etc.ロマンス 番外編 +α

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「松本さん、応援してるみたいだったね」

 洋子の家まで電車とバスを乗り継いで来た葵と弥也は、帰り道に駅ビルの中にある本屋に立ち寄っていた。そこで弥也が雑誌を開きながら声を掛けてきたので、葵は隣に立っている彼女を振り向く。弥也は雑誌のページを見るとはなしにめくりながら、淡々と言葉を続けた。

「あたしは、このままハルが見つからなくてもいいんじゃないかって思ってるから」

「え……」

「だって、この先どうすんの?」

 そこで初めて、弥也は雑誌から顔を上げた。その射るような眼差しと厳しい言葉に、応えられなかった葵は口をつぐむ。その様子を見た弥也は再び雑誌に目を落とし、そのまま話を続けた。

「もしハルが帰って来たとしても、いつまでもうちに置いとくわけにもいかないんだからね」

「……ごめん」

 謝る以外に術がなくて、葵は弥也の方を見ることが出来ないまま謝罪を繰り返した。この問答も、もう幾度目になるだろう。ハルを連れ帰って来たことを知った時から、彼女には説教をされてばかりだ。しかし弥也の意見は正論で、葵とハルが現実に直面している問題でもあった。

(考えなしにやったことじゃないけど……)

 共に生きると決めた時から茨の道を歩む覚悟はしていたつもりだった。しかし現実は、そんな覚悟が薄っぺらく感じられるほどに厳しい。この世界で生きて行くのならまずは仕事をどうにかしなければならないのだろうが、ハルにそれが出来るだろうか。葵の方が稼ぐという手段もあるが、高校生の身ではたかが知れていた。

「ハルが仕事でも見つけてくれば話は別だけどさ」

 同じことを考えていたらしい弥也が、そう言ったところで不意に動きを止めた。友人の様子がおかしいことに気付いた葵は何気なく手に取っていた雑誌から顔を上げ、隣にいる弥也を見る。呼びかけると、彼女は手にしていた雑誌を葵の方に傾けてきた。

「これ……ハルじゃない?」

 弥也が指し示したページには、ハルによく似た少年がカメラ目線でポーズを決めていた。目を疑った葵は雑誌を奪い取り、具に観察を開始する。

(あ……)

 その雑誌の少年がハル本人であることを、葵は顔ではなく別の部分で確信した。そのモデルの指に、特徴的な石が嵌った指輪があったのだ。顔が似ているだけなら他人の空似ということもあったかもしれない。だが肉眼で見た太陽のような色彩の石は結婚指輪で、別のものと見間違えるはずもなかった。

「どうなってるの……」

 意味が不明すぎて、雑誌から目を離した葵は空を仰いだ。その手から雑誌を取り上げて、今度は弥也がそのページを詳細にチェックしていく。その後はインターネットも駆使して、弥也が情報を集めてくれた。

「この人、大手事務所の新人みたい。これ、ハルに間違いないの?」

「うん……間違いない」

「ちょっと電話してみよう」

 行動が早い弥也はすぐに、事務所の電話番号を調べて電話をかけてくれた。しかし大手の事務所が個人情報を教えてくれるはずもなく、それは直接現地に赴いてみても同じだった。行方は判ったが結局は何の情報も得られないまま、葵と弥也は帰途に着くことになる。その頃にはもう、辺りはとっぷり暮れていた。

(はあ……)

 弥也とも別れた後、帰り道にある公園のベンチに脱力するように座り込んだ葵は大きなため息を吐いた。その膝には、本屋で買った雑誌が広げられている。何度疑って見ても、そこに掲載されているモデルはハル本人でしかなかった。

(まさか芸能人になっちゃうなんて)

 異世界にいた頃のハルは容姿端麗で家柄も良く、学園のアイドルだった。その頃からすでに芸能人のようではあったが、まさか別の世界においても同じことになってしまうとは。それだけでも複雑な気分になるのに、無事でいたハルが連絡をくれなかったことも気に掛かる。彼を普通の人と同じに考えてはいけないが、華やかな世界に身を置くことで心変わりがなかったとも言い切れないのだ。

(……そんなこと、ないよね?)

 再び雑誌に目を落とした葵は、モデルの指に輝く指輪を注視した。左手の薬指にこそ着けていないが、これは葵とハルが夫婦になった証なのだ。裏切られたわけではないのだと、そう信じたかった。

(会いたいよ、ハル)

 涙がじわりと滲んできたため、雑誌を閉ざした葵は空を見上げた。すでに夜を迎えている空には一つだけの月が、静かに浮かんでいる。異世界のものと違って満ち欠けがあるが、今日は満月に近い姿だった。

 生まれ育った世界の月をしばらく眺めていると、視界に異様なものが入り込んできた。月の近くに突然現れた人影は、葵の眼前で見事な着地を決めて見せる。空から人間が降って来るという光景を、葵は呆然と眺めていた。だが眼前に現れた人物が誰なのかを認識すると、慌てて立ち上がる。

「ハル!」

 会いたかった人物にようやく会えたわけだが、葵の頭は再会の喜びよりも驚きに支配されていた。今のは何だと尋ねると、ハルは常の無表情を崩さないまま魔法が使えるみたいだと告げた。

「世界の理が違うから、自由には使えないけど」

 そこで言葉を切ると、ハルは公園に生えている樹に近寄って行った。彼がその幹に触れてしばらくすると、緑だった樹の姿が春のように変わって行く。どうやら桜の樹だったようで、街灯に照らされたそれは狂い咲きの夜桜となった。

「こういうのとか、風に乗ってちょっと飛ぶのとかは、出来るっぽい」

「出来るっぽい、って……」

 いかにも今試してみたという口振りに、葵は絶句してしまった。どうやらハルの方は機嫌が良いらしく、いつになく饒舌に言葉を重ねていく。

「魔法って面白いな。向こうの世界では当たり前すぎて、気がつかなかった」

 世界の壁を越えてみたからこその発見だと言うハルは、楽しんでいるように見えた。それは彼が生まれ育った世界では見たことがないと断言してしまえるほど、奇異な姿でもある。すごい変化だと驚いた葵はあることを思い出して、独白のように言葉を紡いだ。

「そういえば私が向こうにいた時も、生まれ育った世界の理に囚われてるんだって言われてた。だから自分では魔法が使えなかったんだって」

 それと同じようにハルも、魔法が存在する世界の理に囚われ続けているのだろう。だから別の世界にいても、魔法を使うことが出来る。そうした葵の推測に、ハルは興味深げな様子で頷いて見せた。それから彼は、満開の花を咲かせている桜を仰ぐ。

「この樹の花、綺麗だ。咲かせてくれてありがとう」

 ハルが桜の樹に微笑みかけるのを、葵は不思議な気持ちで見つめていた。こんな彼は、見たことがない。夫婦になったとは言っても、まだまだ知らない面はたくさんあるのだろう。それでも一つだけ、解ったこともあった。どこに居ても何をしていても、ハルはハルでしかないのだ。久しぶりの再会だというのに失踪の理由も語らず、まったく違う話になってしまうあたりなど非常に彼らしい。

「って、ちょっと待って」

 そこで改めて、葵は失念していたことを思い出した。驚きの連続ですっかり脱線してしまったが、ハルには問い質さなければならないことが山ほどある。しかし葵が疑問を解消しようとする前に、狂い咲きの桜に気付いた人が集まって来てしまった。このままでは騒ぎになってしまうと思い、葵は場所を変えることを提案する。するとハルは葵の手を引いて、どこかへ向かって歩き出したのだった。







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