「そろそろだね」
隣から聞き覚えのある声がしたので振り向いてみると、アルヴァがいつの間にかそこにいた。彼も学園の関係者なので、今日はいつもの白衣姿ではなく正装だ。その姿が一年前と重なって見えて、葵は小さく笑みを零した。葵の表情の変化を見て、アルヴァは訝しげに首を傾ける。
「何?」
「懐かしいなと思って」
短く答えると、葵は再び花園の方へと視線を転じた。シャドウダンスが終われば、パーティーも終わり。生徒達はそのことを心得ているようで、誰からともなく帰路についている。その流れに逆らって、正装姿のウィルがこちらへやって来るのが見えた。
「終わったの?」
葵が声をかけると、ウィルは何故かアルヴァを一瞥してから答えを口にした。
「あとは生徒を追い出せば終わり。キルが早く帰れって喚いてたから、そんなに時間はかからないんじゃないかな」
「余韻もへったくれもあらへんな」
創立祭のパーティーは一応、トリニスタン魔法学園にとって特別なものだ。一般の生徒からしてみたら普段は立ち入れない場所にいることもあって、もっと余韻を楽しみたいところだろう。だがキリルの態度はにべもない。今後の予定に無関係な者達に少し同情すると、クレアが苦笑いを浮かべていた。
「いいんじゃない? どうでも」
クレアに応えたウィルも、反応は素気ない。マジスター達にとってシエル・ガーデンは自家の庭のようなものなので、彼らにとっては本当にどうでもいいのだろう。ウィルの物言いに、葵もクレアと同じ表情を浮かべた。しかしウィルは気にすることなく、さっさと話題を変える。
「マジスターの欠員はクレアが補うってことでいいの?」
本来、マジスターは五人制である。そのため学園内で儀式を行う際には五人の魔法力が必要となることが多いらしいのだが、アステルダム分校のマジスターは現在、一人欠けている。以前に儀式をしようと試みた時はクレアが代役として入る予定だったので、ウィルにはその時のことが頭にあったのだろう。確認のための問いかけのようだったが、答えたのはクレアではなくアルヴァだった。
「いや、その役は僕がやろう。不測の事態が起こらないとも限らないから、クレアはミヤジマと一緒に
時の封印を解くにあたって、危険を伴う場合がある。そのことはすでに、他の分校での出来事で立証されていた。何かが起こった時に自分の方が対処出来るとアルヴァは言っていたが、そう考えているのはクレアも同じだったらしい。クレアがあっさりと頷いたことで、また衝突が起こるのではないかと懸念していた葵は人知れず胸を撫で下ろした。
「せやったら、うちらは外に行こか」
「あ、うん。二人とも、よろしくね」
この場で別れることになるアルヴァとウィルに後事を託すと、葵は先に歩き出したクレアの後を追った。魔法陣は混み合っていたので、葵とクレアは隠し通路を使ってシエル・ガーデンを脱する。徒歩での移動はそれなりに時間がかかったため、ドームの外には他の生徒がいる様子もなかった。
「それで、や」
外に出るなりクレアが口火を切ったので、葵は彼女を振り向いた。眼前の花園を見つめているクレアは、そのままの態勢で言葉を続ける。
「これが浮くっちゅー話やったな?」
「うん。そう、らしいんだけど……」
人伝に聞いた話なので確かなことは言えず、葵は言葉を濁した。情報の発信源は信頼のおける友人であるし、魔法の力は今までに何度も目の当たりにしている。しかし、こんな巨大なものが本当に浮くのだろうか。クレアもおそらく同じことを考えていて、半信半疑なのだろう。
念のためドームから距離を取って、葵とクレアは儀式が始まるのを待った。内部と連絡を取ることは可能だが、儀式の邪魔になってもいけない。そうした配慮から連絡を取らなかったため、進行状況はさっぱり分からなかった。黄色味の強い月明かりに照らされて、どのくらい待ち続けただろう。やがて、目に見える変化が起こり始めた。少しずつ、だが確実に、花園の高さが上がっていくのだ。
「うわっ、ホンマに浮いとる」
「でも、遅っ」
巨大な建造物が実際に浮いてきていることには驚きを覚えるが、目前の光景に感嘆するにはあまりにも上昇速度が遅すぎた。一歩ずつ確実にといったスピードで、その後もシエル・ガーデンはのんびりと空に上っていく。それからかなりの時間をかけて、ようやく見上げるほどの高さになった。
「……遅い、なぁ」
「……うん。月がもう、あんなに高いよ」
クレアと葵が外に出た時、月はそれほど高い位置にはなかったように思う。その月がやや西に傾き始めているほどに、シエル・ガーデンの浮上には時間がかかっているのだ。そして一体、どこまで昇れば成功ということになるのか。そんなことを考えながら視線を下方に転じた葵は、あることに気がついた。
(影……?)
シエル・ガーデンは天頂付近からの月光を浴びて浮上している。そのため当然のことながら、シエル・ガーデンの直下には影が出来ていた。しかしその影の形が、単純にドーム状ではないような気がしたのだ。
「クレア、空飛べる?」
「? いいで」
突然の提案を疑問に感じただろうが、クレアはすぐに呪文を唱えてくれた。風を身に纏って、クレアと葵は夜空に舞う。視点が高くなると、その異変ははっきりと目にすることが出来た。
「なんや、これ?」
同じものを目にしたクレアが独白のように声を発したが、葵は反応を返すことが出来なかった。眼下の光景に、釘づけになってしまったためだ。
宙に浮いたシエル・ガーデンの影は、葵のよく知る時計の形をしていた。ドーム状の建造物であるシエル・ガーデンの外郭はそのまま時計の外郭として残っており、おそらくは内部にある花やテーブルなどの影が、一から十二までの文字を形成している。以前にオリヴァーが言っていたことを思い出した葵は、だから人間やマジスターが持ち込んだ物の影が消えてしまうのかと納得した。
(
巨大な花時計が指し示している時間は、一時五十分。クレアに頼んで移動してもらうと、そこには両手で持つのにちょうどいいサイズの台座があった。円形の台座は外郭に沿って数字を嵌めこむ場所があり、針を差し込むような溝も存在している。その姿を目にした刹那、葵の脳裏には
「これ、探していたもんなんか?」
なかなか動こうとしない葵に代わって、クレアが台座を拾い上げた。渡されたそれを、葵は複雑な心持ちで眺める。クレアの問いかけに対しては、頷くことしか出来なかった。
「どないしたんや?」
「……なんでもない」
答えた声に覇気がないことは、自分でも分かっていた。眉根を寄せたクレアは何か言いたそうな表情をしていたが、結局は何も言わずに口を噤む。その直後、彼女は不意に上方を仰いだ。つられて顔を上げた葵も、クレアと同じものを目にして瞬きを繰り返す。気のせいならば良いのだが、シエル・ガーデンの底が先程よりもだいぶ近くなっているような気がした。
「うちの見間違いやなかったら、落ちて来てへんか?」
「さっきより近い、よね?」
クレアと葵が認識を共有し合っている間にも、シエル・ガーデンの底は近付いて来ていた。しかも上昇時とは違って、そのスピードは異様に早い。あっという間に距離を詰められたことで葵とクレアは慌て出した。
「落ちてる! 落ちてる!!」
「あかん! 逃げるで!!」
叫ぶが早いか、クレアは葵の手を引いて走り出した。そしてすぐに呪文を唱え、風を体に纏わせる。もともと外郭寄りにいたこともあって、間一髪で脱出に成功した。しかしその後、崩れ落ちたクレアが立ち上がれなくなってしまった。
「ク、クレア? 大丈夫?」
「へ、へーきや。それより、ちゃんと、持っとるか?」
息も絶え絶えに、クレアが地に伏したまま問いかけてくる。彼女が何を言いたいのか察した葵は、胸に抱くようにして持っている台座に目を落とした。自分がそれをしっかりと抱えていたことに、少し苦い気持ちになった葵は顔をしかめる。
(なんか……、何でだろう)
マジック・アイテムの全体像が分かったことは大きな収穫であるし、様々な者達の助力によって入手した時の欠片が再びシエル・ガーデンの下敷きにならなくて良かったと、思う。しかしその割に、それほど嬉しくはないのだ。その理由にも思い当たることはあったが、考えることをやめた葵はクレアにちゃんと持って来たことだけを伝えた。
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