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● まぶたにキスを  ●

 森へ、行くわ。その言葉は胸に秘めて、家を出た。

 深い、深い森の奥。木立に囲まれた湖で、あの日舟を出したわね。陽光がきらめいて、水面がとてもきれいだった。

 それが今はどう? 呼び込まれるような大きな闇でしかないわ。

 舟を、出すわ。

 あの日のように太陽は差していないけれど。あの日のように、あなたはいないけれど。

 でもね、白いワンピースを着てきたの。麦わら帽子もちゃんと被ってきたわ。

 深い、深い所へ。あなたのいる深遠へ。

 あの日、寝転がって見上げた空は高かったわね。瞼にくれたキス、今でも覚えているわ。

 今日も、空は高いわ。見えるのは細かい星ばかりだけれど。

 ねえ、瞼を閉じるわ。だから、あの日のようにキスをしてよ。

 舟が揺らす水音ばかりであなたの声が聞こえない。一度だって聞かせてくれたことのない、愛してるって言ってよ。

 涙って、冷たいのね。もう泣くことにも飽きちゃった。

 だから、あなたの所へ連れて行ってよ。




 目を開けたのは瞼の裏に光が差したから。月が、飛び込んできたわ。

 そう、あなたが代わりにキスしてくれたの。あの人の代わりに湖が囁いてくれるのね。

 じゃあ、抱いていて。あの人がいる深淵は、とても遠いから。





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