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● 乱遊魚  ●

 目の奥を、泳ぎまわる魚がいる。

 頭蓋骨の内側、脳硬膜を自在に泳ぎ私の目を回している。痛い。

 そいつは、はっきりとは見えない。でもきっと、熱帯魚のようにカラフルでひれをビラビラさせていると思う。鬱陶しい。

 後頭部は痛まないから、きっとこいつは脳幹や小脳には興味がないんだわ。額の奥がズキズキと痛い。

 そういえば、人間の目の内部は青いってテレビでやっていたような気がする。何? 海の代わりってわけ? そんなに泳ぎたいなら海に還りなさいよ。

 痛い。

 脳味噌を揺さぶられているみたいで気持ちが悪い。

 こいつはそのうち、私の目から出てくるかもしれない。水晶体を割って、角膜を破り、私の涙液を枯らして、一人だけ大空へ跳ねるんだわ。

 痛い。

 痛い、痛い。

 目を開けていても閉じていてもダメなんて、まるでアルコール中毒ね。魚が動くたびに私の視界も回っているなんて笑っちゃう。

 座ってはいるけれど、倒れちゃうかもしれない。でも、どうせ誰も心配なんてしてくれない。都会の通行人は冷たいのよ。

 痛い。

 気持ち悪い。

 目が回る。

 狂いそう。

 もう一歩も動けないよ。

「ちょっとあなた、大丈夫?」

「……え?」

 顔を上げると、目の前におばさんが立っていた。人の良さそうな心配顔で、おばさんは私を見つめている。

「ひどい顔色じゃない。話せる? 救急車呼ぶ?」

 おばさんは忙しなく言って、携帯電話を探しているようだった。私も慌てて、立ち上がっておばさんを止める。

「大丈夫です、救急車はいりません」

「そう? それならいいけど」

 思いの外はっきり答えた私におばさんは訝しがっている様子だった。自分でも驚いたわよ、あんなにハキハキ応えられるなんて。

 私はお礼を言って、見知らぬおばさんと別れた。歩くと目眩はするし頭もまだ痛いけど、さっきほどじゃない。誰かと話していると気が紛れるって本当なのね。

 私、寂しかったのかな。それで弱気になっていたのかもしれない。

 ありがとう、見知らぬおばさん。まだあなたのような人がいるなんて思ってもみなかったわ。

 今の仕事を続けている限りこの魚からは逃れられそうにないけれど、もう少し頑張ってみる。でも今日は、早く帰ってゆっくり休もう。





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