etc.ロマンス 番外編 10 years later

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 アン・カルテという魔法で世界地図を描き出したとき、そこには大陸が二つ存在している。地図のちょうど東西に位置している大陸は西の大陸をファスト、東の大陸をゼロといい、ファスト大陸の約三倍ほどの面積を誇るゼロ大陸はスレイバルという王国が統治していた。スレイバル王国の首都(王都)はラカンカナルといい、その街並みは丘陵の頂にある王城を中心として広がっている。壮大秀美な街並みを一望出来る王城ではこの日、とある人物が国王に召喚されていた。謁見を終えて王城の廊下に出て来たのは、漆黒の髪色と同色の瞳が印象的な青年。彼は名を、キリル=エクランドといった。

 謁見の間を後にして王城の廊下を歩いていたキリルは、程なくしてとある人物に声をかけられた。青年からそろそろ中年に差し掛かろうとしているその人物は、金髪に碧眼といった容姿の知己だ。彼は名を、アルヴァ=アロースミスという。

「少し、話をして行かないか」

 アルヴァからの申し出を、キリルは頷くことで承諾した。すぐに場所を移すことになり、案内されたのは王城内にあるアルヴァのプライベートルームだった。二人分の紅茶を魔法で用意してから、アルヴァは話を再開させる。

「先程の話だが、本当にいいのか?」

 アルヴァが切り出した内容は、キリルが国王から下命を受けた件だった。謁見の間でのやり取りを思い返しながら、キリルは短く嘆息する。

「他に適任者はいないでしょう」

 現在の国王であるユアン=S=スレイバルは、幼い頃に禁呪とされていた召喚魔法を復元したことがある。それによって一人の少女が異世界から召喚されたのだが、ユアンは失われていた送還魔法をも完成させ、異世界の住人を生まれ育った世界に送り返した。それで全ては終わったはずだったのだが、彼はその後も密かに研究を続けていた。そしてこの度、再び異世界との交流を実現させると言い出したのだ。以前の召喚は人物も特定出来なければ相手の意思も無関係という代物だったのだが、研究を重ねた結果、ユアンは特定の人物の許へ赴くことが可能な魔法を完成させたらしい。なので、以前に召喚した少女を迎えに行ってくれないかというのが、今回の謁見の内容だった。

 キリルの発言を聞いて、アルヴァは苦い表情を浮かべながら言葉を紡いだ。

「すまない。私が行ければ話は早かったのだが」

 この交流話が明るみになった当初は国王自らが異世界に行くと言って聞かなかったのだそうだ。しかし大国の王が国を空けて、よりにもよって異世界へ赴くなど、許されることではない。絶対に駄目だという結論に至ってからは、では誰が異世界に行くのかという話になった。魔法の理論は確立されたとはいえ、何分全てが初めて尽くしだ。状況の変化に合わせて対応する力を有しつつ、出来れば迎えに行く少女とも面識がある人物が望ましい。アルヴァはその条件に当て嵌まる人物だが、彼を選出するという結論は国によって却下されていた。

 ほんの数年前まで、スレイバル王国でアロースミスと言えばアルヴァよりも彼の姉であるレイチェル=アロースミスが有名だった。現国王が幼少の頃より仕えてきたレイチェルは、ユアンの戴冠後もしばらくは国政の中枢を担っていたのだが、ある時、彼女は突然引退してしまった。その後継がアルヴァであり、今や彼はこの国にとってなくてはならない存在になっている。アルヴァは爵位も授かっているため、そうしたことも周囲から反対を受ける要因になっていた。

 アルヴァが駄目となれば、次に目が行くのは異世界の少女と共に学園生活を過ごした者達ということになる。キリルを含めた数名は大貴族の子ではあるものの爵位継承者ではない。そのため条件的には最適だが、爵位にある者が人選から弾かれるとなると、ウィルは扱いが微妙になる。彼はとある大貴族に婿入りしていて、事実上、爵位継承者と同等の働きをしているからだ。そうなってくるとキリルか、もう一人の友人であるオリヴァーか、という話になってくる。アルヴァもそのあたりのことは承知していて、オリヴァーと共に行ったらどうかと提案を投げかけてきた。しかしキリルは、即座に首を振る。

「妊娠中の妻を置いて出掛けられる男ではありません」

 どうやらその事実は耳に入っていなかったらしく、アルヴァは目を瞬かせた。しかし驚いた様子を見せたのは束の間のことで、すぐ真顔に戻った彼は「そうか……」と呟きを零す。

「それは、助力を乞うのは難しいな」

 オリヴァーの妻はアルヴァもよく知っている人物で、空を仰いだ彼は彼女の顔を思い浮かべているのかもしれない。それとも、四人目の子供ということに対して何かしらの感慨を抱いているのだろうか。どちらしても最初から、キリルはオリヴァーを巻き込むことは考えていなかった。幸せな家庭を築いている者に、わざわざ危険リスクを背負わせることもない。こういう不確かなことは、大切な存在がいない者がやればいいのだ。

「やはり、君に頼むしかないか」

 独白のように言葉を紡ぐと、アルヴァはキリルに視線を戻した。そのまなざしに微かな憂いを感じてしまうのは、彼が言いたいことが解ってしまうからだ。

 キリルが異世界に迎えに行くことになっている少女は、名をミヤジマ=アオイという。彼女は単に学園生活を共に過ごした仲間というわけではなく、キリルが初めて恋心を抱いた相手だった。当時のキリルは初めての感情に振り回されながらも、なんとかアオイの心を自分に向かわせたいと躍起になっていた。しかし彼女は、キリルの友人だったハル=ヒューイットという少年と結ばれた。それはキリルにとって衝撃的な出来事で、ショックの大きさから、キリルは心も体も壊しかけてしまったのだ。アルヴァはそうした経緯を知っているため、彼が憂慮するのも無理のないことだ。しかし現在のキリルは、心を乱すことなく冷静に言葉を紡いだ。

「気遣いは無用です、アロースミス卿」

「では、彼らに会っても問題はないと?」

「もう、十年も前のことですから」

 今となってはもう、何故あんなに執着していたのか分からない。キリルがそう言うと、アルヴァは少し寂しそうな表情を浮かべた。その意味はすぐに解って、キリルは半ば呆れながら、半ばは感心しながら言葉を重ねた。

「貴方はまだ、彼女のことを愛しているのですか?」

 キリルと同じくアルヴァも、アオイがハルと付き合うことになって傷ついた者の一人だ。それでも彼は二人の結婚式に出席し、異世界へと旅立つ彼らを最後まで見届けた。そして今もなお想っているとなれば、その想いの丈は尋常ではない。キリルでさえそう思うのに、アルヴァは穏やかな笑みを浮かべて見せる。

「若い頃と同じ想いではないけれどね。今でも愛しているよ」

「それが、未だに妻帯しない理由ですか」

「それは……少し、違うのだと思う」

 今度は苦笑のような表情を浮かべて、アルヴァは『違う』と思う理由について語った。彼はどうやら、引退して普通の家庭を築いているレイチェルの子供が可愛くて仕方がないらしい。自身が恋愛をすることにそれ以上の喜びを見出せなければ難しいのだと、アルヴァは子か孫でも持つ者のように言ってのけた。

「君にも複数の縁談が来ていると聞く。君こそ、妻帯しないのか?」

 アルヴァから問いかけられたキリルは兄の顔を思い浮かべた。キリルの兄とアルヴァは友人であり、そうした情報はそこから漏れ出たものだろう。嘆息して、キリルは小さく首を振った。

「そうしたことは、もう十分です」

「やはり、赦せないか?」

 アルヴァがやるせないといった顔つきで問いかけてきたのは、アオイとハルが恋人という関係になる時にイザコザがあったからだ。キリルの失恋は彼らに裏切られた形になっていて、それが今でも尾を引いているのだとアルヴァは受け取ったのだろう。しかしその解釈は胸中と違っていて、キリルは淡々とアルヴァの言葉を否定する。

「当時は確かに、そうした気持ちもありました。ですが今は、そう感じていたことさえ昔の記憶です」

 アオイとハルは共にキリルの前から消えたわけだが、キリルにとってはそれで全てが終わったわけではなかった。彼らがいなくなってからも、一度壊れかけたキリルは苦しみ続けたのだ。だが友人の援けと十年という歳月が、いつの間にか人並みの生活を取り戻してくれた。キリルは現在、エクランド公爵の称号を引き継いだ兄の仕事を手伝っている。そうした自分に不満はないし、恋などしなくても生きていけるのだ。だから過去を引きずっているわけではないと言い置いて、キリルは「ただ……」と言葉を続けた。

「最後にもう一度会うべきだったのかは、今でも考えることがあります」

 結婚式の招待状を受け取った時、キリルは参列しなかった。その後、友人達が最後の見送りに行くことも承知していたが、どうしても行けなかったのだ。あの時にもう一度だけ顔を見ていれば、過去を清算するのがもっと早かったかもしれない。あるいはもっと打ちのめされて、現在のような生き方は出来なかったかもしれない。十年も経った今となっては意味のない自問自答だが、それでも時折、考えてしまう瞬間が存在していた。それが何故かは自分でも分からないが、今回の異世界行きはきっと、そうした過去の残滓さえも消せる機会なのだ。

「ここまでお話しすれば、問題ないことが解っていただけたでしょうか」

 最後にそう尋ねると、アルヴァは頷いて見せてから腰を上げた。キリルも席を立ち、アルヴァと共に彼のプライベートルームを後にする。仕事に戻ると言うアルヴァとは部屋を出た所で別れたのだが、キリルはしばし、去って行く彼の背中を見つめていた。

 十年前、まだ一般人だった彼はキリルにとって最大の恋敵だった。目障りで、とにかく気に入らなくて、当時は彼とまともに会話をした記憶すらない。そんな人物に本音を語ったのは、十年という歳月を経てキリルが大人になったからだ。そしてアルヴァも、丸くなった。時の流れというのはそういうもので、誰しも昔のままではいられない。これから十年ぶりに会うことになる彼らも、それは同じことだった。





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