想いの檻

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 夜の帳が下りた空に黄色味の強い月が浮かんでいる。二つ存在する月は寄り添うように並んでいて、天空から注がれる光は十分な明るさでもって、郊外にひっそりと佇む屋敷の輪郭を浮き彫りにしていた。まだ宵の口の時分、屋敷への来訪者を迎える魔法陣に出現した影は二つ。どちらも男性のシルエットで、魔法陣から出た彼らは屋敷の玄関口へと歩を進めた。質素な木造の扉は、彼らが歩みを止めるのと同時に内側から開かれる。そうして姿を現したのは、金髪に紫色の瞳が印象的な愛らしい顔立ちの少年だった。

 屋敷の内部から扉を開けた少年は、名をユアン=S=フロックハートという。この屋敷の主である彼は今宵、来訪者があることを承知していた。そのため自ら出迎えに来たのだが、ユアンの姿を目にした来訪者達は一様に固まってしまう。そんな態度には慣れたもので、ユアンは他者の緊張を解すような柔らかな笑みを浮かべた。

「いらっしゃい」

 ユアンの第一声を聞き、来訪者達は我に返った様子で跪いた。臣下の礼をとった彼らが口を開くのを、ユアンはその場で待つ。初めに言葉を発したのは黒髪の青年の方だった。

「ご挨拶が遅くなり、申し訳御座いません。お初にお目にかかります。ハーヴェイ=エクランドと申します」

 エクランド公爵家に名を連ねる者は漆黒の髪と同色の瞳といった珍しい容貌をしている者が多く、大抵は名乗られる前に素性を察することが出来る。ハーヴェイも例に洩れずといった外見をしていて、彼の弟であるキリルとよく似た雰囲気を有していた。ユアンが頷いて見せると、ハーヴェイは隣にいる青年に場を譲る。次に口を開いたのは、明るいブラウンの髪とミッドナイトブルーの瞳が印象的な青年だ。

「わたくしはロバート=エーメリーと申します。校内で御姿を拝見したことは御座いますが、こうしてお会いするのは初めてになります」

 ロバートはトリニスタン魔法学園アステルダム分校の理事長を務めていて、ユアンは度々、彼の学園に赴いたことがある。間接的に頼みごとをしたこともあったが、こうして顔を合わせるのは今日が初めてだ。色々と融通をきかせてもらっていることに礼を言った後、ユアンは二人に立ち上がるよう促した。

「立ち話もなんだし、入ってよ」

 二人に声を掛けつつ、ユアンは踵を返す。彼らが決して前に出ないことを承知しているため、ユアンはそのまま屋敷の奥へと歩を進めることにした。

「ユアン様、お伺いしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 しばらく無言で歩いていると、ロバートが声をかけてきた。彼らとは歩きながら会話をすることが難しいので、ユアンは立ち止まって振り返る。

「いいよ。何?」

「この屋敷には使用人がいないのですか?」

 貴族の屋敷では客人の出迎えなど、本来は使用人の仕事である。それを、ユアン自身がわざわざ出向いたことに、ロバートは違和感を覚えているのだろう。そうした疑問を感じ取ったうえで、ユアンは答えを口にした。

「一人もいないわけじゃないんだけど、基本的には僕とレイしかいないから。レイはまだ帰ってないんだ」

 ロバートやハーヴェイはレイチェルの導きによって、この屋敷を訪れた。その張本人が不在なわけだが、彼らはその件に関しては、疑問を口にすることはしなかった。二人とも、現在のレイチェルが平素以上に多忙な身となっていることを承知しているのだろう。他に質問もなさそうだったので、話を切り上げたユアンは再び歩を進める。そして屋敷の奥まった場所にある一室の前で足を止めた。

「今はだいぶ落ち着いてるんだけど、あんまり刺激しないでね?」

 ここ数日の苦労を口調に滲ませながら、ユアンは来訪者達に注意を促した。ハーヴェイとロバートが微かに眉をひそめたところで、扉が内側から開かれる。室内から顔を出したのはアルヴァで、彼は渋面をユアンに向けた。

「大袈裟な言い方をするな」

「ちっとも大袈裟じゃないよ。廃人みたいだったくせに」

 ユアンがレイチェルと共にアルヴァが住んでいるアパルトマンを訪れた時、彼は別人のようにやつれてしまっていた。目は虚ろで、話しかけても反応がなく、本当に酷い有様だったのだ。そのため屋敷に連れ帰って来てからは、ユアンが付きっきりで回復に努めた。そうしたことを暴露されると、アルヴァは渋面をさらにひどくする。

「もういい。僕が醜態を晒したことは彼らも存分に理解しただろう」

 だからあっちに行っていろと、アルヴァは邪険にユアンをあしらった。ぞんざいな扱いを受けつつも、ユアンは爽やかに笑って見せる。

「憎まれ口が叩けるのは元気になった証拠だね。じゃあ、二人ともごゆっくり」

 最後の科白は客人である、ハーヴェイとロバートに向けたものだ。ユアンがアルヴァに言われた通りの行動をしたことが彼らには驚きだったようだが、ユアンは気に留めず、踵を返すと元来た道を歩き出した。






 ユアンの背中が遠ざかって行くのを、ハーヴェイとロバートがあ然として見送っていた。ユアンは貴族達にとって未来の主君だが、その情報は多くが開示されているわけではない。そのため彼らも今日が初対面であり、予想外の奔放さに圧倒されてしまったのだろう。

「初めてお会いしたが、随分と、その……明朗な御方だな」

 ユアンの姿が視界から消えると、ハーヴェイが沈黙を破った。その感想は慎重に言葉を選んだ末に発せられたもので、彼にしては珍しい歯切れの悪さだ。アルヴァが思わず微苦笑を浮かべると、それを見たロバートが破顔する。

「思ったよりも元気そうで何よりだ。先程のユアン様の御言葉によると、回復したと言った方がいいようだが」

「……とりあえず入りなよ」

 再び仏頂面に戻ったアルヴァは取り合わず、ハーヴェイとロバートを室内に招き入れた。自分の住居ではないが家主がゆっくりしていけと言っていたので、好きに使わせてもらうこととする。手近にあったテーブルや椅子で簡易的な茶席を設けると、アルヴァは人数分の紅茶を魔法で用意した。それから改めて、自ら口火を切る。

「いちおう、訊いておくよ。何しに来たの?」

 ハーヴェイとロバートは今宵、レイチェルの手引きによってこの屋敷を訪れた。そのことは聞いていたし、彼らが自分を訪った理由も知れている。それでも敢えて問いかけたのは、悪態というものだ。そしていつもの通り、ロバートも悪趣味な言い回しで応じてくる。

「ある日突然、私には何の説明もなく我が校の校医が替わっていた。何事かと思って、真相を探りに来たというわけだ」

「真相、ね」

 彼の言う『真相』など、ロバートはとうの昔に答えを得ているに違いない。それでもアルヴァの口から語らせようとするのだから、性悪と言わずして何と言おう。嘆息だけでロバートから視線を外すと、アルヴァはハーヴェイを振り向いた。

「君もロバートと同じ理由で、ここへ?」

「分校の校医が誰だろうと私には関係のないことだ。私は君に、確かめたいことがあってここへ来た」

 ハーヴェイはそこで一度言葉を切ったが、アルヴァの反応は待たずに先を続けた。

「君を廃人同然にまで追い込んだのは、ミヤジマ=アオイ。これは真実なのか」

 ロバートのように遠まわしなことを言わないハーヴェイの発言は、衝撃的なまでに直球だった。それは真実ではあるものの、解釈の仕方に悪意を感じる。ミヤジマ=アオイという少女がまるで悪女のように扱われたことに、眉をひそめたアルヴァは反論を試みた。

「ミヤジマを侮辱するようなことを言わないでくれないか。彼女は何も、悪くない」

「何故、この期に及んで彼女を庇う? 彼女が君を傷つけたのは事実だろう?」

「庇っているわけじゃない。本当に何も、彼女は悪くないんだ」

 アルヴァが何を考えていたのかすら知らない葵は、悪女になりようがない。ただ彼女を失って、アルヴァの心がその事実に耐えられなかっただけなのである。ただの自滅であることを説明すると、ハーヴェイは苦々しい表情になった。

「……理解に苦しむな」

 その独白で、何が彼を苦い気持ちにさせているのかを、アルヴァは察した。思わず「ああ……」と呟きを零し、アルヴァは言葉を重ねる。

「僕に失望した?」

 ハーヴェイは昔から、何故かアルヴァのことを過大に評価している。そのせいで過去には、アルヴァが望んでいないのに半ば無理矢理に表舞台に立たせようとしてきたこともあった。恋愛など歯牙にもかけない彼は、アルヴァが失恋ごときで心を病んだのが許せないのだろう。だから必要以上に、葵を悪にしたいのだ。

 アルヴァからの問いかけに、ハーヴェイはしばらく無言でいた。だがそのうちに、彼はゆっくりと口を開く。

「私が失望しようと、君はどうでもいいのだろう?」

「そうだね。もともと僕は、君が考えているほど大した人間じゃないんだよ」

「いや、君はやはり私が認めた傑物だ。その何物にも囚われない柔軟さが、学生の時から羨ましかったよ」

 初めて聞く話だと、驚いたのはアルヴァだけではなさそうだった。ロバートも意外そうな顔をして、まじまじとハーヴェイを見ている。当のハーヴェイはと言えば、これもまた珍しく、胸のつかえが取れたような爽やかな笑みを浮かべていた。






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