「これは何事?」
儀式を終えて合流したアルヴァが開口一番に、未だ地に伏しているクレアを見て尋ねてきた。疑問に感じているのはアルヴァだけではないようで、マジスター達も一様にクレアを注視している。完全に脱力してしまっているクレアに代わって、
「それで、クレアが頑張ってくれたから助かったの」
「……そんなことになっていたのか」
ゾッとしたと言わんばかりの口調で相槌を打ったアルヴァは、実際に青褪めて見えた。それは危なかったと、マジスター達も眉をひそめている。本当に間一髪だったことを思い返した葵も、今更ながらに肌を粟立たせた。
「あかん、立てへん」
普段は決して弱音を吐かないクレアが言うのだから、彼女は本当に気力も体力も使い果たしてしまったのだろう。自力ではどうにもならないことを見て取ったアルヴァがクレアの傍に寄り、彼女の体を抱き上げる。それからアルヴァは、葵に目を向けた。
「今夜はこれで解散にしよう。送って行くから、近くに来て」
「うん。ありがと」
アルヴァに礼を言った後、葵は協力してくれたマジスター達にも感謝の意を示した。何故かハルだけいなかったが、彼には後日、改めて礼を言えばいいだろう。
「じゃあ、またね」
「ちょっと待て」
マジスターに別れを告げてアルヴァの元へ行こうとしたら、キリルに腕を引かれて制された。葵が振り返ると、キリルは明日のことについて念を押してくる。迎えに行くから忘れるんじゃねぇと釘を刺して、彼は葵を解放した。
「じゃあ、また明日」
微苦笑を浮かべた葵はキリルに言い直して、クレアを抱えているアルヴァと合流した。アルヴァが呪文を唱えると、帰宅は一瞬にして叶う。クレアを自室で休ませてから、葵とアルヴァは葵が私室として使用している部屋に移動することにした。
「休めば回復するものだから、クレアのことは心配しなくても大丈夫だ」
クレアの部屋を出るとすぐにアルヴァが声をかけてきたので、葵は安堵の表情を浮かべながら頷いて見せた。アルヴァの様子から大事にはならないと察していたが、改めて言葉をかけてもらえると安心感が違う。頼りになるなと、胸中で呟いた葵は隣を歩くアルヴァを見つめた。進行方向を向いていた彼はすぐ視線に気がついて、顔を傾けてくる。
「何?」
「最近、アルに頼りっぱなしだなぁと思って」
「そんなのは今に始まったことじゃないだろう?」
「……確かに」
言われてみれば、この世界に召喚された当初からアルヴァには助けられている。出会った頃はどんなに嫌な奴だと思おうと、彼しか頼れる人がいなかったのだ。それが今では、他に選択肢があったとしても、大抵のことにおいて真っ先にアルヴァを頼っている。
(変わったなぁ)
自分も、そしてアルヴァもだ。いつの間にか隣にいることが自然になっていて、日常の中に彼の姿がある。しかしそれは、もう一つの『日常』の中には決して存在しないものだ。
(……また、考えてる)
考えなければならないと自覚してから、何気ない瞬間にも考え込むことが多くなった。それは義務ではあるのだが、頭が占有されすぎるのは心が疲弊してしまう。ちょうど自室の前に辿り着いたので、葵は気分を変えようと口調を明るくした。
「なんか、アルがこの部屋に来るのって久しぶりだね」
葵が寝室として使用している部屋は、二階の東の隅にある。広いテラスがついた豪奢な部屋で、調度品も高級そうなものばかりだ。この世界へ召喚された当初、アルヴァは呼んでもいないのによくこの部屋を訪れていた。カーテンを開けたら何故かテラスに佇んでいた、なんていうこともあったような気がする。そんなことを思い出していたら懐かしい気持ちになって、葵はふっと笑みを浮かべた。
「ミヤジマ?」
背後からアルヴァの気遣わしげな声が聞こえてきて、ハッとした葵は笑みを消した。振り返って見ると、アルヴァが微かに眉根を寄せてこちらを見ている。何かを問われてしまう前に、葵は口火を切った。
「アル、これ開けて」
葵がスカートのポケットから取り出したのは、アルヴァが作り出した卵型の収納ケースだった。予め魔力を登録した者でないと開けられないそれを、アルヴァは葵の要望に従って開けてくれる。内部から出てきたのは数字を模った文字盤と、長さの違う細い針。今回手に入れた時計の土台に、葵は無言で
(……やっぱり)
これまでにトリニスタン魔法学園の分校を巡って入手した時の欠片は、時計の土台にピタリと収まった。まだ幾つか欠けているが、残っている欠片を集めれば完全なる時計となるだろう。そして時計を起動させると思われるネジ穴も、土台の背面に確認することが出来た。
「ミヤジマにはこれが何か、解っているみたいだね」
この世界には時計というものがないので、
「今は止まってるけど、この針が数字を一周することで時間が刻まれていくの」
「時を計る道具、というわけか。探していた物に間違いないみたいだね」
「うん。そう、だね」
「嬉しく、なさそうだね?」
伏し目がちに受け答えをしていたら、アルヴァに指摘されてしまった。しかし彼は、不審そうな表情はしていない。アルヴァが何かしらの情報を得ていることを察して、葵は苦笑いを浮かべた。
「ユアンから何か聞いた?」
「対策室の存在をミヤジマに明かしたことは」
「ああ……アルも知ってたんだ?」
「ミヤジマには言っていなかったけど、僕も立ち上げの時から呼ばれている」
「そっか……」
時の精霊を召喚すると、この世界に住む人間の時は止まってしまう。そうなる前に出来るだけのことをしておこうという趣旨で立ち上げられたのが、アルヴァの言う対策室だ。つまりアルヴァも、時の精霊を召喚するとどういうことになるのかを知っている。ならば打ち明けてもいいかと、葵は重い胸の内を言葉にした。
「アルは、どう思う?」
「何が?」
「精霊、本当に呼び出していいのかな?」
この世界に住む人間を危険に晒してまで、個人の望みを優先させていいのだろうか。そうした迷いに対する答えを、葵はまだ得ていなかった。だからマジック・アイテムの全貌が明らかになっても、素直に嬉しいと思うことが出来ないのだ。それどころかマジック・アイテムが形になっていくことに、脅迫観念にも似た焦りを覚え始めている。マジック・アイテムを完成させたいと望みながら、少しでも完成が先延ばしになればいいとも願うような、矛盾した気持ちだ。
「迷って、いるのか?」
意外そうな表情をしているアルヴァから返ってきたのは、質問に対する答えではなかった。頷いて、葵は空を仰ぐ。
「学園長から時の精霊の話を聞いた時はあんまり深く考えてなかったんだけど、時の精霊の召喚って実はすごく大変なことじゃない? 私一人のことだったらどんなに危ないって言われてもやると思うけど、関係ない人を巻き込むのは嫌なんだ」
「だけど、時の精霊を召喚する以外にミヤジマの望みを叶える方法はないんだよ?」
「……分かってる。でも、考えなくちゃいけないことだと思うんだ」
何を選び、これから何処でどう生きていくのか。そうした話をすると、アルヴァはおもむろに目を剥いた。
「ちょっと、待ってくれ。それはつまり、この世界に残ることを視野に入れているということなのか?」
「うん、その可能性も含めて考えてる」
葵が肯定すると、アルヴァは絶句してしまった。少々過剰な反応だと思った葵は微苦笑を浮かべて言葉を続ける。
「そんなに驚くことかな?」
「あ……いや、すまない」
「別にあやまんなくていいよ。でも、そっか。アルの前では帰りたいとか散々言ってたもんね」
生まれ育った世界に帰りたいと、葵はこの世界に召喚された当初からずっと考えてきた。その希望は今も変わっていないが、揺らぎが生じ出したのはごく最近のことだ。アルヴァとは召喚された当初から一緒にいるのだから、よく考えてみれば彼が驚くのは無理もないのかもしれない。
「ミヤジマ、」
ふと、真顔に戻ったアルヴァが名前を呼んできた。何かと尋ねると、彼は言葉を重ねる。
「ミヤジマの中で答えが出ていないのは、分かった。でも、心情的な比重はどのくらいなんだ?」
「えっと……帰るか帰らないかってこと?」
アルヴァが頷いたのを見て、葵は困ってしまった。その比重がどちらにも寄らないからこそ、考え続けているのだ。
「半分半分、って感じなのかなぁ?」
今いる世界に留まるかもしれない可能性が、五十パーセント。そんなに拮抗しているのかと独白を零したアルヴァは、再び絶句してしまった。自分のことながら、よくそこまで考えが変わったものだと、葵も苦笑を浮かべる。
「ねぇ、アルはどう思う? 私、帰らない方がいいかな?」
それまで愕然としていたアルヴァが、その一言で真顔に戻った。答えあぐねている様子の彼に、葵は密かに感謝の念を捧げる。今の問いは、他人に答えを委ねてはならないものだった。
「……ミヤジマ、」
「……何?」
それが質問に対する答えだったのかどうかは、分からない。アルヴァは何かを言いかけて、しかし結局、口を噤んでしまった。
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