「今まで探しに行った分校には、必ずあったからです」
トリニスタン魔法学園の学園長との関わりについて、フリードやアトリスに打ち明けることは得策ではない。そう判断した葵が口にしたのは、当たり障りのない事実だけだった。答えになっていないとフリードは怒っていたが、見兼ねた様子のアトリスが容喙してくる。
「それは、トリニスタン魔法学園には必ずあるものなの?」
「はい。ここを含めてあと六校なんですけど、欠けている文字の数と同じなんで間違いないと思います」
「その計算でいくと、君はすでに十校も訪れたことになるね。他の分校ではどういった場所で見つけたの?」
数字だけを追って見ればアトリスの言う通りなのだが、葵が実際に訪れた分校は二つだけだった。その場所を教えてみても、エッソー分校には焼却炉も青池もないという。その他の心当たりを尋ねられたが、葵には返す言葉がなかった。
(クレアやアルに、もっとちゃんと聞いておけば良かった)
手元にある時の欠片は、その大部分をクレアとアルヴァが集めてくれた。彼らの話によれば他の分校では、セラルミド分校やウォータールーフ分校のように封印を解いたことによって精霊が出現するということはなかったらしい。葵が訪れた二校はいずれも精霊が出現して大変な騒ぎになったが、その分、封印場所を特定しやすいという利点があった。しかしエッソー分校では、マジスターですら心当たりが皆無だという。これでは探しようがない。
「話にならないな」
アトリスに宥められてから口を閉ざしたままでいたフリードが、冷たい口調で沈黙を破った。彼の瞳は明らかに葵を責めていたが、今度はアトリスも閉口したままでいる。制止する者もいなかったため、フリードは冷ややかに言葉を続けた。
「素性は明らかにしない、
行くぞとアトリスに声をかけて、フリードは席を立った。アトリスは葵を一瞥したが、彼もまた、腰を浮かせる。
「情報が少なすぎるよ。探索の目途が立ったらまたおいで」
口調は柔らかかったがアトリスもまた、葵に愛想を尽かせたことは明白だった。会話する相手を失ってしまった葵はしばらく呆けていたが、やがて席を立つ。そしてすごすごと、学園の外へと向かった。
(なんか、フツウに嫌われたのって久しぶりかも)
アステルダム分校では、ほぼ全ての女子に嫌われていた。それは相性の良し悪しによるものではなく、偏に周囲の者達に影響されてのことだった。しかし今回は、それとは話が異なる。フリードとアトリスの反応から察するに、彼らは葵の情報を何一つ持っていなかった。加えて今回は同行者がいないので、周囲の威光によって印象を左右されることもない。フリードを怒らせたのも、アトリスに呆れられたのも、宮島葵というただの個人なのだ。それは葵が生まれ育った世界においては、至って普通の人間関係だった。
(……ダメだなぁ)
初対面の者に少し冷たくされたくらいで傷ついているのは、周囲の人達が優しすぎるからだ。もちろん、初めから平坦な道のりだったわけではない。それでも最近は、庇護されることに慣れすぎている。自分の無知と合わせて反省を心に刻んだ葵は重いため息をこぼした。
(元の世界に帰るんだったら、これが普通なのに)
生まれ育った世界での葵はただの女子校生であり、周囲が威光を感じるような知人などいない。早く『普通の感覚』を取り戻さなくてはと考えたところで、葵は自身の思考に胸騒ぎを覚えた。そんなタイミングで誰かからの
「はい、もしもし?」
レリエを使っての通信は、携帯電話のように本体を耳に当てる必要はない。そのため葵はレリエを握りしめたまま言葉を発したのだが、相手からの返答はすぐには返って来なかった。一呼吸ほどの妙な間を置いてから、呼び出しをかけてきた人物は喋り出す。
『もしもしって何?』
レリエから聞こえてきたのは最近恋人という関係になったばかりの少年――ハル=ヒューイットの声だった。その声を耳にした刹那、思わず息を呑んだ葵は、少し間を置いてから返答を口にする。
「ただのクセだから、気にしないで」
『ふうん』
「それより、どうしたの?」
『今どこ?』
「今? 今は、えっと……」
葵が現在いる場所は、スレイバル王国の南方に位置するエッソー公国である。だが初めて訪れたこともあって、とっさには名前が出てこなかった。言葉を濁すような形で閉口してしまった葵は、そのまま考え出す。
(これ、言っても大丈夫なのかな?)
一人でこんな場所に来ていることを知られれば、まず間違いなく外出の理由を問われるだろう。分校巡りをしていたのだと答えれば、何故一人で出掛けたのかも言わなければならなくなる。それはハルには、聞かせたくない内容だった。
『通信状態、悪い?』
しばらく沈黙が続いた後、ハルの方から話を再開させてきた。答えあぐねていた葵はハッとして、大丈夫だと返事をする。その後で通信状態が悪いことにしておけば良かったと思ったが、それはもう後の祭りだった。不審に思われたかもしれないと葵は怯えたが、ハルは平素と変わらぬ抑揚のなさで話を進めていく。
『外出してるなら、いい。明日は?』
「明日?」
『ひま?』
「あ、うん。大丈夫だと思うけど」
『それなら、昼頃迎えに行く』
それで彼の用件は終わったようで、「じゃあ」と短く言うとハルは通信を打ち切った。輝きを失ったレリエを再びポケットに戻し、葵は歩を進めながら考えを巡らせる。
(今のって、もしかして……)
ハルの口調に抑揚が乏しいため普通に会話を進めてしまったが、先程のやりとりはデートの誘いだったのではないだろうか。そうだとするならば、付き合い始めてから初のデートということになる。夢のような展開だが浮かれるよりも、葵は複雑な気分になった。
(なんか、ちょっと怖い)
ハルと付き合うまでには、本当に色々なことがあった。だが付き合ってからは、それまでのゴタゴタが嘘のように恋人としての段階を進めている。悪いことではないのだろうが、このままでは歯止めが効かなくなってしまいそうだ。
(それに……)
順調すぎて怖いという思いとは別に、葵には初デートを素直に喜べない疚しさがあった。生まれ育った世界に帰るかどうかについて、ハルにはまだ何も言えていない。自分の気持ちがはっきりしないから打ち明けられないということもあるのだが、それ以上に、葵はハルとこの話をしたくないと思っていた。話し合いをすれば、それで全てが終わってしまうかもしれないからだ。
周囲に多大な迷惑をかけて手に入れた幸せだが、それは泡沫の夢であるのかもしれない。だが短い夢なら尚のこと、目が醒めてしまうまでは浸っていたい。そんなことを考えながら帰宅した葵は、屋敷の玄関ホールで見知った人物と出くわした。
Copyright(c) 2016 sadaka all rights reserved.