Loose Knot

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仕組まれた告白


 校舎の端にある特別教室に友人である倉科マイと共に足を踏み入れた刹那、貴美子はダメかもしれないと思った。彼女が直感的にそう思った原因は窓を背に悠然と佇んでいる少年の態度にある。彼は貴美子に一瞥くれたきりマイに視線を転じてしまい、その態度がすでに「興味なし」と言っているようなものだったからだ。

「準備室を使おうと思ってたんだけど、今日は鍵が開いてなかった」

 貴美子の想い人である久本はそう言って、マイに戸口を指し示した。行動の真意が分からず首を傾げているマイに、久本は出て行けと言っている。マイはムッとしたような表情をしていたが同席する気はないようで、すぐに踵を返した。すれ違いざまにガッツポーズを見せてくれた友人に、貴美子は少し引きつった笑みで応じる。二人きりになってもぎこちない笑いが口元に張り付いたまま、貴美子は恐る恐る久本に顔を傾けた。彼は貴美子が何をしにここへ来たのか、すでに知っているのである。

「とりあえず、座ろうぜ」

 軽い調子で貴美子に椅子を勧め、久本は自らも腰を落ち着けた。この教室へ辿り着く前から緊張を漲らせていた貴美子は久本の気安い反応に違和感を覚えながらも言われた通りにする。貴美子に口を開く隙を与えないかのようなタイミングで、久本は言葉を重ねた。

「えーっと、キミコって名前だっけ?」

 久本に名を呼ばれたので貴美子は驚いて目を見張った。ちゃんと名乗った覚えはなく、まともに話をすることさえ初めてに近いのだ。貴美子が訝っていると久本は飾り気のない笑みを浮かべた。

「知ってるよ。北沢とよく、練習見に来たりしてるだろ?」

 久本が話題に上らせた北沢朝香は貴美子と同じく調理部に所属する友人である。その朝香の好きな人が久本と同じサッカー部にいるため、貴美子は彼女に連れられてしばしば練習を見に行ったりしていたのだ。だがまさか、それしきのことで名前まで知れているとは思ってもいなかったので、貴美子は困惑してしまった。しかし久本の方には貴美子が困っているのを気にしている様子もなく、彼はおかしそうに話を続ける。

「北沢、キョーレツだからなぁ」

 久本が何をもって朝香のことを『キョーレツ』と言っているのか分からなかったので、そう感じたことのない貴美子は首を傾げた。その様子を見た久本は口元に笑みを残したまま言葉を重ねる。

「小学校、オレたちと違うよな?」

「あ、うん」

「中学入ってからはそうでもないけど小学生の時の北沢ってさ、ガキ大将みたいなヤツだったんだよ」

「ほんとに?」

 現在の朝香と久本の言う『ガキ大将』がどうしても結びつかず、貴美子は驚いた声を上げた。同じ小学校に通っていた者で朝香を知らないヤツはいないと、久本は笑っている。彼と和やかな雰囲気を共有出来ることは嬉しかったものの、どんどん話が逸れていくことに貴美子は困惑の度合いを深めていた。

(はぐらかされてる、のかな……)

 貴美子が好きだと告げに来たことを、久本は承知している。予め相手が告白であることを知っている告白ほどやりにくいものもないが、加えて久本の対応が告白を受ける者とは思えないほど飄々としているので貴美子はどうしていいのか分からなくなってしまった。だが、このまま告白すらさせてもらえず流されてしまうのではと貴美子が心配し始めた頃、久本は不意に笑いを収めた。

「そろそろいっとく?」

 唐突に話を元に戻されたので貴美子は初め、久本が何を言ったのか分からなかった。しかしすぐに本題を切り出されたのだと察し、瞬時にして頭に血が上ってしまう。恥ずかしさから久本を見ることが出来なくなってしまい、貴美子は俯いてしまった。今までの流れから察するに、久本の返事は決まりきっているようなものである。勢いで想いを告げるタイミングを逸してしまった今、もう言葉にする必要もなくなってしまったのではないかと感じた貴美子は顔を上げないまま立ち上がった。

「もう、いいの」

「へ?」

「サッカー、頑張ってね」

 頑張ってる久本くんが、好きだから。その言葉は胸中で留め、貴美子は自らの想いに終止符を打つべく笑顔を作った。ぽかんと口を開けながら貴美子を見上げていた久本は徐々に眉根を寄せていく。

「オレ、告白されに来たんだよな?」

 久本が確かめるように呟いたので気恥ずかしくなった貴美子は顔を赤らめた。まだ妙な表情をしたまま、久本は貴美子の顔を覗き込む。

「なのに何で、オレの方がフラれるんだ?」

 付き合ってみてもいいと思ったのにと、久本は言う。俄かには信じ難い科白を聞かされた貴美子は言葉を失ってしまった。だが久本の視線が泳ぐこともなくこちらを向いたままだったので、貴美子は戸惑いながら口を開いた。

「どうして……?」

「それ、オレの科白」

 告白に来たのは自分の方なのだ。改めてそのことに気がついた貴美子は妙な気分に陥りながらもっともだと頷いて見せる。貴美子の言動が矛盾だらけだったからか、久本は真顔を崩して笑った。

「いいよ。じゃあ、オレから言う。夏の試合の後、タオル置いてってくれただろ?」

 夏、貴美子は朝香に誘われてサッカー部の練習試合を見に休日の学校へと出向いた。そこで負け試合の後に一人で泣いていた久本を目撃してしまい、彼女は自分の気持ちに気がついたのである。久本が顔を洗いに行った隙に、貴美子はこっそり彼の荷物にハンドタオルを置いて立ち去った。自分だけのささやかな思い出だと思っていたものが実は知られていたと分かり、貴美子はあまりの恥ずかしさに再び俯いてしまった。

「見て、たんだ……」

「顔洗って戻って来た時に少しだけ。顔はちゃんと見えないし、私服だったし、今日キミコと会うまでは誰だろうって思ってた。確信したのはにおい、だな」

 貴美子からタオルと同じ匂いがしたからと、久本は少し照れたように明かした。そんなことを言われるとますますもって恥ずかしくなってしまい、貴美子は所在無くスカートを握る。その手を、久本が優しく包み込んだ。

「だからキミコがオレのこと好きだって言ってくれるなら、付き合ってみてもいいなって思った。どう? 付き合ってみる?」

「……私、頑張ってる久本くんが好き」

「よっし。じゃあ、よろしくな?」

 重ねていた手を握手に変え、久本は不敵な笑みを浮かべた。片手で久本と握手をしたまま、貴美子は空いている方の手で目尻に浮かんだ涙を拭う。泣き笑いの貴美子を見た久本は立ち上がり、「泣くなよ」と苦笑しながら大袈裟なハグをした。

「けっこう長話しちゃったな。倉科のヤツ、今頃色々想像しすぎてヤキモキしてるんじゃないか?」

 体を離した後、久本がからかうような口調で言いながら戸口を振り返ったので友人のことをすっかり失念していた貴美子は慌てて顔を拭った。先に廊下へと向かった久本に続き、貴美子も特別教室を後にする。それからしばらくの後、特別教室が並ぶ校舎端の廊下には倉科マイの叫び声が響き渡ったのだった。






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