Loose Knot

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その優しさは、反則


 大粒の雪が住宅街を白く染めていた。水分を含んだ重たい雪は十六時を回っても止むことなく、はたはたと降り注いでいる。手袋やマフラーをしていても凌げないほど外気は冷たく、とある家の前に佇んでいる松丸という名の少女は傘の下で身を縮めた。二月十四日、本日はバレンタインデー。彼女はこの家の前で、想い人である少年が帰ってくるのを待っているのだった。

 中学一年生の時、松丸はクラスメートに恋をした。隣の席に座っていた彼は学校に来ていてもほとんど眠りこけているような人で、起きて活動をしている姿を見るよりも寝顔を見ていることの方が多かった。そのため隣の席に座っていてもほとんど会話らしい会話をしたことはなかったが、松丸は腕枕から幸せそうな寝顔を少しだけ覗かせている少年を見つめているのが好きだった。彼の寝顔を見ていると、不思議と自分まで幸せな気持ちになれたからだ。

 二年生に進級してクラスが分かれてしまうと、松丸は彼に抱いていた自分の想いが何であったのかを知った。彼の幸せそうな寝顔を見ていたくて、彼の隣にいたくて、彼女は告白を決意したのである。そして中学二年のバレンタインデー、松丸はチョコレートを渡すためにわざわざ彼の家にまで出向いた。眠そうな顔をして現れた彼はあっさりとチョコレートを受け取ってくれたのだが、バレンタインデーであったにもかかわらず、その意味は伝わらなかった。いつまで経っても返事らしいものをもらえる気配がなかったので、松丸は人伝に彼と親しい少女に彼の真意を推察してもらおうと思ったのだ。そして彼の幼馴染みである倉科マイから「はっきり告白しないと伝わらない」という助言を受けたのだった。

 想いを言葉にして直接ぶつけなければ気がついてもらえない。彼がそれほどまでに鈍いことが判明してからも、機を逸してしまったため松丸はなかなか打ち明けられないでいた。ぐずぐずしているうちにバレンタインデーから一ヶ月が過ぎ去り、ホワイトデーが訪れてしまったのである。本命のチョコにさえ気付いてもらえないようではお返しをもらえたとしても義理だと思っていた松丸は、彼から手作りのクッキーを渡されて驚いた。同時に想いを言葉にするのは今しかないと思い、今度は直接的な告白をしたのである。だが結果は、駄目だった。彼が手作りのお返しをくれたことにも、深い意味はなかったのである。

 ホワイトデーが終わると、彼が松丸にフラれたという事実に反する噂が流れ始めた。それが彼なりの気遣いであることを察した松丸はたまらない気持ちになってしまったのだが、フラれた後にどれほど好きになろうとどうしようもない。そして再び同じクラスになることもないまま、中学の卒業を迎えてしまったのだった。

 高校生になって一年目の秋、まだ彼の優しさを忘れられないでいた松丸は花郷はなさと大学付属高等学校の文化祭に足を運んだ。彼がどこのクラスにいるのかも知らなかったが文化祭に行けば会えるかもしれないと思い、模擬店で賑わう校舎を彷徨っていたのである。そこで松丸は国松という少年と知り合いになった。文化祭では会えなかったのだが後に国松を通して、松丸は彼との再会を果たすことになるのだ。

 十二月二十五日、国松の家で行われたクリスマスパーティーで松丸は彼と再会した。気まずさも漂わず普通に言葉を交わせたことが嬉しくて、彼女は彼への想いを再確認してしまったのである。そんな日に、松丸は国松から好きだと告げられた。だが彼女は胸の内を全て打ち明けて、彼の告白を断ったのだった。

 松丸が手にしている鞄の中には、この日のために用意したチョコレートがある。雪に冷やされて溶け出すこともないチョコレートのように、今でも好きだという想いが確かなものとして胸の中にあるのだ。だが彼女の恋心は、待ち人である少年が何気なく放った一言により打ち砕かれてしまった。

「マイ?」

 帰って来た彼は自家の前に佇む人物を目にした時、疑うこともなく幼馴染みの名を口にした。あまりにも当然のことのように投げかけられた名に、松丸は泣きたい気持ちで敵わないなぁと思った。

 松丸がもう一度告白をしようと思ったのはマイに彼とは別の彼氏がいたのだと、クリスマスの夜に聞かされたからであった。それならばまだ望みはあるのではないかと、彼女は密かに期待してしまったのである。しかし結局のところ、何も変わっていなかったのだ。彼も、マイも、彼らの関係も。

「大丈夫、今日はチョコレート持ってないから」

 待ち人である小笠原ユウが眉根を寄せたので、気がつけば松丸は本心とは裏腹なことを口走っていた。もう渡せなくなってしまったチョコレートを隠すように鞄を背に回し、松丸は言葉を重ねる。

「中学の時にフラれちゃってるけど、私、あれからもずっと、小笠原くんのこと好きだった」

 涙声にならないよう囁くように明かした想いは空しく胸に落ちていった。絶句しているユウに無理矢理作った笑みを向け、松丸は言葉を続ける。

「本当はね、フラれてもいいからもう一回チョコレート渡そうかなって思ってた。でもね、敵わなさそうだったからやめたの。だから今年は、別の人にチョコあげちゃった」

 好きだった。今も、好き。けれど叶わないのなら、嘘を本当にするしかない。優しい笑みを浮かべて「ありがとう」と言ってくれたユウに精一杯の笑顔を見せ、松丸は傘を斜めに傾けて彼の前を通り過ぎた。






 バレンタインデーも終わった二月十五日、その日は前日とは打って変わって雲一つない晴天だった。しかし日の当たる場所では融けてしまった雪も日陰では氷のように固まっていて、吐き出す息が白い。寒さのために頬を上気させながら花郷高校の校門に佇んでいた松丸は、友人と連れ立ってこちらへ向かって来る男子生徒に目を留めて佇まいを正した。

「あ」

 初めに声を上げたのは、彼の友人である渡部だった。面を伏せながら重い足取りで歩いていた彼も、渡部に促されてこちらを見る。松丸の姿を認めると、彼は凍結した道に足を滑らせながらも小走りでやって来た。

「ど、どうしたの?」

 上擦った声を上げた彼に、松丸は微笑みを向けながら手にしていた紙袋を手渡した。受け取った彼は訝しそうな表情をして中身を確認している。その正体が何であるのかを知ると、彼は大げさに目を見開いた。

「一日遅れちゃったけど、受け取ってくれる?」

 彼のために作り直した、バレンタインのチョコレート。その空白の一日が何を意味するのか、彼が察したかどうかは定かではない。しかし彼は喜びの雄叫びを上げた。

 出会いはナンパだった。そうした軽薄な行為は好きではなかったが、話をしているうちに見えてくるようになった彼の人物像は軽薄とは程遠いものだった。口は軽いが何事にも真剣そのもので、好きだと告げてくれた時も真摯な瞳をしていた。何より、愛するサッカーのことを語る時の無邪気さが純粋で可愛い人なのだ。ユウに感じたような安らぎ感はないが、松丸は彼のそういうところに好感を抱いていた。

「お友達から、って感じ?」

 成り行きを傍観していた渡部が声をかけてきたので松丸は笑みを浮かべながら頷いて見せる。だが彼らのやりとりは当の本人に届いていなかったようで、国松はチョコレートを握り締めたまま歓喜して躍り上がっていた。






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