etc.ロマンス 番外編 +α

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 夏の太陽がギラギラと照り付ける八月の下旬、閑静な住宅街を二人の少女が歩いていた。彼女達は並んで歩を進めているのだが、一人の少女は携帯電話を片手に道を確認しながら、もう一人の少女を誘導している。そのうちに目的の場所に達したようで、少女達は一軒の家の前で足を止めた。表札の文字は鈴木。携帯電話をしまった少女がインターホンを押すと、家の中から黒髪の女性が姿を現した。彼女は自宅の前に立つ少女達を見て少し間を置いた後、柔らかな笑みを浮かべて「いらっしゃい」と口にする。それに応えたのは、先程インターホンを鳴らした少女だった。

「高木です。会うのは、初めまして」

「あなたが、高木さん。じゃあ……」

 高木弥也ややという少女と言葉を交わした後、黒髪の女性は彼女の隣にいる少女へと目を向けた。頷いて、もう一人の少女が口火を切る。

「宮島葵です。初めまして、ヨーコさん」

 黒髪の女性は名を鈴木洋子といい、彼女の旧姓は松本である。葵と洋子は共に、夜空に二月が浮かぶ別の世界に召喚されたことがあった。この出会いは時空を超えたもので、異世界の存在が、二人の縁を生み出したのだ。

 自己紹介をしたきり、葵と洋子はしばらく言葉を重ねることが出来なかった。この出会いがどういうものであるのかを知っている弥也も、無言で成り行きを見守っている。そのうちに洋子が家の中に招き入れてくれたので、話の続きは鈴木家のリビングで改めてすることになった。

「あなたも、あの世界を知っているのね」

 口火を切ったのは洋子だった。懐かしむ口調の彼女に触発されて、葵も脳裏に焼き付いている異世界の風景を思い出す。葵が異世界から帰還したのは、まだ二ヶ月ほど前の出来事だった。

「洋子さんはどのくらい、あっちにいたんですか?」

「一年、あちらの世界で過ごしたわ。こっちに戻って来てからはもう、七年になるの」

 洋子から聞いた情報を素に、葵は様々なことについて考えを巡らせた。こちらに戻ってから七年ということは、彼女は二十歳前後で異世界に召喚されたことになる。そして二つの月が存在する異世界で、一年という歳月を過ごした。その間、洋子には恋人と呼べる存在がいたのだ。そして葵は、彼女の恋人だった人物に会ったことがある。

「バラージュに、会いました」

 バラージュ=バーバーというのが、異世界で洋子と心を通わせた男性の名前だ。その名を耳にすると、過去を懐かしんでいた洋子の顔から表情が消えた。彼女は葵とバラージュの間に何らかの関わりがあることを知っているはずなので、驚いたのではない。おそらく覚悟を決めたのだろうと、葵はそう思った。

 葵はまず、自分が召喚された世界ではバラージュがすでに故人であったことを伝えた。その上で面識を持つことになる過程を説明すると、洋子の表情がどんどん曇っていく。最終的には苦悶を隠しきれなくなっていたが、それでも彼女は目を伏せることだけはしなかった。葵が英霊となったバラージュが語ったことを伝えて話を一段落させると、それまで気丈に振る舞っていた洋子は重い息を吐く。

「私のせいで、千年も苦しませてしまったのね」

 そう独白を零した洋子も、葵も、千年という時を生きることは出来ない。想像することさえ難しい辛酸を、バラージュは独りで抱え続けてきたのだ。その契機となったのは間違いなく洋子であるため、そこを否定することは出来ない。しかしそれが全てではないことを知っている葵は落ち込む洋子に向かって話を続けた。

「バラージュは異世界に生まれた人とは会わない方が幸せだったって言ってました。でも、ある人がバラージュに言ったんです。出会いは何かを生むし、それはきっと、いつまでも心に残るからって」

 出会いがあれば同じ数だけ、別れの哀しみがある。それは異世界に限った話ではなく、生きている以上、当たり前のことなのだ。自然で、逃れられないことならば、別れを悲嘆するより出会いの奇跡に感謝した方がいい。そう教えてくれた少年の顔を脳裏に浮かべ、葵は洋子に向かって微笑んだ。

「私も、そう思うんです。バラージュもきっと、最後は同じ気持ちでいてくれたと思います」

 今は遠く離れてしまった洋子の心にも、バラージュへの想いはきっと残っているはずだ。そう言われて、バラージュは涙を流していた。あの時に感じた彼の気持ちを、少しでも多く洋子に伝えたい。そう思いながら話をしていた葵は、洋子の頬にも涙が伝うのを目の当たりにした。

「ありがとう……」

 消え入りそうに小さく呟くと、洋子は顔を覆ってしまった。葵と弥也は無言で、彼女が落ち着くのを待つ。しばらくの後、涙を拭った洋子は笑みを浮かべて見せた。

「別れは辛かったけれど、バラージュと過ごした時間は幸せだった。だから私も後悔ではなく、出会えた幸福を感謝して生きるわ」

 洋子が前向きな言葉を聞かせてくれたので、葵は伝えられて良かったと安堵した。そしてもう一つ、彼女には伝えなければならないことがある。

「レムが、洋子さんの幸せを願ってるって言ってました」

 葵が異世界で出会ったレムという女性は、洋子と同じ時間を共に過ごした人物だった。その名を聞くと、洋子は目を丸くする。

「まあ、レムにも会ったの?」

「はい。彼女は長生きな種族だったみたいで、千年後も普通に生きてました」

「そうなの。元気、そうだった?」

「はい。私達が百年くらいしか生きないって言ったら短命なのねとか言われちゃいました」

「ふふっ。懐かしいわ」

 涙で赤くなった目を細めて、洋子は過去に思いを馳せている。少しの間そうしてから、今度は洋子の方から葵に質問してきた。

「宮島さんはどのくらい、あちらにいたの?」

「私も一年以上いました。一年半くらいかな?」

「そう。恋、したりはしなかった?」

 洋子からの問いかけに、葵は黙ってしまった。すると今まで黙っていた弥也が、少し怒り気味に口を開く。

「聞いてくださいよ、松本さん。このバカ、異世界で結婚したうえに旦那を連れ帰って来たんですよ」

「えっ」

 驚きの声を発した後、洋子は絶句してしまった。葵も表情を曇らせて、弥也と目を合わせないように顔を背ける。その間に弥也が、洋子に事の顛末を説明した。

 葵は異世界でハル=ヒューイットという少年と出会い、夫婦になった。そして共に葵の故郷である世界へと、帰って来たのだ。その事実を知った時、弥也は烈火のごとく怒った。しかし協力してくれたのも彼女で、葵の家に連れ帰るわけにもいかなかったハルを、弥也はしばらく自宅に泊めてくれていた。しかしそのハルが、ある日行方不明になったのだ。

「どうして、いなくなってしまったのかしら」

 すでに落ち着きを取り戻している洋子が、ぽつりと疑問を口にした。それに対しては弥也が、「さあ」と応える。最後にハルと会ったのは弥也の兄なのだが、彼が言うには、突然ふらりと出掛けたきり戻って来なかったのだという。

「迷子にでもなったのかと思って、いちおう探してみたんですけどね。結局見つからなくて、今もまだ行方不明のままです」

「そうなの……」

 説明を加えていた弥也に相槌を打つと、洋子は気遣わしげなまなざしを葵に向けた。それは辛いわねと葵に言葉を掛けてから、彼女は深刻な表情を少し和らげる。

「宮島さん、彼の写真は持っている?」

「え?」

 洋子が脈絡のないことを言い出したため、沈んでいた葵は目を瞬かせた。携帯電話に写真があることを伝えると、彼女は自分の携帯電話に送ってくれと言う。

「主人が力になってくれると思うの。写真を見せて相談してみるわ」

「松本さんの旦那さん、ですか?」

 意気込む洋子に対し、訝しげに問いかけたのは弥也だ。葵も同じ気持ちで、洋子に説明を求める。すると彼女は、驚くべきことを語ってくれた。

「この世界に戻って来た時、私は全てを失くしていたわ。私は松本洋子という名前の日本人だったけれど、私を知っている人は誰もいないし、私がこの国で生まれたことすら証明出来ない。身元不明、という存在だったの。けれどね、そういう人はけっこういるのですって」

 世間には知られていないが、そうした身元不明者を支援する団体があり、洋子の夫はそこの職員なのだそうだ。仕事柄、人探しのネットワークもあるし、ハルを見つけた後も支援が出来るだろう。洋子はそう言ってくれたが、突然のことに理解が追い付かなかった葵は呆けることしか出来なかった。葵が言葉を発さなかったため、弥也が洋子との会話を続ける。

「旦那さんとはそういう出会いだったんですね」

「高木さんには前に少しだけ話したことがあったわね」

 弥也と洋子は今日が初対面だが、電話やメールでのやり取りは以前から続けていた。その中で、そうした話題になったこともあったのだろう。次第に状況を把握出来てきた葵がそんなことを考えていると、洋子の視線が再びこちらを向いた。

「連絡先を教えてくれる?」

「あ、はい」

 促されるままに、葵は洋子と携帯電話の情報を交換した。ハルの写真もその場で洋子に送ると、それを確認した彼女は「あとは任せて」と言う。

「他にも困ったことがあったらいつでも言ってね」

 洋子の身内に頼れる者がいると判明した今、彼女の言葉は単なる励ましではなくなっていた。それはとても心強く、ハルが行方をくらませて以来塞いできた葵は一筋の光を見つけたような思いで、洋子に頷いて見せた。







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