etc.ロマンス 番外編

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ONLY ONE


 人間が魔法を使うことの出来ない特殊な国、フロンティエール。その王宮の一室に、黒髪の少年の姿があった。窓辺に置かれた椅子に腰かけてぼんやり外を眺めている彼はこの国の王子で、名をジノクという。その場にはもう一人、そんなジノクの姿を戸口から見つめている侍従の姿があった。アオザイに似たフロンティエールの民族衣装を身につけている彼女は、名をリンという。

「ジノク王子」

 ややあって、リンはジノクの背中に声をかけた。ジノクは呼びかけに反応して振り向いたものの、特に言葉を発することなく再び窓の外に視線を転じてしまう。つれない態度に胸が潰されそうになったが、リンは平然を装ってジノクの傍へ寄った。

「お茶を、お持ち致しました」

「今は欲しくない」

 こちらには目も向けず、ジノクは「そこに置いておけ」と言う。言われた通りに茶器をテーブルの上に置いたリンは、しかしそのまま立ち去ることをしなかった。憂いを滲ませるジノクの横顔を、彼女はじっと見つめる。

 しばらく国を空けていたジノクは先日、留学先のスレイバル王国から帰国した。予定よりも早く母国に帰って来た彼は、異国の地で失恋の痛手を負ったのだという。リンは同行を許されなかった身なので、異国での出来事はジノクの従者であるビノという青年から聞いた。彼の話によるとジノクの想い人であるミヤジマ=アオイという少女には他に好きな人がいて、そのせいでジノクの想いは叶わなかったというのだ。

 ミヤジマ=アオイという少女を、リンは直接的に知っていた。以前、旅人としてフロンティエールを訪れた彼女は何故かジノクに気に入られ、求婚までされていたからだ。しかし彼女はジノクと結婚するのは嫌だと言って、リンに逃亡の手助けを頼んできた。彼女を憎らしく思っていたリンは計画に協力したのだが、そのことが明るみに出てしまい、リンはジノクから口をきいてもらえなくなった。その後、関係の修復を図れないうちにジノクは異国へ旅立ってしまったのだが、彼の態度が素っ気ないのはそのことが原因ではないだろう。

「何だ?」

 人の気配が消えないことを怪訝に思ったのか、ジノクが顔を傾けてきた。ある決意を持ってこの場所を訪れたリンは、震える手を固く結ぶ。

「王子に聞いていただきたいことがあります」

 改まって話があるなどと切り出したためか、ジノクは眉間にシワを寄せた。とても他人の話など聞く気分ではないだろうに、それでも彼は「申せ」と言ってくれる。その優しさにどれだけ癒され、励まされ、心を奪われてきたことだろう。

「王子を、お慕いしております」

 リンが積年の想いを言の葉に乗せると、ジノクはキョトンとした顔つきになった。以前はフロンティエール中の女性がジノクに愛を囁いていたので、それと同じ意味に取られたのかもしれない。だが、違うのだ。リンの気持ちは彼女達のように、自分以外の女が王子に触れても許せるというものではない。

 リンは地方の出身で、十二歳の時に親元を離れて王宮に来た。今でこそ侍従長という地位を任されているが、王宮に来た当初は毎日が不安と寂しさとの戦いだった。逃げ出して、故郷に帰ろうと考えたのも一度や二度ではない。そんな辛いだけの日々から救い出してくれたのが、幼き日のジノクだった。


『そなた、名は?』


 そう声をかけてきてくれたことが、はじまり。それ以来、ジノクは何かとリンを気にかけてくれた。それまで俯いてばかりいたリンも少しずつ王宮での暮らしに慣れ、気が付けばいつでも、ジノクの姿を探すようになっていた。そして、気付いた。ジノクが優しいのは誰に対しても・・・・・・、であるということに。

「わたくしは今までに幾度も、王子の優しさに救われてきました。ですが、他の侍従と同じようには、王子をお慕いすることが出来なかったのです」

 フロンティエールでは王族から庶民に至るまで、一夫多妻が普通である。そのため男も女も、一人に縛られることは少ない。ジノクの周囲にいる女性は皆そのように・・・・・彼を愛していたし、ジノク自身もそうだった。だがリンは、周囲と同じように扱われるのが嫌だったのだ。またジノクを前にすると極度に緊張してしまうこともあり、他の侍従のように彼と寝屋を共にしたこともない。そのうちに融通の利かない固い女だと言われるようになって、そのイメージが定着してしまった。そのため他の者の仕事を押し付けられることも増え、気がつけば侍従長という地位にまで上っていたのだ。

「恐れ多いことではありますが、わたくしはずっと……もう十年も前から、王子を独占したいという欲に取り憑かれております。この気持ちは異常なのではないかと、悩んだ時もあります。ですが今は、自分に自信を持ってお伝えすることが出来ます。わたくしは一人の女として貴方を……王子だけを、愛しています」

 胸に溜めていた言葉を全て吐き出して低頭すると、涙が零れそうになった。もう十年も胸に秘めてきた想いだが、この恋に未来はない。ジノクは七つも年下なうえ、この国の王子であり、何より彼の心には自分ではない『たった一人』の者が棲んでいるのだから。

「……そなた、だったのか」

 しばらくの沈黙の後、ジノクがぽつりと呟きを零した。頭を上げろと言われたので、リンはその通りにする。ジノクと目が合うと今更ながらに羞恥心が沸いてきた。思わず目を伏せたリンに向かって、ジノクは淡々と言葉を続ける。

「ミヤジマが言っていた。余のことを本気で好きだと思っている女が、この国にいるのだと」

 ミヤジマ=アオイ。ジノクの口からその名を聞くと、リンは複雑な気持ちになる。どうしても嫉妬がこみ上げてきて好きになれないが、自分の思慕が異常なものではないのだと教えてくれたのは彼女だった。

「以前の余なら、そなたが何を申しているのか解らなかったと思う。だが今は、そなたの気持ちがよく解る。十年も、辛い思いをさせたな」

「王子……」

 異常だとさえ思っていた気持ちを、ジノクが肯定してくれた。そのことが胸を熱くさせて、リンの目からは大粒の涙が零れ落ちる。顔を覆って嗚咽を堪えたリンの肩を、席を立ったジノクが優しく抱いた。

「そなたにはすまないと思うが、今は何も考えられぬのだ。だが、それほどまでに余のことを想ってくれているのだということは、心に刻んでおく」

 叶わぬ想いであることは、初めから分かっていた。それでもジノクは想像を遥かに超えた思い遣りを示してくれた。悔しいが、ミヤジマ=アオイの存在なくして、ジノクからこのような発言は生まれなかっただろう。もう会うこともない少女に密かな感謝を捧げて、涙を拭ったリンは愛しい熱を手離した。







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