想いの檻

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 大きくとられた窓から差し込む朝日が、薄いカーテン越しに室内を照らしていた。室内に進入してくる光は時間の経過と共に少しずつ伸びていて、部屋の中央に置かれているベッドにまで達している。天蓋付きの豪奢なベッドで眠っていた宮島葵は、朝日の眩さのせいで目を覚ました。ベッドの上で上体を起こしてみると、頭と体が鈍く重い。この感覚に覚えのあった葵は、寝すぎたと胸中で呟きを零した。

 ひとしきりベッドの上でボーッとした後、簡単に身支度を済ませた葵は自室としている部屋を出た。屋敷の一階にある食堂に向かったのだが、その場所に人気はない。再び二階に戻った葵は、自室と正反対の場所にある同居人の部屋を目指した。ノックをしても反応がなかったため、室内に進入してみる。だがそこにも、誰の姿も見当たらなかった。ベッドに寝乱れた様子はなく、シーツを触ってみても冷たさだけが感じられる。同居人であるクレア=ブルームフィールドは、昨夜帰宅しなかったのかもしれない。

(…………)

 葵は昨日、ずっと好きだと言ってくれていたキリル=エクランドという少年をひどく傷つけた。取り乱したキリルを追って、クレアは姿を消したのだ。それから戻っていないとすれば、クレアは今もキリルと一緒にいるのだろう。憎悪と憤りに顔を歪めていたキリルを思い返すと、胸が軋む。この息苦しい痛みを共有出来る人物は一人しかいなくて、葵は恋人になったばかりの少年を思い浮かべた。

(ハルに、会いたい)

 ハル=ヒューイットという少年を、葵はずっと好きだった。長い片思いの末に付き合うことになったのだが、彼はキリルの友人でもある。恋人という関係にはなったものの、しばらくは傷を舐め合うような間柄になりそうだ。それでも会いたいと、葵は強く願った。

(あれ? でも……)

 行動を起こそうとしたところでふと、葵はあることに思い至った。生まれ育った世界では携帯電話の番号を知っていれば簡単に連絡が取れたが、この世界には携帯電話が存在しない。代わりに通信魔法というものがあるのだが、魔法の使えない葵が自分から連絡を取るのは不可能だ。昨日はハルが怪我をしていたり、葵の方も気が動転していたので、そういったことを確認せずに別れてしまった。

(学校に行けば、なんとかなるかな)

 クレアがいればなんとかしてくれただろうが、彼女がいつ戻って来るかは分からない。今はじっとしているよりも動いていた方がいいと考え、葵は小一時間ほどかけてトリニスタン魔法学園アステルダム分校へと赴いた。

 丘の上に建つ学園に辿り着くと、すでに登校時間を過ぎているのか人影は皆無だった。校舎の中も静まり返っていたので、おそらく授業が始まっているのだろう。教室に用があるわけではないので、それならそれでいいと、葵は校舎一階の北辺にある保健室を目指した。

(……あれ?)

 平素であれば保健室の扉を開けると、校医であるアルヴァ=アロースミスがすぐに迎えてくれる。しかし見慣れた人物の姿は、いつもの場所に見当たらなかった。保健室内には別室があるので、そちらも覗いてみたのだが、やはり人影はない。しばらく待ってみても、アルヴァが姿を現すことはなかった。

(アル、どこ行っちゃったんだろう)

 アルヴァが人目を忍んで生活していた頃は、この場所に来れば大体出会うことが出来た。しかし彼の存在が公になってからは学園の校医としてではないことも多々抱えていて、外出していることも少なくない。このまま待っていても、今日中にアルヴァが戻って来る保証はなかった。

(…………)

 座っていた簡易ベッドから腰を上げると、葵は保健室を出た。次に向かったのは敷地内の東の区画に位置する、大空の庭シエル・ガーデンと呼ばれる場所だ。そこは学園のエリートであるマジスターの溜まり場になっていて、昨日、修羅場が繰り広げられた場所でもある。昨日の今日なので足を向けることに躊躇いもあったが、マジスターに会おうと思ったら、やはりそこだろう。

(オリヴァー、いるかな)

 アステルダム分校のマジスターは四人いて、キリルとハルの他にオリヴァー=バベッジという少年と、ウィル=ヴィンスという少年がいる。頼れる人物としてアルヴァの次にオリヴァーを思い浮かべたのは、彼が日頃から親身になって相談に乗ってくれていたからだ。ハルと付き合うことになった時も彼だけは穏やかに受け入れてくれたが、ウィルには軽蔑の目を向けられた。冷ややかな反応を当然だと思う理由があるだけに、ウィルには頼り辛いのだ。

 葵とハルは決して、周囲に認められて恋人となったわけではない。そのことを胸に刻んで、葵は重い気持ちを抱えながら歩を進めた。そのうちに見えてきた光景は予想外のもので、ハッとした葵は動きを止める。平素のシエル・ガーデンは距離が近くなると花が咲き乱れている様子が見えて来るのだが、眼前に広がる光景は瓦礫の山だった。

 シエル・ガーデンは昨日、キリルによって破壊された。そのため全壊していることに不思議はないのだが、問題はその状態が今もなお継続しているということだ。学園内の物には復元魔法がかけられているので、たとえ全壊していたとしても、修復は難しいことではない。それが壊れたままということは、昨日の出来事以来、誰もこの場所を訪れていないということになる。普段は美しい花園が無残な姿を晒していることに、葵はどうしようもない悲しみを覚えた。この姿は、壊れてしまった人間関係の象徴だ。戻れないのではなく、戻さない・・・・。そう言われているような気がして、目を背けた葵は踵を返した。

(他に、マジスターが行きそうな場所ってあったっけ)

 校舎の方に戻りながら考えていると、一つだけ可能性のありそうな場所が思い浮かんだ。校舎の最上階にある、サンルームだ。以前にその場所でマジスター達と出くわしたことを思い出して、葵は急いで向かってみた。しかし、やたらと広々しているその部屋にも、やはり人影はない。しばらく待ってみても、誰かが姿を見せることもなかった。

(誰にも会えない……)

 アルヴァとマジスターの他に、誰か頼れる人物はいなかっただろうか。そう考えた時、真っ先に浮かんだのはユアン=S=フロックハートという少年と、アルヴァの姉であるレイチェル=アロースミスだった。しかし彼らは、どんな場所に住んでいるかは知っていても、それがどこにあるのか分からないという相手だ。それこそ通信魔法がないと、連絡の取りようがなかった。

 ユアンやレイチェルの他にも、助けてくれそうな人物には複数心当たりがあった。だが、そのどれもが、ユアンやレイチェルと同じ条件だ。普段は何気なく顔を合わせているアルヴァやマジスターでさえ、こうなってみると掴まえることが出来ない。実はとても希薄な線でしか他者と繋がれていないことを実感して、ただでさえ落ち込みがちだった葵の心はさらに沈んでいった。

(一人で耐えろってことなのかな)

 会いたい時に会えないのは、人恋しさを助長する。寂しくて仕方ないが、これは他者を傷つけた報いを受けろということなのかもしれない。ハルを好きだと思う気持ちを偽れない以上は受け入れるしかないと、葵は『時計塔』に足を運んだ。

 二階部分の壁面に丸い穴が開いている塔を、葵は密かに時計塔と呼んでいた。シエル・ガーデンから北の方角にあるこの塔は、葵にとってハルとの思い出が深い場所だ。会いたいと思って訪れたわけではない時も、ここでよくハルに出会った。今はその姿がないが、ここにいれば巡り合える確率が高いような気がする。待っていても会える保証はないが、少しでもハルを感じていたくて、壁に背を預けて座り込んだ葵は膝を抱いた。






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