etc.ロマンス 番外編

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Ring Bell


 木製の扉を開けると、室内のいたる所に飾られているガラス細工の工芸品が目につく。冷ややかな輝きに彩られているその部屋には一人の少年の姿があり、椅子に座って店番をしていた彼は、来訪者を起立して迎えた。

「親方」

 店にやって来た男を『親方』と呼んだのは、パンテノンという街で小さな工房を営んでいる庶民の少年だ。彼は名を、ザックという。

「仕事だ」

 そう言うと、親方は筒状に丸められている紙をザックに手渡した。上質な紙が使われているそれは貴族からの注文書で、内容を一読したザックは驚きに目を見開く。ザックは先日、とある貴族に鑑賞用の作品を献上した。それが高い評価を受けて、追加の注文をもらったのだ。その量が予想もしていなかったものだったので、ザックは驚いたのだった。

「よくやった」

 この調子で頑張れと言い置くと、親方は帰って行った。親方がいなくなってからも茫然と書状を見つめていたザックは、やがて奥から妹が現れたことで我に返った。

「お兄ちゃん?」

 何をしているのかと問いかけながら、ザックの妹であるリズは兄の手元を覗き込んだ。注文書に書かれている内容を見ると、彼女は驚きを露わにした後、はしゃいだ声を出す。

「発想が貧弱だなんて言われてたのに、鑑賞品で貴族に気に入られるなんて凄い!」

「……うるさいなぁ」

 褒められた嬉しさと、過去の自分を揶揄された恥ずかしさを同時に感じて、ザックは何とも言えぬ表情を浮かべた。このまま放っておくと長くなりそうだったので、早々に話を切り上げたザックは妹に店番を任せ、自身は工房へと足を運ぶ。先達て、貴族の眼鏡にかなった鑑賞品が生み出されたその場所で、ザックは火の入っていない溶鉱炉に目を向けた。

 もう、だいぶ以前の話になるが、ザックの職場であるこの場所に、一人の少女が出入りしていたことがあった。ある日、アフタヌーンドレスを纏って現れた彼女はおそらく名家の令嬢で、しかし自分では貴族などではないと言ってのける、変わった女の子だった。親交を深めるうちに、ザックは彼女に惹かれていった。彼女もおそらく、憎からず思っていてくれたのだと思う。しかし別れは訪れて、彼女とはもう言葉を交わす機会さえないだろう。だが今でも、ザックにとって彼女は革新を与えてくれた特別な存在だった。

 感謝の念も愛おしむ気持ちも、もう直接伝えることは出来ない。だが作品を作り続けていれば、いつかきっと、この想いは彼女の元へ届けられるだろう。その時に彼女が笑顔を取り戻してくれることを願って、ザックは溶鉱炉に火を入れた。






 ある日、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の大空の庭シエル・ガーデンでは、この学園のマジスターであるキリル=エクランド・オリヴァー=バベッジ・ウィル=ヴィンスの三人が、いつものように花園でティータイムを愉しんでいた。そこへ新たに現れた少女の名は、宮島葵という。たまたま所用があってシエル・ガーデンを訪れた葵は、ティーテーブルの上に乗っている物を目にすると動きを止めた。

「それ……」

「ああ、これ?」

 葵の声に反応してテーブルの上にある物を取り上げたのはウィルだった。どうやら彼が持ち込んだものらしく、ウィルはその物体に対しての説明を加える。

「最近、貴族の間で流行ってるんだ。カリロンっていうらしいよ」

 ウィルが片手で持ち上げたそれは、底の浅い半円形のグラスを逆さにしたような形状で、グラス部分の上下から紐が出ている。上の紐はウィルが手で吊っていて、下の紐には棒状のガラスが吊るされているのだが、その形状は、どこからどう見ても風鈴そのものだ。だが、見覚えがあるのは葵だけのようで、キリルとオリヴァーは不思議そうに風鈴を眺めている。

「それ、何に使うんだ?」

「風が吹くと、この棒状のガラスが揺れて音が鳴るんだ」

「じゃあ、早く鳴らせよ」

「これは他の鑑賞品と違って魔法を使わないんだよ。自然に風が吹くのを待つっていうのがルールみたい」

「バカじゃねーの?」

 そんなものの何が面白いのだと、先程まで質問を重ねていたキリルは眉根を寄せている。これがこの世界での通常の反応だが、目新しい物好きの貴族の間では、この不自由さがウケているらしい。そういった話を、葵は茫然と聞いていた。

(やっぱり、間違いない)

 ガラス細工と風鈴、そして魔法を使わない鑑賞品。それらの単語が、葵の中では一人の少年を指し示している。作品に独創性がないと悩んでいた彼に風鈴を作ったらどうかと提案した日のことが昨日のことのように思い出されて、葵は微かに顔を歪めた。

 パンテノンという街で知り合った庶民の少年、ザック。そして彼の妹であるリズは、葵にとって特別な存在だった。非現実的だった世界で見つけた、日常に近しかった彼らは、当時の葵にとってはこの上ない癒しだったのだ。だが彼らとの思い出は、懐かしい気持ちだけで思い返されるものではない。そこには必ず、一定量の苦さが伴う。

(どうして、作ったんだろう)

 ザックが風鈴の制作に取り掛かる前に、葵は彼らと別れることになった。あの時のことを葵が思い出してしまうように、ザックにとってもあの別れは苦いものだっただろう。それでも彼は、風鈴を制作した。そしてそれが目の前にあることに、葵は何らかの意思を感じざるを得なかった。

(嫌がらせ……のはず、ないよね)

 真っ先に頭に浮かんだ考えを、記憶にある人物像がすぐさま否定した。ザックは決して、そんなことをする人物ではない。ここにいるマジスターなどとは違って、彼は至って普通の、優しい男の子だったのだ。それならば考えられるのは、自分は元気にやっているよという無言のメッセージだろうか。

(……ザックらしいな)

 二番目に浮かんだ考えはやけにしっくりきて、葵は微かに口元を綻ばせた。そして、改めて思う。彼のことが好きだったと。

 恋愛を考えるうえでは最悪のタイミングで出会ってしまったため、あの頃ザックに抱いていた気持ちが恋愛感情だったのかどうかは分からない。だが友人として……人間としては、間違いなく好きだった。それは不本意な別れ方をした今も変わらないし、この先もずっとそうだろう。そうして懐かしく思い返す時に、あの素朴で幸せだった時間を苦い記憶に変えなくていいのだと、言われたような気がした。

(ザック……)

 会いたくなってしまったが、彼とはもう会わない方がいいだろう。ザックもそう思ったからこそ、風鈴を作ったのかもしれない。そう考えると切なくなって、葵はウィルが無造作に放った風鈴をそっとすくい上げた。

「気に入ったの?」

 ウィルが問いかけてきたので、葵は無言で頷いて見せる。続けて、あげようかと言われたので、葵はありがたく風鈴を頂戴することにした。







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