Crazy for you

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 夏月かげつ期最初の月である、岩黄いわぎの月の十三日。その日の夜明けを、葵は自室の窓辺で迎えた。深夜に帰宅してからずっとその場にいるのだが、何かをしていたわけではない。ただ椅子に腰を下ろして、時間が止まったような風景を眺めていたのだ。それでも世界は刻一刻と変化していて、夜明けが来る。自分を置き去りにして過ぎていく時間が、不思議だった。

「アオイ、起きとるか?」

 遠くの方から扉を叩く音がして、クレアの声が聞こえてきた。その後すぐに扉が開いたので、葵は席を立ってクレアを迎える。

「おはよう」

 目が合うなり朝の挨拶を口にした葵に対し、クレアは眉をひそめるに留まった。後に続く科白を想像して、葵は言葉を続ける。

「ひどい顔してる?」

「自覚あるんかいな」

「昨日、昼間に寝てたから夜寝られなくて。生活戻さないとね」

「せやったら、今日は学園に行くんか?」

「うん。朝ごはんにしよう?」

 腑に落ちない表情をしていたが、クレアは話を長引かせることなく葵の提案を受け入れた。その後は食堂に移動して、いつものようにクレアと二人で彼女の作ってくれた朝食を取る。食後にはクレアが、手作業で紅茶を淹れてくれた。

「学園に行って、その後はどないするんや?」

 手にしていたティーカップをソーサーに戻して、クレアが尋ねてきた。問われているのは、時の欠片を探すのか否かということだ。それについては答えが出ていたので、葵もティーカップを置きながら口を開いた。

「残りの欠片を探そうと思ってる」

「心は決まった、いうことやな?」

「うん。とりあえず、魔法道具マジック・アイテムは完成させようと思って」

 葵は現在、生まれ育った世界に帰るために『時の欠片』と呼ばれるものを集めている。これが全て集まった時、時の精霊を召喚するためのマジック・アイテムになるのだ。時の精霊の力を借りることが出来れば、時間という障壁を乗り越えることが可能になるかもしれない。だが時の精霊の召喚は大きな危険を伴うため、葵は迷っていた。生まれ育った世界に帰るためにこの世界を危険に晒すか、それとも帰還を諦めてこの世界で暮らしていくのか。その選択の答えは安易には出せないのだが、気持ち的には帰還の方にだいぶ傾いている。そのためひとまずは、マジック・アイテムを完成させるところに目標を定めたのだった。

「せやな。それから後のことは、またその時に考えたらええ」

「うん。そうする」

「それやったら、今日もマジスターの所やな」

 クレアが話の流れで何気なく発した言葉に、葵は過剰反応をしそうになった。しかし止まりかけた体をなんとか動かして、ティーカップを口元へ運ぶ。不自然な動作にはならなかったようで、クレアは何も言わなかった。

 今のところ普通に会話が出来ているが、実は寝不足で、葵の頭は混濁していた。こういう時は夢と現実の境界が曖昧になりがちなので、何が起きてもなんとなく流してしまえるだろう。マジスターと会ってもきっと大丈夫だと、葵は自分に言い聞かせながらトリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校した。クレアが直接大空の庭シエル・ガーデンに転移したため、二人で広大な花園の中を歩く。中央部に設けられている鑑賞スペースに赴くと、そこにはすでにマジスター達の姿があった。

「今日はアオイも一緒か」

 気さくな調子で声をかけてきたのはオリヴァーだ。その隣にはウィルがいて、彼は葵に目をやりながら口を開く。

「調子はどうなの?」

 このところ色々なことがありすぎて何のことだか分からなかったが、葵は大丈夫とだけ答えておいた。そして息を詰まらせそうになりながら、ウィルの隣にいる人物に視線を移す。

「おはよ」

 自分としては比較的まともに声が出たと思ったが、挨拶をされたハルは返事を寄越さなかった。いつものことと言えばいつものことなのだが、心なしか怒っているようにも見える。しかしどうしようもないことだったので、葵は早々にハルから目を離した。

「キリルはまだ来てないんやな」

「昨日、落ち込んでたからな」

 クレアとオリヴァーが話しているのを耳にして、葵は小さく首を傾げた。ハルがいる手前、あまり自分からキリルの話題に入っていきたくはない。だが気になって、尋ねようか迷っていると、その様子を目に留めたクレアが説明を加えてくれた。

「アオイ、キリルとデートした時から調子悪かったやろ? 何で気づかんかったんやって、自己嫌悪しとったんや」

「まあ、普通は気付くよね」

「辛口やなぁ。あんまりイジメるんやない」

 クレアとウィルが会話を続けている中で、葵は絶句していた。自分のことで精一杯で、キリルがそんなことを考えているとは思いもよらなかったのだ。

(自己嫌悪、なんて)

 する必要もないし、キリルに心配してもらう資格もない。むしろ自己嫌悪に陥るべきは自分で、いつまでも苛まれていればいいのだ。

(ああ、もう……)

 自分が最低すぎて、キリルが哀れすぎる。一刻も早く話をして、彼を解放してあげたい。そのためには一発や二発殴られてもいい覚悟で、葵はキリルの訪れを待った。

 シエル・ガーデンはマジスターの溜まり場だが、彼らは元々、明確な目的があって集まっているわけではない。そのため誰がいつ姿を現すのかは、非常にアバウトだ。この日は珍しく朝から三人も揃っていたが、キリルはなかなか姿を見せなかった。いくら待っても来ないので、そのうち呼びに行こうかという提案まで出てくる。噂の主がシエル・ガーデンに現れたのは、ちょうどそんな話を始めた頃だった。気怠げにやって来たキリルは、そこに葵の姿を認めると急に顔を引き締める。謝られそうだと察した葵は慌てて席を立ったのだが、葵が呼びかける前に、別の人物の声がキリルを呼んだ。

「何だよ?」

 キリルが顔を傾けた相手は、呼び声を発したハルである。葵はギョッとして、テーブルに手を突いた格好のまま動きを止める。その場にいる者達の視線を集める中、ハルは淡々と言葉を紡いだ。

「キルに話がある」

「だから、何だよ?」

「俺、アオイが好きだ」

 だから付き合いたいと思っているのだと、ハルは衆人環視の中で堂々と口にした。息を止めたのは葵だけではなく、オリヴァーやウィル、クレアも驚きに目を見開いている。宣戦布告をされた本人は何を言われているのか分からない様子でポカンとしていたが、やがてその顔に怒りが滲んだ。しかしそれでも、ハルに動揺はない。

「アオイの気持ちも昨夜、確かめた」

 一方的な想いではない。ハルがそう言ったことで、キリルの視線は葵の方を向いた。驚愕に見開かれた漆黒の瞳がどういうことなのかと尋ねているような気がして、見ていられなかった葵は目を伏せる。それが、なによりの答えとなってしまった。

「……はっ」

 束の間の静寂の後、キリルが息を吐き出す音がシエル・ガーデンに響いた。それは嘲りを孕んだ笑い声で、どんな言葉よりも如実にキリルの内心を物語っている。何か、何かを言わなければ。そうした衝動に駆られて顔を上げた葵は、ハルがキリルに殴られるのを目の当たりにした。

「ふざけんじゃねえ!!」

 怒号して、キリルは幾度も拳を振るった。ハルは無抵抗で、傍から見れば一方的な暴力だ。平素であればオリヴァーあたりが止めに入るところだが、この時は誰も動くことが出来なかった。しかしハルが血を吐いたことで、麻痺していた思考が動き出した葵は悲鳴を上げた。

「やめて!! やめてえっ!!」

 ハルの胸倉を掴んでいるキリルの手を払いのけ、必死で割り込んだ葵はハルに覆いかぶさるように体を寄せた。背後でキリルが息を呑む気配がしたが、振り返ることは出来ない。謝るしかなくて、葵は何度もごめんなさいと繰り返した。

「……んだよ、」

 葵の謝罪する声だけが聞こえる中、拳を握ったままのキリルが呟きを零した。その瞬間、見えない呪縛から解放されたようにオリヴァー・ウィル・クレアが反応を示す。

「なんだってんだよ!!」

 その怒鳴り声を聞いたのが、最後だった。気がつけばシエル・ガーデンは瓦礫の山と化していて、すでにキリルの姿もない。焼き殺されると感じた熱も完全に失せていて、感じるのは夏の日差しの熱さだけだ。身の危険を回避したことを知ると、クレアはどこかへ走り去って行った。

「……最悪だね」

 侮蔑の表情を浮かべて吐き捨てると、ウィルも踵を返す。静かだが強い憤りを内包させた一言が、葵の胸に突き刺さった。その場に残っているのはオリヴァーだけだったが、彼は立ち去りもしなければ口を開きもしない。普段は底なしに優しい人物だが、彼も軽蔑しているだろうか。

「何も言わないの?」

 葵が口を開けずにいる中、オリヴァーに問いかけたのはハルだった。痛みに顔を歪めながら体を起こしたハルを見て、オリヴァーは何故か笑いかける。

「派手にやられたな。大丈夫か?」

「口の中切った。痛い」

「そりゃそうだろ。後でちゃんと手当てしてもらえよ」

 まるで何事もなかったかのようにハルと会話をしてから、オリヴァーは葵に視線を傾けてきた。軽蔑されることに怯えていた葵は、予想外の反応にあ然としながらオリヴァーを見つめる。そんな葵を見て、オリヴァーは柔らかな笑みを浮かべた。

「ずっと、好きだったんだろ?」

 凪いだ水面に落ちた小石のように、オリヴァーの一言は胸に波紋を広げた。頭の中で繰り返した彼の言葉はやがて自分のものになって、自然と口から零れ落ちる。

「好き……だった。ずっと、好きだったの」

 一度零れてしまった言葉はもう返らず、堰を切った想いが大粒の涙となって溢れた。顔を覆って嗚咽する葵の頭を優しく撫でた後、オリヴァーはハルの肩を叩く。その後、背を向けて手を振ると、彼も行ってしまった。余人がいなくなってから葵に腕を伸ばしたハルは、涙で震えている彼女の肩をそっと抱く。

「俺も、好きだから」

 耳元で囁かれた言葉は拒みようもなく、葵は涙で濡れた顔をハルの胸に押し当てた。






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