想いの檻

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 アン・カルテという魔法で世界地図を描き出したとき、そこには大陸が二つ存在している。地図のちょうど東西に位置している大陸は西の大陸をファスト、東の大陸をゼロという。ファスト大陸の約三倍ほどの面積を誇るゼロ大陸はスレイバルという王国が統治していて、その広大な領土は幾つかに区切られ、それぞれを公爵の称号を与えられた者が管理していた。そのうちの一人であるエクランド公爵が治めるセラルミド公国は、火山の多い土地だ。領地内には大小様々な活火山・休火山・死火山が存在している。その中でも一際大きな活火山の中に、エクランド公爵の本邸はあった。

 通常、マグマは火山直下にあるものだが、エクランド公爵の本邸がある山は内部が空洞になっていて、そこまでマグマが迫り上がってきている。そのマグマの泉の中に、エクランド公爵邸は浮かんでいるのだ。火口からの進入は蒸気に阻まれるため、この場所を訪れるには転移魔法を使うより他ない。来訪者用の魔法陣に出現したハルは、マグマの上を渡る橋に向かおうとして、その途中で歩みを止めた。転移用の魔法陣からエクランドの本邸までは一本の橋で結ばれていて、その橋を反対側から渡って来る者がいたからだ。顔を判別するよりも先に、すでに魔力によって、お互いの存在は認識している。この場で会うことに意外性もなかったため、ハルは真顔のままこちらへ向かって来る友人を迎えた。

「キルの所に行くのか?」

 話をしやすい距離で歩みを止めると、オリヴァーは何気なく声を掛けてきた。オリヴァーの背後に見える友人の家を一瞥して、ハルは口を開く。

「そっちは、帰り?」

「ああ。目的は達成できなかったんだけどな」

 肩を竦めたオリヴァーによると、キリルとは会わせてもらえなかったらしい。それはキリルの兄であるハーヴェイの意向で、オリヴァーは門前払いを食らったのだった。

「ハーヴェイさんに直接話を聞こうと思ったんだけど、留守みたいでさ。だから今行っても、キルには会えないぜ」

 オリヴァーの言葉に、ハルは頷くだけで返事とした。面会謝絶の措置がハーヴェイの一存なのか、それともキリル自身の意思なのかは、分からない。だが元より、この程度の拒絶は想定済みだ。また来ようと、ハルは踵を返した。

「帰るのか?」

 隣に並んだオリヴァーが問いかけてきたが、明確な意思を持たないハルは答えなかった。キリルに会えないのならこの場にいても仕方がないが、屋敷に帰ったからといって他にすることもない。せいぜい惰眠を貪る程度しか予定がなかったので、どちらでも良かったのだ。普通の感性を持つ人間ならばハルの無反応っぷりに気分を害するのかもしれないが、長い付き合いのオリヴァーはすでに慣れている。暇なら付き合えと言われたので、ハルはオリヴァーに着いて行くことにした。

 オリヴァーがハルを連れて行った場所は、トリニスタン魔法学園アステルダム分校だった。ハルやオリヴァーはここの生徒だが、一般の生徒のように教室で授業を受ける必要はない。そんな彼らが学園へ来るのは、ここに気に入りの場所があって、暇を持て余しているからだ。しかし惰性で集っていた場所は、見事な瓦礫の山と化していた。

「ああ……。そういえば、そうだったな」

 オリヴァーはいつものように大空の庭シエル・ガーデンで茶をするつもりだったのだろうが、この有様では修繕が先になる。学園内の物には復元魔法がかかっているため特に難しいことではないが、広大な温室を一つ一つ復元していくのは非常に面倒だ。

「サンルームにでも行くか」

 オリヴァーが修繕よりも移動を選択したため、二人は校舎五階にあるサンルームへと赴いた。そこには先客の姿があって、オリヴァーが声を掛けながら近付いて行く。その後を追って、ハルもゆっくりとその人物の傍に寄った。

 日当たりのいいサンルームで、自前と思われるリクライニングチェアに体を預けていたのはウィルだった。ハルやオリヴァーと同じくこの学園のマジスターの一人である彼は、そこで本を手にしている。だがオリヴァーを一瞥すると、ウィルは閉ざした本を異次元へと消し去った。

「僕に何か用?」

「いつもの感じで大空の庭シエル・ガーデンに行ったら壊れたままだったからさ。こっちに移って来たんだ」

 ここでウィルと顔を合わせたのは、あくまで偶然である。オリヴァーがそう言うとウィルは「ふうん」と相槌を打ち、ハルを見据えた。

「謝るのかと思ったのに、違うんだ?」

「謝るって……アオイと付き合い出したことを、か?」

 ウィルの問いかけはハルに向けられたものだったが、話に応じたのはオリヴァーだった。解せないといった表情をしているオリヴァーに、ウィルはにべもなく答える。

「違うよ。ハルが僕を殴ったこと」

「……え」

 そのあたりの事情を何も知らないオリヴァーは、絶句した様子でハルを振り返った。オリヴァーの目が説明を求めていたが、ウィルに視線を移したハルは真顔のままで口を開く。

「あれはウィルが悪い」

「だからって殴ることないだろう? 絶対、私情が含まれてたよね」

「ちょっと待て」

 一人だけ話を理解出来ていないオリヴァーが口を挟んできたので、ハルとウィルはそれぞれの言葉で事情を説明した。口数は明らかにウィルの方が多かったが、真相は正しくオリヴァーに伝わったようだ。ウィルが葵を脅して結婚を迫っていたのを止めるために、ハルがウィルを殴った。そうした事情を知ったオリヴァーは、呆れ顔をウィルに向けている。

「どう考えてもウィルが悪いだろ」

「確かに僕も荒っぽい手段を使ったよ。でもさ、ハルはあの時からアオイのこと好きだったんじゃないの?」

 否定は出来なかったため、ハルは何も答えなかった。沈黙は肯定の証であり、ウィルは鬼の首を取ったように「ほらね」と毒づく。

「ダシにされた上に殴られたんだから、謝っておいて損はないと思うよ?」

「謝罪を強要してどうするんだ」

 これでハルが謝ったとしても、ウィルの気が晴れることはないだろう。苦笑しながらそう言っているオリヴァーの顔を、ハルはじっと見つめた。

「オリヴァーにも謝った方がいい?」

「は?」

「オロール城で」

「いや、それはもう忘れろ」

 いつになく強い口調で言葉を被せてきたオリヴァーは、明らかに焦っている様子だった。ハルは言われた通り口を閉ざしたが、オリヴァーの過剰な反応を見たウィルが興味津々な様子で容喙してくる。

「何? 隠し事?」

「食いついてくるな。何でもないって」

「僕の隠し事だけ聞いておいて、それは狡いんじゃないの?」

「自分で勝手に喋っておいて隠し事も何もないだろ」

「オリヴァーってさ、昔から何気に秘密主義だよね。爵位を放棄した理由だって未だに教えてくれないし」

「それは……まあ、そのうちにな」

「そのうちっていつ? 昔訊いた時も同じこと言われた気がするんだけど」

「そのうちって言ったらそのうちだよ。っていうか、秘密主義って言うならウィルも一緒だろ」

 その後も続けられたいつも通りの会話を、ハルも平素と同じく黙って眺めていた。ハルと葵が付き合い出したことについて、ウィルは間違いなく不満を持っている。しかし彼は、これまでの日常を拒絶しようとは考えていないようだ。恋愛と友達付き合いは別と割り切っている考え方を、ハルはウィルらしいと思った。

「なに傍観してるの」

 オリヴァーとの会話が一段落したらしく、ウィルが再び矛先を向けてきた。先程の話がまだ済んでいないと彼が言うので、ハルは真顔のまま応じる。

「ウィルが本当に謝って欲しいと思ってるなら、そうする」

「……嫌な言い方するね。そんなんじゃ謝られても気分が悪くなるだけだよ」

「どっち?」

「いいよ、謝らなくて。本当はそんなの、どっちでもいいから」

 謝られようが謝られなかろうが、ハルの言動を赦す気にはなれない。だから気の済むまで憂さ晴らしをするつもりだと言うウィルは、朗らかそうに見える笑みを浮かべていた。ウィルの主張をハルは解りやすくていいと思ったが、傍で聞いていたオリヴァーは呆れ顔になる。

「そこはもう、素直に認めてやればいいのに」

「横恋慕されて素直に認めるバカなんて、オリヴァーくらいじゃない?」

 一言でオリヴァーを沈黙させると、ウィルはハルに視線を戻して言葉を重ねた。

大空の庭シエル・ガーデンはハルが責任持って直してよね」

 自分には手伝う意思がないことを明確にした上で、ウィルは早く直せと言う。それについてはオリヴァーも同意見らしく、彼も手伝うとは言い出さなかった。






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