想いの檻

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 夏月かげつ期らしく澄み渡った空の下で、クレアは依然として噴火を続けている火山を見据えていた。前方に聳える火山からはかなりの距離を取っているが、その巨大さ故に、赤々としたマグマが噴き上がる様子がよく見える。時たま噴火の仕業と思われる礫が飛来してくることがあったが、クレアは気に留めることなく、前方の山だけを見つめていた。そのうちに魔法陣が作動する気配がしたので、火山から視線を転じたクレアは背後を振り返る。後方の地面に描かれている魔法陣は転移のために用意したもので、クレアの他に利用する者は一人しかいない。光を帯びた魔法陣に出現したのはオリヴァーで、彼はクレアの横に並ぶなり口火を切った。

「相変わらず、か」

 確認とも独白とも取れる言葉を発したオリヴァーの目は、前方の火山に向けられている。クレアも視線を戻して、再び火山を瞳に映した。

 クレアは昨日、トリニスタン魔法学園アステルダム分校から姿を消したキリルを追って、大空の庭シエル・ガーデンを後にした。しかし心当たりを巡ってみてもキリルを発見することは出来ず、そのうちに合流したオリヴァーと共に捜索範囲を広げることとしたのだ。そして各地で起きている異常な現象を調べた結果、この場所が浮上した。訪れてみるとキリルがいることは判明したのだが、噴火の勢いが凄まじく、近付くことが出来ない。そんな状態が、昨日からずっと続いていた。

「これ、いつまで続くんや?」

 強大な魔力を有しているにも関わらず、その扱いが上手くないキリルは、時たま暴走することがある。魔力自体を物理的な炎に変えられてしまう彼は、感情を昂らせるだけで周囲を破壊することが可能なのだ。この辺りの火山も、そこにキリルがいることによって噴火を繰り返している。そのためいつ噴火が収まるのかもキリル次第で、クレアは彼との付き合いが長いオリヴァーに尋ねてみた。オリヴァーは噴火を続ける火山を睨むように見据えながら、自身の見解を口にする。

「魔力ってのは生命そのものだから、それが枯渇すれば無くなる。けど、それは最悪のパターンだな」

 生命の危機、あるいは絶命の瞬間まで噴火は止まらないかもしれない。その前にキリルが自身で魔力を制御すればいいのだが、彼の精神状態を考慮すると、それも難しそうだ。それならばやはり、誰かが止めなければならない。火山から立ち上る魔力の変化を具に観察しようと目を細めているオリヴァーは、真顔のままそう言った。

「で、その限界っちゅーのは、あとどのくらいなんや?」

「もう丸一日この状態だからな。目視出来る魔力に変化は見られないけど、そろそろまずいんじゃないかと思うぜ」

 魔力の枯渇が徐々に始まっていくのか、それともある時に突然ゼロとなってしまうのかは、前例がないので分からない。次第に弱まっていくのなら突入のタイミングを計れるが、全てを放出してしまった後では救いようがないのだ。様子見も、そろそろ限界だろう。そう感じたクレアは火山から視線を外し、オリヴァーを振り向いた。

「最悪の事態になる前に、行動した方がええんと違うか?」

「……そうだな」

 少し間を開けてクレアの提案に同意したオリヴァーは、苦い表情をしている。それにはある、理由があった。

 クレアとオリヴァーがいる場所は、とある公爵が治める地の火山帯である。これがエクランド公爵の治めるセラルミド公国であれば、この大規模な噴火も昨日のうちに沈静化されていただろう。だが人口の少ない辺鄙な場所ということもあって、この地を治める公爵はまだ様子見に徹している。今のうちにキリルを回収出来れば事態をさらに大きくすることはないが、これ以上長引けば、問題が公爵家同士のものになってしまう可能性もあった。そうなってしまえばキリルが暴走した原因も白日の下に晒されてしまうだろう。彼の名誉のためにも、それだけはなんとしてでも避けなければならない。そうした方向で意見を一致させていたため、クレアとオリヴァーは今まで様子見に徹していたのだった。

 密かにキリルを回収することが出来れば、それが一番良かった。しかし現状から察するに、仲間内だけの問題として解決するのは望みが薄そうだ。このまま様子見を決め込んでいて友人を見殺しにするようなことになれば、悔やんでも悔やみきれない。そう思えば次に取るべき行動は決まっていて、肚を決めた様子のオリヴァーはハーヴェイ=エクランドを訪ねると宣言した。キリルの実兄であるハーヴェイは公爵家の当主を務める実力者なので、彼ならば上手く立ち回ってくれるだろう。弟の失恋を兄に打ち明けることになるのは、この際仕方がない。

「俺が行ってくるから、クレアはキルのこと見ててくれ」

 クレアが頷くのと同時に、分厚い魔法書を取り出したオリヴァーは転移魔法で姿を消した。再び火山に目を移したクレアは、自身の肩に乗っているワニに似た魔法生物の体を優しく撫でる。

「もうちょっと、辛抱したってや」

 クレアのパートナーであるマトは水生生物であるため熱に弱い。噴火を続ける火山から距離を取っているとはいえ、この周囲もだいぶ熱く、マトの体には堪えるはずだ。一度、彼を屋敷に戻そうかとも考えたのだが、クレアはそれをしないままでいた。その理由は有事に備えて、少しでも魔力を温存しておきたかったからだ。また、マジスターのように底なしと思えるような魔力を保有しておけないクレアにとって、マトの存在は魔法を使う際になくてはならないものだった。

 文句の一つも言わずに耐えているマトは、大丈夫との意思を寄越すと不意に顔を上げた。マトの意識が前方に向いたため、彼の方に視線を傾けていたクレアも火山を見る。それまで天高く噴き上げていたマグマが、少し勢いを弱めたような気がした。初めは気のせいかとも思ったのだが眉をひそめているうちにも、マグマは火口の中へと引っ込んで行く。すると轟くような地鳴りもなくなり、逆に耳が痛くなるような静寂が訪れた。

 しばらくの間、クレアは茫然と立ち尽くしていた。そのうちに、オリヴァーの言葉を思い返してハッとする。魔力は生命そのものだから、枯渇すればなくなると彼は言っていた。その瞬間を、自分は見てしまったのではないだろうか。

「マト!!」

 とっさに叫んだクレアに、マトはすぐ応えてくれた。地を蹴ったクレアは飛翔の呪文を唱え、追い風に乗って火山との距離を詰める。距離が近くなるほどに、火口から噴き出たマグマが大地を蹂躙している様子が見て取れた。

「どこにおるんや!」

 普段から魔力を垂れ流している状態だったキリルを、学園内で探すことは簡単だった。だが今は、その片鱗さえも感じ取ることが出来ない。そのことに焦りを募らせたクレアは苛立って独白を零したのだが、マトは冷静だった。一度動きを止めるようクレアに促すと、彼は自らの意思で変態する。薙刀に似た武器を手にしたクレアは、マトの真意を聞いて目を見開いた。彼は武器状に変化した己の体を、煮えたぎる大地に突き立たせろと言ってきたのだ。

 人間よりも自然に近い魔法生物は、その変化を敏感に察知することが出来る。マトは大地と交わることで、この地に起きている異変の源を探そうとしているのだ。しかしこの辺りの大地には、火山から溢れ出たマグマが未だ流動を続けている。ただでさえ熱に弱いマトにとって、この状態は過酷すぎた。

「せやけど、マト……」

 クレアは行動することを躊躇したが、戸惑いはマトに一蹴された。今は一刻を争うのだろうと言われて、言葉を返せなかったクレアは口唇を引き結ぶ。そしてすぐ、決断した。

「今度、どこでも好きな所に連れてったるわ!」

 ありったけの感謝を捧げながら、クレアは灼熱の大地に変態したマトを突き立てた。そうすることで、見えてくる。この異常な現象を引き起こした熱源が。

「おった!」

 素早くマトを大地から引き離すと、再び飛翔の呪文を唱えたクレアは空を舞った。キリルと思われる人影は広大な溶岩流の野に倒れていて、マトの献身がなければ見つけることは出来なかっただろう。消し炭のようになっている人物を回収して、クレアは地に足を着ける場所へと移動した。

「キリル?」

 腕に抱いた人物は顔の識別も出来ないほど真っ黒になってしまっていたため、クレアは汚れを払いながら声をかけた。その黒いものは手で払うとぽろぽろと零れ落ち、やがて見知った顔が表れる。しかし彼の双眸は閉ざされていて、抱えている体もピクリとも動かなかった。

(これは……ヤバイんやないか?)

 キリルが瀕死であることは一目瞭然だったが、何をどうすればいいのかさっぱり分からない。冷静に考えれば誰かに助けを求めるのが最善の策だったが、動揺したクレアの頭には「どうしよう」という迷いだけが浮かんでいた。そんな思考のループを断ち切ってくれたのは、頼れるパートナーだった。

「……なんやて?」

 ただでさえ混乱している最中、マトからの提案は突拍子もないものだった。キリルから視線を外したクレアは、すでに変態を解いているマトを困惑気味に見る。しかしマトがすぐに真意を説明してくれたため、クレアは真顔に戻った。

「迷っとるヒマはない、っちゅーことやな」

 躊躇いを完全に拭い去ったわけではなかったが、クレアはすぐに意を決した。力の抜けたキリルの体を抱え直し、彼の顔に口唇を寄せる。マトに言われるがまま口づけを繰り返していると、やがてキリルの口から呻き声が聞こえてきた。キリルが生きていることを確認したことで、脱力したクレアは長々と嘆息する。

「クレア!!」

 何も考えられずに動きを止めていると、呼び声と共にオリヴァーが降って来た。オリヴァーに続いて現れたのは、キリルによく似た漆黒の髪を持つ青年。現在のエクランド公爵である、ハーヴェイだ。彼は実弟の変わり果てた姿を目撃すると険しい顔つきになった。クレアは腕に抱いているキリルを引き渡そうとしたのだが、立ち上がることに失敗して浮かしかけた腰を再び落とす。結局はハーヴェイが膝を折り、キリルを引き受けた。

「愚弟が迷惑を掛けたな」

「いえ。魔力が枯渇しかけていたようですので、少し補いました。後は、お願いします」

 クレアの端的な説明に頷いて見せると、キリルを抱えたハーヴェイはすぐに転移魔法で姿を消した。信頼に足る人物にキリルを託せたことで、緊張の糸が切れたクレアの体が傾ぐ。それを、素早く傍に寄ったオリヴァーが受け止めた。

「平気……じゃないよな、どう見ても」

「せやな。疲れたわ」

「俺がハーヴェイさんの所に行ってから、一体何があったんだ?」

 オリヴァーに問われたため、クレアは簡潔に彼が姿を消してから起こった事を説明した。魔力が枯渇しかけていたキリルに口移しでクレアが魔力を与えたことを聞くと、オリヴァーは大きく目を見開く。

「そんなこと、出来るのか」

「うちかて知らんかった。マトがおらんかったらって思ったら、ゾッとするわ」

「そうだけど、無茶しすぎだろ。クレアもマトも」

 クレアやマトの献身によってキリルが助かっても、そのせいで二人が命を落とすようなことになったら、それこそゾッとする。オリヴァーが顔をしかめながらそう言うので、クレアは弱い笑みを浮かべた。結果的に両方助かったのだからいいだろうと言ったところで、心配性な彼は頷いてくれないだろう。

「とにかく、二人とも休んでくれ」

 うちでいいよなと言いながら、オリヴァーは完全に脱力しているクレアを抱え上げる。オリヴァーの家ならばマトが疲れを癒すのにも最適だと、クレアもそれに従った。






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