マジスター

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 白殺しの月が終わり、冬月期最後の月である秘色ひそくの月に入っても雪は深々と降り続いていた。丘の上に建つトリニスタン魔法学園は周囲よりも高くなっているため、開けた眺めからは雪が降り積もっていく様子が窺える。校舎の二階にある二年A一組の教室から外を眺めていた宮島葵は、頬杖をついたまま小さくため息をついた。雪はまだまだやみそうになく、今日も帰り道が寒そうだ。

「ミヤジマさん」

 素に戻っている時に声をかけられた葵は動揺を悟られないよう、にこやかに見える笑みを作ってから教室の中の方へ顔を傾けた。葵の机の周りには学園の制服である白いローブを身につけた少女が三人ほど佇んでいる。彼女達は今、葵が馴染もうと努力しているグループの女の子達だった。

「わたくし達、帰りにお茶をしていきますの。ミヤジマさんもご一緒しませんこと?」

 誘ってくれたのは常に三人の真ん中に陣取っている、ココという名の少女だった。少し吊り目気味の顔立ちが表しているように気が強い彼女はクラスの女子の中でもリーダー的な存在である。そのためなのか、ココは葵が編入した当初から何かと気遣ってくれていた。しかしお茶は遠慮したかったので、葵はすまなさそうな表情をつくって目を伏せる。

「申し訳ございません、本日は先約があるものですから」

 葵が断りを告げると白けた空気が流れそうになった。だがそういう雰囲気になる前に、葵は目を上げて言葉を続ける。

「次回は必ずおじゃまいたしますわ。またお声をかけてくださいませ」

「そうですか。それでは、仕方ありませんわね」

「では、ミヤジマさん。ごきげんよう」

 誘いを断った件は丸く収まり、ココ達は連れ立って教室を出て行った。その頃には教室内に誰もいなくなっていたので、葵は机に突っ伏して重い息を吐く。

(はあ、疲れる……)

 本当は、先約などありはしない。こういった場合に角が立たない断り方を教えてくれたアルヴァに、葵は今更ながらにお礼を言いたい気分になった。

 良家の子供達が通うトリニスタン魔法学園には、葵が想像していた以上に独特の世界があった。暗黙のルールも多く、臨機応変を求められる環境は常にプレッシャーがかかる。そんなわけで、学園にいる時の葵は気苦労が絶えないのである。友達が欲しいと思っていたのもどこへやら、出来れば放課後は一人で過ごしたいとまで思うようになっていた。

(つるむの、好きだよね)

 ココ達は十日に五、六回は連れ立って街へ出かける。お茶だったり、ショッピングだったりをするのだが、彼女達のやることはとにかく派手なのである。それまで少ない小遣いをやりくりして好きな本を買うという慎ましい生活を送っていた葵には、彼女達の言う『付き合い』についていけそうもなかった。加えて、葵には魔法を使えないという負い目がある。この学園に通う生徒は良家の子供というだけでなく魔法にも長けているのだ。街まで転移などということを常としている彼女達と行動を共にするには、いらぬ気遣いまで発生する。具体例を挙げると、彼女達は魔法陣がある所へ呪文一つで転移することが出来るが、転移魔法が使えない葵は口実をつけて一度彼女達と別れ、保健室へ駆け込んでからアルヴァに送ってもらうという非常に面倒なことをしなければならない。何故そんなややこしいことになっているかと言えば、葵の素性を明かせないことが最大の要因だった。

(私がこの世界の人じゃないってバラせちゃえば簡単な話なのに)

 葵はそう思うのだが、アルヴァが絶対に駄目だと言うのである。理由もよく分からないまま、葵はアルヴァの助言に従っているというのが実情だった。

 机から顔を上げた葵は再び窓の外を見た。灰色の空からは大粒の雪が降っていて、まだまだ積雪を増しそうである。こんな日に歩いて帰るのもバカらしいと思った葵は保健室を訪れることにした。アルヴァに頼めば、貸し与えられている屋敷の魔法陣が描かれている部屋まで一瞬で移動出来るのだ。

 トリニスタン魔法学園の校舎は五階建てで、全体的には五角形をさらに丸くしたような形になっている。完全な円形ではないが廊下は滑らかなカーブを描いて一周していて、そのせいで初めのうちは果てがないと感じたものだった。ドーナツの空白部分は中庭になっていて、天気がいい日は生徒で賑わっているらしいが雪の日は誰もいない。一階の北辺にある保健室を目指していた葵はふと、白く染まっている中庭に目をとめた。

(雪合戦、したいな)

 雪の積もった中庭は、絶好の雪合戦ポイントのように思われた。ただ、この学園の生徒は雪合戦をするようなタイプではない。仲間がいなければ合戦にならないので、葵は寂しさを感じながら小さく首を振った。

(こんな時、弥也ややがいればなぁ……)

 元いた世界での友人である弥也は体育会系の少女で、体を動かすのが大好きという人である。小学生の時から付き合いのある彼女は昔から、雪が降ると率先して集合をかけていた。特にスポーツをやってはいないが葵も体を動かすことは好きなので、遊びとあらば飛んでいったものだ。そんなさして遠くもない日のことを思い返し、葵はしみじみしてしまった。

(雪だるまくらいなら、つくれるかな)

 閃いた葵は周囲に人気がないことを確認し、足音を忍ばせながら中庭へと向かった。この世界には空気調節器が存在しないため校舎内も寒いのだが、外気はまた格別である。大粒の雪はまだ降り続けていたが葵は雪の上に魔法書を放り出してしゃがみ込み、まずは掌大の雪玉をつくった。その雪玉を雪の上で転がし、だんだんと大きくしていくのである。大中二つの雪玉をつくった葵は中くらいの雪玉を大きい雪玉の上に乗せ、完成した雪だるまを見て満足した。

(バケツとか手袋とかがあれば良かったけど、まあ、これで十分だよね)

 雪に埋もれそうになっていた魔法書を発掘した葵はふと、中庭にできた足跡や軌跡に目を留めた。先程まで新雪に覆われていた中庭も、雪だるま作りを終えた現在では無残な有り様になっている。久々に新雪に足跡を残す楽しさを実感した葵は子供の頃を思い返して楽しくなってしまった。

(雪合戦、楽しかったなぁ。やりたいな)

 一人で雪合戦をしても虚しくなるだけだと分かってはいたが、騒ぎ出してしまった血を鎮めることは出来なかった。葵は再び魔法書を放り、掌にすくい上げた雪を丸める。どこにぶつけようかと視線を走らせた葵は、先程つくった雪だるまに目を留めた。

(よし、あれにしよう)

 至近距離から当てても面白くないので、雪だるまと距離をとってから雪玉を投げる。しかし狙いは外れ、葵が投げた雪玉は雪だるまの横をすり抜けて中庭に落ちて行った。同じ距離から幾度か試したものの、コントロールが悪いらしく当たらない。ムキになった葵は少しずつ雪だるまとの距離を縮め、がむしゃらに雪玉を投げつけたのだった。






 大方の生徒がすでに帰宅の途に就いている放課後、トリニスタン魔法学園の校舎は静まり返っていた。この学園の生徒が校内にいるのは授業が行われている間だけなので、平素であれば授業が終わってしばらく経っているこの時間帯、校内に人影は見受けられない。しかしこの日は、校舎五階の廊下を他愛のない話をしながら歩いている一団がいた。

「なんだ、あれ?」

 ふと、中庭に目を留めた長身の少年が訝しげな声を上げながら窓辺に寄った。自然なブラウンの長髪を無造作に束ねている少年に続き、真っ赤な髪色が印象的な少年も窓辺に寄る。大粒の雪が深々と降りしきる中庭を見下ろして、彼らは一様に眉根を寄せた。

「何?」

 茶髪の少年と赤髪の少年が足を止めたため少し先を歩いていた栗色の髪をした少年も引き返してきて、彼らの背後から窓の外を覗きこむ。三人の少年から少し離れた場所で立ち止まった黒髪の少年だけが、窓辺に近寄ろうとはしなかった。

「おい!」

 廊下の中程で足を止めている黒髪の少年が怒声を上げたので茶髪の少年が顔を上げ、応えるように中庭を指した。

「変な女がいるんだよ」

「知るか。行くぞ!」

 興味がないと一言で切り捨て、黒髪の少年は踵を返した。それを見た栗色の髪の少年も、無言の内に窓辺を離れる。二人にもう立ち止まる気配もなかったので茶髪の少年と真っ赤な髪色をした少年も窓辺を離れ、彼らの後を追ったのだった。






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