れ合う機会に恵まれた。だからなのかもしれないが、自分にも得になる何かがあるのだと言われた方が、ただの善人なのだと言われるよりもよほど安心できる。妙な風に納得してしまって、葵は力の抜けた笑みを浮かべた。その様子を見て、ユアンが再び笑う。

「安心した?」

「うん。なんか、自分の考え方がちょっとイヤだけど」

「そこで馴染んじゃったらアオイじゃないよ」

 だから好きなのだとユアンに軽口を言われ、葵も平素の応酬をした。しかし和やかだったのはそこまでで、ユアンが再び表情を改める。

「アオイはやっぱり、元の世界に帰りたいんだよね?」

「……え?」

 そこでいきなり意思の確認をされるとは思わず、葵はドキリとした。以前ならば即答していただろうが、今は学園長に言われた言葉が胸に沈んでいる。葵が答えられずにいると、ユアンが話を続けた。

「アオイとは色んな所へ行ったよね。世界の中心セントル・モンディアルなんていう、この世界で生まれ育った者でも大多数がその姿を目にすることなく一生を終えるような場所まで行った」

「うん……そう、だね」

「なんだかんだで危ない目にも遭わせちゃったけど、今までは僕が、隣にいることが出来た。でも、今度は……」

「……うん。分かってる」

 時の欠片を集めて精霊を呼び出すことが出来たとしても、そこから先は誰の力も借りることが出来ない。どんな危険が待ち構えていようと、独りで臨まなければならないのだ。ユアンに言われるまでもなく、それはひどく心細い。それほどの苦難を受け入れて尚、望みを叶えたいと願うだけの意思があるのかと、問われているのは解っていた。だからこそ余計に今は答えることが出来ず、葵は再び閉口する。気遣うように少し間を置いてから、ユアンは真顔のまま言葉を紡いだ。

「僕はアオイが、ずっと帰りたがっていたことを知ってる。だから生まれ育った世界に帰してあげたいけど、アオイが僕の関与出来ない場所で危ない目に遭うのは嫌だ」

 ずっと隣で、笑っていて欲しい。ユアンは真剣な面持ちでそう語っていたが、聞いているうちにおかしくなってしまった葵は小さく吹き出した。

「なんか、告白されてるみたい」

「もう、『みたい』じゃないよ」

 真剣に愛を語っているのにどうしてそこで笑うのかと、ユアンが膨れている。それがまたおかしくて、葵は声を上げて笑った。ひとしきり笑うと陰鬱さは軽減したが、代わりに切なさが込み上げてくる。泣きたいような笑いたいような気持ちになりながら、葵はユアンとの話を続けることにした。

「学園長にも同じこと、言われたんだ」

「同じこと?」

「そう。私の両親が事情を知ってれば、私が危険なことをするのはダメって言うだろうって」

 この世界にも、あなたを愛している者がいる。だからこの世界に残り、健勝に生きてみないかと、そう語りかけられたことは記憶に新しい。そしてその一言に、自分でも驚くほど心を揺さぶられたことも。

「もう一度、よく考えてみるね」

 勝算がどれほどあるのかも分からない賭けに、この世界を巻き込んでいいのかどうか。自らが消えてしまうかもしれない危機に直面してまで、生まれ育った世界に帰ると望むことに意味があるのかどうか。自分の気持ちが、今は一体どこにあるのか。もう一度、初めから考え直さなければならないことが山積みだ。そうした葵の胸中を察してくれたのか、ユアンは穏やかに頷いて見せる。

「そうしてくれると僕も嬉しいな。精霊王もアオイのこと心配してたし」

「精霊王が?」

 突然意外な名前を出されて、葵は目を瞬かせた。しかし驚きと同時に、昨日の出来事が蘇ってくる。

(どこかで聞いたことある声だと思ったけど、精霊王だったのかな?)

 トリニスタン魔法学園ウォータールーフ分校で池に落下した時、どこからか聞こえてきた声が注意を促してくれた。あの時に感じた世界に溶けていくような感覚は精霊が世界に還る時に感じたものとよく似ていて、そのような状況で姿も見せずに励ましてくれた人物となれば、それは精霊王以外に思い当たらない。助けられているなと、葵は思った。

(優しい……)

 召喚された当初、この世界は優しくないことばかりに満ち溢れていた。だが一年以上も滞在した今となっては、周囲に優しい人ばかりが居てくれる。確たる居場所が、ここにあるのだ。それを捨てて、自分は本当に生まれ育った世界に帰れるのだろうか。

(…………)

 やはり、考えなければならないことは山積みだ。そう実感した葵は湧き上がってきた苦い想いを消すために紅茶を口に運んだ。






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