期待と不安、着々と

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 夏月かげつ期最初の月である、岩黄いわぎの月の十日。トリニスタン魔法学園では十日に一度休みがあるのだが、この日は創立祭である。創立祭は全校一斉の行事で、王都にある本校を初め、各地に点在する分校でも、それぞれにパーティーが執り行われる。その内容はマジスターに一任されているため学園によって違うのだが、アステルダム分校では大空の庭シエル・ガーデンが開放されることになっていた。夜になると着飾った生徒達が登校してきて、魔法の照明によって特別に演出されたシエル・ガーデンへと向かう。ライトアップされた花園には特設のダンスホールもあって、今年も持ち主のいない影が踊っていた。

「なかなか盛大やな」

 ダンスや歓談に興じている生徒達を眺めながら、クレアが感想を述べた。編入生である彼女が創立祭に参加するのは、これが初めてのことである。そのため普段とは違った雰囲気のシエル・ガーデンが新鮮なのかもしれない。去年も創立祭を見物した葵はクレアとは違った観点から、一年ぶりの光景を見つめていた。

(去年は上から、この光景を見たんだっけ)

 ここからでは見ることが出来ないが、シエル・ガーデンには隠し通路があって、それはドームの上部まで螺旋を描くように巡らされている。一年前の同じ日、とある事情で堂々とパーティーに参加することが出来なかった葵はアルヴァと共に、空中回廊を歩いていたのだ。はっきりと夜空を映し出しているドームの天井を仰げば、当時の光景が現在と重なるようにして蘇った。去年はただの隠し通路だと思っていた、空中回廊。それが今年は、自分にとって特別な意味を持っている。

「今も、考えとるんか?」

 ぼんやりしていた葵は隣から掛けられた声で我に返り、クレアを振り向いた。ドレスアップした彼女はじっと、こちらを見つめている。人混みが苦手なため、今夜はその肩にマトの姿がない。クレアの声は聞こえていたので、葵は言葉の意味を少し考えてから答えを口にした。

「去年のこと思い出してたんだけど、これからのことも考えてたのかも」

 ユアンと話をした後、クレアにはかいつまんで、自分が置かれている立場を説明してあった。だから葵が、決断を下すために多くのことを考えなければならないことを、彼女は知っている。

「パーティーの夜くらいは難しいこと考えんと……って、この後のこと考えたら無理やな」

 パーティー会場であるシエル・ガーデンには、時の欠片が封印されている。創立祭が終わった後、その封印を解く手筈になっているのだ。時の欠片が集まるということは、また一歩、生まれ育った世界に帰れる状態に近付いたということになる。だが同時に、決断しなければならない刻が迫っているということでもあった。そんな状態では悩みを忘れてはしゃぐなど無理だろう。クレアがそう言っているのが分かったので、葵は笑みを浮かべた。

「クレアに会えて良かったなぁ。今も、隣にいてくれて嬉しい」

「アホ! いきなり何言うとるんや」

「大好きだなって、思って」

「ナーバスになりすぎや。かなわんわ」

 クレアが辟易しているような、戸惑っているような表情を浮かべるので、葵はもう一度小さく笑みを零した。友人と過ごす、何気ないけれどかけがえのない時間。以前から、この時間を失うことに哀しみは感じていた。しかしそれは、まったく現実感を伴わないものでもあった。この時間を失ってしまっても、本当に心は耐えられるのだろうか。

「ああ……ほら、来たで」

 再び思考の海に沈んでいた葵は、クレアに肩を揺すられたことで我に返った。彼女が指し示す方向に目を向ければ、華やかに着飾った女子生徒の群れが見える。その先頭に、燕尾服に身を包んだ黒髪の少年の姿も見えた。漆黒の髪と同色の瞳が目を引く彼の名は、キリル=エクランドという。この学園のエリート集団である、マジスターの一人だ。ここ数日会っていなかったとはいえ、キリルと顔を合わせるのは久しぶりというわけではない。それでも彼の顔を見た瞬間、葵はドキリとした。

(ん?)

 自分の反応がよく分からなくて、胸に片手を置いた葵は首を傾げた。そうしているうちにも、キリルはどんどん近付いて来る。同時に女子生徒の群れも距離を詰めて来るので圧迫感があったが、葵は平静を装ってキリルに声を掛けた。

「お兄さんに連れ戻されたって聞いたけど、大丈夫だった?」

「んなことより、約束。忘れてねーだろーな?」

「約束?」

 キリルと何か約束しただろうかと、葵は考え込んでしまった。その様子を見たキリルは「ほら、やっぱりな」と言わんばかりにため息をつく。それから急に、目つきを険しくした。

「オレが元気になったら二人で出掛けようって言ったじゃねーか!」

 忘れられたことに憤ったのか、キリルの口調は荒かった。はっきり言われたことで約束自体は思い出したのだが、葵は羞恥に顔を赤くする。確かに、キリルの体が治ったら二人で出掛けようとは言った。だがデートの約束を、こんな衆人環視の中で確認しなくてもいいではないか。

「わ、分かったから! こっち来て!」

 自分から言い出した約束なのがまた恥ずかしく、上擦った声を発した葵はキリルの腕を引いた。とにかく少しでも見物人を引き離したくて、早足で歩く。幸いと言っていいのかは分からないが誰も着いて来なかったので、葵は人混みから少し離れた場所でキリルを振り返った。

「あんな所であんなこと言わなくてもいいでしょ!?」

「? なに怒ってんだ?」

 すでに怒りをおさめているキリルは訳が分からないといった様子で首を傾げた。まったく話が通じていないことを見て取った葵は脱力し、声のトーンを落とす。

「体はもう、大丈夫なのね?」

「どう見ても大丈夫だろ。それより、二人で出掛けるって話だ」

「うん、分かってるから」

「この後、行くぞ」

「……は?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった葵はあ然とした。まさかとは思いつつ確認してみると、キリルはやはり、このパーティーが終わった後に出掛けようと考えていたらしい。彼の方こそ、大事なことをすっかり忘れ去っている。どっちもどっちではあるが、頭痛がしてきた葵はキリルにこの後の予定を話して聞かせた。やはり失念していたようで、キリルは一呼吸の間の後、ばつが悪そうな表情を作る。

「だから、今日は無理」

「じゃあ、明日」

「そんなに急かさなくても、いつでも行けるじゃん」

「また忘れられたらたまんねーからな。明日っつったら明日だ!」

 駄々をこねる子供のようにキリルが喚いたところで、人混みの方から誰かが近付いて来た。それはキリルと同じく正装したオリヴァーで、彼は傍に来るなりキリルの首根っこを掴まえる。

「キル! まだ終わってないんだから勝手に抜けるな!」

 オリヴァーの悲痛な叫びから察するに、キリルはパーティーの主催者という役割を勝手に放棄してきたらしい。それは極めて遺憾なことのようで、オリヴァーはいつになく強引にキリルを引きずって行く。いつもそんな役ばかりをやっているオリヴァーに同情していると、遠ざかって行くキリルから「明日」という単語が聞こえてきた。

(まったく、もう)

 今、急いで約束を取り付けずとも、どうせパーティーの後で会うことになるのだ。少し辛抱すれば済むものを、それも出来ないキリルは猪突猛進と言うしかない。呆れながらも可愛いと思った葵は頬を緩め、それからふと真顔に戻った。

(なんか、変だな)

 顔を見るなりドキリとしてしまったり、愚直な行動を可愛いと思うことなど、今まではなかったような気がする。皆無だったとは言えないかもしれないが妙な気持ちになって、葵は眉根を寄せながら歩き出した。






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