「珍しいな」
オリヴァーが声をかけると、ハルは気だるげに目を上げるだけで返事とした。花を愛でるために設けられたテーブルに着いてはいるが、何かをしていたような形跡はない。テーブルの上に何もなかったので、オリヴァーはハルの向かいに腰かけながら二人分の紅茶を用意した。
「寝てたのか?」
ティーカップに手を伸ばしながら尋ねると、ハルは首を傾げた。返ってきた答えは「どうだろう」などという他人事なもので、オリヴァーは呆れながら言葉を重ねる。
「どうだろうって、自分のことだろ?」
「寝てたような気もするけど、よく分からない」
それはつまり、熟睡してはいないがウトウトしていたということだろう。そう解釈したオリヴァーは相変わらずだと思った。毎日顔を合わせていればそういった感想を抱かないのかもしれないが、最近は学園内でハルを見かけることが極端に少ない。以前にその理由を尋ねてみたことがあるのだが、彼は考え事をしていたからだと言っていた。
「そういえば、考え事は解決したのか?」
「何の話?」
「この前、ウィルがどこで何してたんだって訊いた時、考え事してたって言ってただろ」
「……ああ、」
どうやら話は通じたようだったが、それきりハルからの返答はない。会話が途中で終わってしまうこともハルが相手では珍しいことでもなく、オリヴァーはいつものパターンかと思った。しかし予想に反して、ハルは随分と長い間を取った後に言葉を続ける。
「どうだろう?」
「……やたら溜めて、それかよ」
「俺だけのことじゃないから」
「へえ」
ハルの返答が予想外なものだったので、オリヴァーは感嘆の息を漏らした。幼少の頃からの付き合いだが、ハルが他人に関心を示したところは数えるほどしか見たことがない。そんな彼が抱える『相手のある問題事』に興味があったが、シエル・ガーデンに来訪者があったため、その話はそこで終わりとなった。
ハル、オリヴァーに続いてシエル・ガーデンに姿を現したのはキリルだった。その後、程なくしてウィルも現れたため、これでアステルダム分校のマジスターが揃ったことになる。いつものように紅茶を片手に話を始めると、話題は自然とキリルのことになった。
「昨日のデートはどうだったの?」
「デート?」
キリルに話を振ったのはウィルで、その一言に首を傾げたのはハルだ。そういえばハルには知る機会がなかったと思い返し、オリヴァーが簡単に説明を加える。
「昨日、アオイと出掛けたんだよ」
「なんでも、アオイの方から誘ったそうじゃない」
補足した後、ウィルは改めてキリルに向き直った。再びデートの感想を求められて、眉根を寄せたキリルは難しい表情を作る。
「どうって、何言えばいいんだ?」
「楽しかったとかつまらなかったとか、あるでしょ。でも、その様子だとあんまり楽しいデートじゃなかったみたいだね」
ウィルの口調に棘はなかったのだが、言葉が直球すぎたのかキリルはムッとした。
「楽しいって何だよ? わけ分かんねー」
「それ、どういう意味?」
ウィルは不可解そうに眉をひそめていたが、傍で聞いていたオリヴァーはなんとなくキリルが言いたいことを理解した。今までデートまがいのものはあっても、彼にとってちゃんとしたデートは今回が初めてだったのだろう。右も左も分からない状態では楽しむどころの話ではないのは、理解出来る。それにしても……と、オリヴァーは苦笑いしながら容喙した。
「キル、二人で出掛けて何してきた?」
「芝居観て、茶飲んで、飯食った」
「それ、流れでなんとなくそうなってないか?」
「ああ、そういうこと」
オリヴァーが言いたいことを察したようで、ウィルも得心の面持ちになる。話を理解出来ていない当事者は、さらに眉間のシワを深くして唇を尖らせた。
「なんなんだよ。何が言いてーんだ?」
「キル、デートは無計画にやるものじゃないんだよ」
「お互い気心が知れてくればそういうのもアリだとは思うが、初デートくらいはプランが欲しいよな」
あまりカッチリと予定を決めすぎるのも問題があるかもしれないが、やはりある程度は計画性があった方が行動しやすい。特に葵は異世界からの来訪者なので、無計画の中に放り込まれるとどうしていいか分からなかっただろう。そういう点でも、デートプランはキリルが用意しておくべきだった。ウィルとオリヴァーからそうした話を聞かされたキリルはしばらくの沈黙の後、不安げな様子で口を開いた。
「そういうもんなのか?」
「ごめんな、キル。もうちょっとアドバイスしてやれば良かったな」
「おせーよ!」
確かにそうだと思ったオリヴァーは、もう何も言えなくなってしまった。しかし意地の悪いことに、ウィルは淡々と話を続ける。
「女の子はデートの内容で男を判断するらしいよ。キル、やらかしちゃったね」
「アオイはそういうタイプじゃないと思うけどなぁ」
「そんなの、アオイとデートしたことないんだからオリヴァーには分からないでしょ」
「……ま、確かに」
経験したことがないと言われればそれまでで、オリヴァーは今度こそ本当に何も言えなくなってしまった。キリルが一人で青くなっている中、ウィルも口をつぐんだのでシエル・ガーデンに静寂が訪れる。それを破ったのは、ちょうどいいタイミングで姿を現したクレアだった。
「なんや、この雰囲気」
マジスターが集うテーブルの傍へ来るなり、クレアは怪訝そうに尋ねてきた。だがオリヴァーが事情を説明すると、納得した様子で頷いて見せる。
「うち、ものすごいタイミングで来たみたいやな」
「アオイ、昨日のこと何か言ってたか?」
「なんも。っちゅーか、ろくに話してないわ」
クレアの返答は予想の範囲を飛び出したもので、発言の真意が掴めなかったオリヴァーは眉をひそめた。どういうことなのかと尋ねる前に、クレアはキリルに向き直って言葉を続ける。
「アオイな、昨日からあんまり調子良くなかったみたいや。帰って来るなり寝てもうて、今朝も朝食に顔出さんかった」
恐る恐るといった様子でクレアを窺っていたキリルは、意表を突かれた面持ちで目を瞬かせた。そんな答えが返ってくるとは思っていなかったオリヴァーも、今度は別の意味で眉根を寄せる。
「大丈夫なのか?」
「学園には来てへんけど、見た感じ重症っちゅーわけやない」
寝ていれば大丈夫だろうとクレアが言うので、ホッとしたオリヴァーは表情を改めた。その横で、ウィルがキリルに声をかける。
「キル、一緒にいて気付かなかったの?」
ウィルの口調には多少なりとも非難の響きが含まれていて、矢面に立たされたキリルは顔をしかめた。その表情から察するに、彼も同じことを考えていたのだろう。思い当たる節もあったらしく、キリルは小さな声で「いつもと違う感じがした」と零している。それでも夕食まで一緒に過ごしているあたり、葵の変化を体調不良とは結び付けられなかったようだ。そんな自分に嫌悪しているのが、キリルの表情からありありと読み取れた。
「まあ、アオイの場合は特殊やから。仕方ない部分もあるんやないか」
誰も言葉を発さないでいた中、沈黙を破ったのはクレアだった。これ以上キリルを落ち込ませても可哀想だと思い、オリヴァーも話に加わる。
「特殊って、何がだ?」
「元の世界に戻る云々で悩んどるんよ。せやから元気ないように見えても、それがホンマの体調不良とは限らんわけや」
クレアは詳しい話をしようとはしなかったが、それは異世界からの来訪者である葵にしか解らない悩みだ。誰も共感することが出来ないし、どうしようもない。だからキリルが気にしすぎることもないと、クレアは淡々と慰めの言葉を口にした。
「そういうわけやから、今日は分校巡りはなしや」
それを伝えに来たのだと言い置くと、クレアは踵を返して去って行く。もともと目的があって集まっていたわけではないので、マジスター達もその後、なんとなく散会の流れとなった。
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